第ニ部 一 2003年3月23日
一羽のカラスが、晴れ晴れとした空を飛んでいる。そして、さらにその上を飛ぶ、無人航空機・RQ-1プレデター。燦々と輝く太陽が、数千年の歴史を持つ地と、現代装備に身を包んだ兵士たちを平等に照らしていた。
イギリス陸軍第二十二歩兵分隊の隊長、カーティス・サカキバラ少尉は、イラク・クウェート国境から北西に約四百キロ離れた地・ナジャルで、敵の動向を監視していた。コンクリートで造られた無骨な建物の屋上で伏せ、L96A1のスコープを覗き込みながら、イラク軍を探している。
二年の訓練を経た彼に下された初の任務は、イラクへ進軍する連合軍、なかでも最大戦力を誇るアメリカ陸軍第三歩兵師団への協力だった。第三歩兵師団は首都のバグダッドの制圧を最優先にしている。ルメイラ油田、ナシリヤ、サマワといった地を、ほかの部隊が制圧しながら突き進む第三師団の姿は、さながら二十一世紀の電撃戦であった。空爆とともに始まった息もつかせぬ速攻作戦に、イラク軍は後退を余儀なくされている。「イラクの自由作戦」が開始してからたった三日の出来事だった。
十字に線が伸びるスコープのなかで動きがあった。イラク軍兵士四人が、家屋のなかへと入っていく。北西五百メートル。窓から体を覗かせたひとりに照準を合わせると、カーティスは引き金を引いた。薬莢が飛び出し、乾いた音を立てながら転がっていく。撃たれた男は胸を貫かれ、窓際に上半身をだらしなく預けた。
<こちら、アイアンホース1。イラク軍兵士が立てこもっている建物を確認。レーザーで地点を指示する>
カーティスが言い終えるよりも早く、右で伏せていた観測手は三脚の装備を動かし、さきほどの建物に合わせた。
<こちらエックスレイ。指示された地点を確認、十秒後に空爆を行う。至近弾に注意せよ>
スコープから目を離した直後、イラク兵の死体があった建物が轟音とともに砕け散った。瓦礫は四方八方に飛び散り、付近を飛んでいた鳥たちが一目散に逃げていく。白く塗られた鋼鉄の殺人鳥は、ミサイルを放っても気にすることなく、悠然と空中散歩を楽しんでいた。
カーティスは観測手とともに建物を降り、下で待機していた仲間と合流した。中東の暑さから逃れるように、四人の男たちは壁にもたれかかっていた。
「隊長、派手にやりましたね。いったいどんな爆弾を隠してたんですか」
エルマー・アビントンが言った。彼は分隊のなかでもっとも身長が大きい。四角くくり抜かれた窓から差し込む光が、彼のスキンヘッドを反射している。
カーティスは笑うと、
「軍曹。あんな威力の爆弾が携帯できるなら、いまごろそこかしこで爆発が起こってるだろうよ」
カーティスは面々を連れて外に出た。厳しい紫外線から目を守るため、兵士はみなサングラスを着用している。西にはナジャフ海があり、周囲の砂漠と相まってオアシスのようにも見えた。
ナジャフにたどり着いたものの、いまだ制圧は完了していない。さきほどの空爆要請がその証拠だった。
数時間前には、第五〇七整備中隊が、ナシリヤ市内のイラク軍が守る区画に迷い込んでしまった結果、猛烈な攻撃に遭い、壊滅的な被害を受けたという連絡が舞い込んだ。アメリカ軍で救出作戦が練られているという。
分隊はM1A1エイブラムス戦車1輌の側面につき、ほかの兵士たちとともにナジャフ市内の通りを北進した。周囲に立ち並ぶ家には誰もおらず、不気味なほど静かだった。
「静かですね」
観測手のアレン・イングリスはM4を構えながら、警戒しているカーティスに言った。ヘルメットの隙間からは、金色の髪が一部はみ出している。カーティスと同じ方角を見ている二重の瞼は、乾燥した空気の影響か頻繁に開閉していた。
「このまま大統領宮殿まで散歩したいもんだ」
アレンの後ろを歩いていたエルマーは、
「そりゃあ無理ってもんですよ。正規軍はまだいいが、民兵どもは普通じゃねえ。戦車相手に、機関銃をつけただけの中古車でなにができるってんだ」
「だな……ベッドが恋しい」
部隊が交差点に差し掛かろうとした瞬間、北西の建物の二階からロケット弾が撃ち込まれた。
「待ち伏せだ!」
ロケット弾は、エイブラムス戦車の傾斜した砲塔によって弾かれ、背後の建物に突き刺さった。
カーティスたちは即座に左右の建物の壁に張り付いた。ロケット弾の着弾を合図にして、銃弾が降り注ぐ。エイブラムス戦車は弾丸を弾きながら、極めて冷静に砲塔を敵に向けた。エイブラムス戦車の主砲をもってすれば一瞬でイラク兵を肉片にできるだろうが、戦車とこちらの距離が近すぎる。周囲にいる全員が耳を塞ぎ、口を開けた。
直径百二十ミリの砲塔が火を吹き、巨大な砲弾が敵のいた建物を直撃した。耳鳴りが頭に響き、目が眩む。どうにか復帰したカーティスたちは、交差点を渡り、砲撃した建物周辺の捜索すべく北西を目指す。砲撃を受けた部分は崩落しており、数秒前の形をとどめていなかった。
