第二部 三 2003年4月5日 午前11時30分
第二十二歩兵分隊は、第三歩兵師団を構成する第二旅団とともに、バグダッドの地で市街戦を展開している。前方ではエイブラムス戦車六輌が、十二輌のT-55に応戦していた。建物に隠れながら戦っているせいか、なかなか状況が進展しない。
戦車同士の戦いに歩兵が割って入るわけにもいかない。カーティスたちは周囲を警戒し、路地に入り込んだ敵を掃討していった。敵国の首都に堂々と殴り込んだアメリカ軍を見て、イラク軍の士気は明らかに落ちていた。高層ビルや住宅に人影はない。
分隊は中隊長の指示で、左に三百メートルほどいった場所にある七階建てビルを制圧するべく突入した。窓から日が差し、砂塵が静かに舞うロビーに人気はない。オフィスビルのようだ。用心しつつ、荒れ果てた各階をくまなく捜索していく。七階へと続く階段は途中で崩落していたため、錆びついた外付けの非常用階段を使った。眼下では、五輌のT-72は早々に鉄くずになり果てていた。だが、エイブラムス戦車が一輌撃破されている。主砲の轟音が、カーティスたちの体を震わせた。
カーティスは鉄製のドアを開けて室内へ入った。六階までとは違い、作業用の機材はなく広々としていた。楕円形のような空間が広がっていて、ガラス張りの壁が多い。ここからでも周囲の建物がよく見える。テラスなのだろう。団欒の場所は、穴の開いた木製のテーブルや革張りの椅子、崩落してきた瓦礫に埋め尽くされている。寂しい佇まいは太古の遺跡のようにも見えた。
ガラスの外からは、相変わらず爆音や銃声が訊こえる。
<こちらアイアンホース1。ビル内に敵影はなし>
<了解、ビルを出てこちらに戻れ>
カーティスたちはもう一度テラス内を捜索した。安全を確保し、カーティスは水筒を取り出し水をひと口含み、バックパックに押し込む。銃を構え直すと、自分たちと近い、進入口とは反対側のドアに向かった。
さきほどと同じ大きな鉄製のドアノブを捻り、扉を押す。非常用階段からさき、西側がよく見えた。
「あれ、戦車じゃないか」
ジョナサン・スコットニーが言った。部隊のなかでもっとも屈強な体をした男の伸ばす右腕は、彼が注ぐ視線のさきを示している。建物に隠れて車体は見えないが、前方六百メートル地点で砲塔がわずかに見えた。陽炎と砂塵の影響で、細部は確認できない。こちらに近づいてきているようだ。狭いいくつかの通りに分散していて、あいだを縫うように移動している。
「友軍だろう」
ノーマンの返答を訊きながら、カーティスは双眼鏡を取り出した。ジョナサンの言う場所を確認する。
「諸君、残念だがエイブラムス戦車ではない。T-72が三輌。あと、IEDを積んだテクニカルが三輌。兵士と民兵の混合部隊も見える。数は……六十ほど」
連合軍を側面から攻撃するつもりだろう。すぐ側ではアメリカ軍がイラク軍と戦っている。いくらアメリカ軍の最新鋭戦車を擁する部隊と言えど、奇襲を受ければひとたまりもない。
<こちらアイアンホース1。西側六百メートル地点に敵の機甲部隊を発見。T-72が三輌に、IEDを積んだテクニカルが三輌。それに六十名近い敵兵。こちらに接近している>
少し間を置いて、中隊長の声が訊こえてきた。
<こちらでも確認した。該当地点に対する即応部隊の支援を要請している。ああ、少し待ってくれ、到着時間は――二十分後。それまで足止めを頼む>
<アイアンホース1、了解>
カーティスは無線を切った。
「中隊長はなんと」
アレンが険しい表情で訊ねた。
「足止めしろ、だそうだ。全員ビルの西側につけ」
隊員たちが忙しなく動き始めている最中、カーティスは開けっ放しだったドアを半分締め、L96A1の銃身を通した。覗き込みながらスコープの倍率を合わせる。分隊が機甲部隊を足止め、撃破する光景など、想像できなかった。
「全員、配置についたか」
全員の返答を確認したカーティスは、テクニカルの積んでいる荷物に照準を合わせた。助手席に向けて無数の線が伸びている。
「まず、テクニカルの荷物を撃ち抜く。榴弾の山だ。爆発させれば、歩兵は駆逐できる。それが合図だ」
カーティスは呼吸を止めた。六百メートルさきのテクニカルにたっぷり積まれた榴弾の山のひとつに、引き金を引いた。
衝撃波が周囲に拡散した。大気中を舞っている砂塵の影響で、空気の波が明確に視認できる。耳をつんざく爆音とともに、テラスのガラスが数枚割れた。同時に、隊員たちは攻撃を始めた。癒しの空間を銃声が満たし、薬莢が軽い音を立て、床に散っていく。
カーティスはスコープのさきに取り付けていたサーモスコープを起動した。RPGや狙撃銃を持っている者を優先しつつ、砂塵のなかに白く浮き上がった敵を片っ端から撃ち殺していく。白黒の視界では人物の詳しい姿はわからないが、動きを見ればわかる。狙撃を受けて即座に路地に入り込んだのがイラク軍兵士、避けるような動作はしつつも、無謀にもこちらに突っ込んでくるのが民兵だ。スコープをずらすと、三輌いたT-72のうち一輌が映った。さきほどの爆発で操作を誤ったのか、近くの建物に突っ込んでいた。大量の瓦礫に埋もれており、動けそうにない。背後にいた別のT-72が立ち往生している。
「装填中!」
M249軽機関銃を連射していたジョナサンが叫んだ。ノーマンとエルマーが隙を補うため射撃を行った。
味方の銃声に紛れて、徐々に近くの壁に着弾する音が混ざり始めた。奇襲するはずの自分たちが奇襲され混乱していた敵も、態勢を立て直しつつあった。視界不良のあいだに、どれだけ戦力を減らせるか。T-72の砲撃を受ける前に、場所を変える必要がある。
敵の反撃は散発的ではあったが、カーティスたちがいるテラスのガラスや壁を確実に削り取っていた。ハワードがM4に装着されていたM203グレネードランチャーに切り替え、接近してきた敵の一団に向けて放つ。四十ミリの榴弾が地面と接触した瞬間に爆発を巻き起こした。衝撃と瓦礫によって、周囲の者は血しぶきと肉片を散らしながら絶命した。
「独裁者の犬ども! くたばりやがれ!」
吼えるエルマーをしり目に、カーティスも前進してくる敵兵を撃ち続ける。スコープのなかで白く発光する相手の頭部が吹き飛び、同時に崩れ落ちる。ボルトハンドルを往復させる感覚が、段々と薄れてきた。
バックパックから新たなマガジンを取り出そうとした瞬間、眼下に見える建物の屋根が吹き飛んだ。砂塵を振り払い、隣の通りから一輌のT-72が姿を現す。猛烈なスピードでこちらに接近してきた。
「奴ら勘で撃ってやがる」
カーティスが叫んだ。
そう言っているあいだに、砲撃音とともに二発目の砲弾が付近の建物に着弾した。さきほどよりも距離が近い。
「ハワード、無反動砲であいつを始末しろ!」
カーティスの左側で戦っていたハワードはM4アサルトライフルを床に置き、代わりにAT4を担いだ。無反動砲の後方噴射の被害を抑えるため、カーティスは「待て」と言うと、後方の割れていないガラス張りの壁をM4ですべて撃った。
「よし、撃て!」
強烈な後方噴射が、付近の薬莢を吹き散らす。見下ろす形で放たれた成形炸薬弾は、近づいてくるT-72の砲塔を直撃した。炎は上がらず、爆発もしなかったが、T-72はスピードを徐々に落とし、やがて停車した。車内から出てきた兵士を、すかさず狙撃する。
「テクニカル! 無力化したT-72の側だ!」
ノーマンが叫んだ。カーティスは急いでスコープで言われた場所を覗く。さきほどとは違い、四角い爆薬を大量積んだテクニカルが、T-72の残骸を通過した。友軍ではなく、明らかにカーティスたちのいるビルを狙っている。L96A1の角度を調整したカーティスは、テクニカルの運転手を撃つ。弾は逸れ、後部座席の天井に穴を空けただけだった。ここからの角度では、もはや運転手を狙って撃つことはできない。
カーティスはサーモスコープを切って、ビルに迫る敵兵のひとりに照準を合わせた。引き金を引き、相手の胸を貫く。路地に散った敵に対し、ジョナサンによる制圧射撃が降り注ぐ。
突っ込んできたテクニカルの姿が見えなくなった。
「衝撃に備えろ!」
L96A1を腰に担いだ瞬間、下から衝撃が走った。ビル全体が振動する。同時に、凄まじい轟音とともに、床の薬莢が北側へ転がる。
ビルが傾き始めていた。
「撃ち方止め! 全員、後方の非常用階段から一階に降りろ! この場を離脱する!」
さらなる衝撃がビルを襲い、立ち上がろうとしたカーティスは思わず片膝をついた。音からしてT-72による砲撃だった。ビルもろとも仇を沈めたいらしい。いまから階段を降りても間に合わない。
「どうするんだ、隊長!」
エルマーが叫ぶ。
カーティスはテラスの北側へ走っていくと、前方の四階建ての建物に目を付けた。建物同士の距離は六メートルほど。眼下には車の残骸や瓦礫が散在している。右では六輌にその数を減らしたT-72が、エイブラムス戦車と戦っていた。彼はハンドシグナルで全員を集めた。
「俺が合図したら、全員あの建物の屋上に向かって飛ぶんだ」
全員が彼を凝視した。
「気は確かですか」
アレンが言うと、
「階段を降りていては間に合わない。全員、しっかり助走をつけろ。この高さで地面に叩きつけられれば、タダじゃ済まないぞ」
男たちは数メートル後ろへ下がり、テラスの中央に立った。カーティスは腕時計を見た。即応部隊の到着予定時刻まで、残り五分
建物がひときわ大きな音を立てた。天井からは無数のガレキが落ちてきている。
「本当にやるんですか!」
「コンクリートの具になりたくないだろう……今だ!」
武器を体に括り付け、六人は全力で走った。テラスの縁で思い切り床を蹴ると、ビルから飛び出した。