目的の建物まであと百メートルというところで、再びイラク兵たちと交戦状態になった。住宅が密集していて、非常に狭い。カーティスはM4を構えると、前方の角から銃だけを出して乱射する男を撃った。一発は外れたが、二発目はグリップを握っていた相手の左腕を吹き飛ばした。悲痛な叫び声が響いた。近くにいたアメリカ兵が対戦車兵器のAT4を敵に向けて放つと、声は訊こえなくなった。
※
敵がいないことを確認し、エイブラムス戦車の元へと戻ったカーティスたちは、息をつく暇もなくさらなる戦いに駆り出された。部隊から三百メートルほど前に、イラク軍機甲部隊を発見したのである。T-72が一輌姿を見せた。冷戦とともに置き去りにされた、ソビエト連邦の残骸。銃声と砲撃音が激しく、会話するのも精一杯だった。T-72が放った砲弾は、甲高い金属音が鳴り響くとともにエイブラムス戦車の履帯を撃ち抜いた。
「お前たちはここに残れ。俺は右の建物に登り、狙撃で援護する」
「観測はどうしますか!」
アレンが言った。
「この距離なら必要ない!」
建物のドアをぶち破ったカーティスは、M1911A1を手にクリアリングをしつつ、屋上へ上がった。スコープの蓋を外すと、ボロボロになった木製の柵のあいだにL96A1の銃身を通し、二脚を立てる。銃床に右の頬を当て、丸い視界を覗き込む。フセインの手下は、世界最強の軍隊と必死に戦っていた。
マガジンが装着されていることを確認し、ボルトハンドルを引く。ちょうどRPG-7を構えていた兵士に向けて撃った。腹に命中した弾は男の右半分の脇腹を抉った。体勢を崩した状態で発砲したせいか、ロケット弾は付近の壁に直撃し、辺りの兵士三人を巻き込んだ。腕や足が飛び散り、霧状となった血が、砂塵とともにうっすら漂っていた。
エイブラムス戦車の砲撃がT-72を直撃した。正面の装甲に大きな穴が開いたかと思うと、火が上がった。車内にいた兵士たちが火だるまとなって這い出で、地上に転がり落ちる。恐れをなしたのか、生き残りは彼らを放って逃げていった。容赦なく身を焼かれた兵士たちの動きは徐々に遅くなり、金切り声も萎れ、動かなくなった。
<こちらブラボー1。イギリス人、適切な援護に感謝する>
エイブラムス戦車の側にいたアメリカ兵のひとりがこちらに向けてグッドサインを向けた。カーティスは笑いながら返す。エンジン音を訊いたカーティスは、瞬く間に真顔に戻った。
スコープを覗いたさきでは、燃えるT-72の背後から、砂塵にまみれた中型のオンボロ車が走ってくる。乗っているのは運転手ひとり。武装はしていない。後部座席には黒いなにかが積まれている。
地上の味方は攻撃を始めた。だが、T-72の残骸が邪魔でうまく当たらない。
『停車せよ!』
拡声器を持ったひとりが警告したものの、まるで従う様子はなかった。むしろスピードを上げたように思える。カーティスはフロントガラスの少し下を撃った。弾は男のすぐ右に当たった。
それでも止まらなかった。アラブ系の濃い顔をした運転手は、眉間の皺を一層きつく寄せた。
『止まれ!』
戦車の左を通過した車は、二百メートルにまで迫っていた。カーティスは照準を車のタイヤに合わせ、左前輪を撃ち抜く。バランスを崩した車は軌道を大きくずらして数メートルほど進んだ後、左の家屋に突っ込んだ。通りにいた兵士たちは攻撃を止めた。
スコープをずらして運転手を見た。ハンドルに強く頭を打ち付けたからか、頭から血を流している。
彼が目をつむった直後、カーティスの視界が反転した。
猛烈な爆風とともに衝撃波が周囲を襲い、伏せていた彼もそのまま後方に吹き飛ばされ、コンクリートの仕切りに打ち付けられた。あまりの衝撃に息ができず、倒れ込んだまま激しく咳き込んだ。視界はひどく歪み、脳は酸素を求めて口を無理やり開かせた。
両手を使ってどうにか起き上がると、彼は唖然とした。T-72の残骸が、後方に十メートルほど吹き飛んでいる。運転手も、彼が乗っていた車も、突っ込んださきに建っていた家屋も、爆心地を中心に跡形もなく消えている。爆発のすさまじさを物語る黒煙が、ただ天高く伸びていた。プレデターは飛行軌道を変えて警戒している。
狙撃銃を回収したカーティスは、おぼつかない足取りで建物を降りると、戦車の側にいた部下たちと合流した。
「みんな無事か」
アレンたちを含め、死者は出ていないようだった。アメリカ兵のうち数人は吹き飛んだ衝撃で骨を折ったようで、友軍が連絡を取る側で寝そべっている。
「アレン以下五名、大したケガはありません」
「そいつはよかった」
カーティスは心の底から安堵した。彼は運転手の男に思い直す時間を与えるため、あえて威嚇射撃を行った。それが車の接近を許し、死者を出したのなら、それはカーティスの落ち度だ。自分の甘さが、味方を死に追いやることになる。タイヤを撃つこと自体、本来なら褒められることではない。迅速に運転手を射殺するべきだった。
部下全員の生存をあらためて確かめたカーティスは、もう一度爆心地を見た。即席爆発装置を使った奇襲攻撃。イラク戦争が始まり、正規軍、民兵を問わず、敵は奇襲してくる。圧倒的な戦力差から、イラク軍や民兵が正攻法を避けざるを得ないのはわかっている。そう頭ではわかっていても、卑劣な戦い方を許すことなど、到底できなかった。