気狂い教授の講釈①
アリス一派のプロフィールについては、こちらのページをどうぞ。
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作中の魔女についてはこちら(ネタバレ注意)
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まずは何を語るべきか。それはそう、あの男に出会った頃からだ。
その頃のわたしの世間による地位は、件の大戦で利き腕を失くした、哀れな若い医学生だった。
出会ったその男は白衣を着ていて、明るいミントグリーンの瞳をしていた。自身を『アラン』と名乗った。
見た目はわたしの両親とそう変わらない年齢に見えたが、驚いたことに、彼は産業革命以前、ロンドンに霞がかかる前の英国を知っていると、酸いビールを飲みながら酒場で語った。生まれはそれより三〇〇年も前である。彼は神が与えたもうた死を克服した錬金術師……不死者だった。
彼がわたしに教えたものは多い。『アリス』はその一つだった。
アランは、科学者であり、錬金術師であり、医師であり、実業家であり、教授であった。
わたしが彼を『知識の神だ』と称賛すると、彼はいつものむっつりとした表情のまま顔をそむけて、細く長い溜息を吐く。
アランは研究所を一つだけ持っていた。小さいが、設備は最新のものが揃った研究所だった。中には新しすぎて用途のわからない器具もあった。
彼の元にはたくさんの人が集ったが、しかし、彼の隣を許されていたのは一人の女だけだった。名を、『ソフィ』という。姓はわからない。年齢も。
彼女は美しい女だった。紫色の不思議な瞳をしていた。
彼女について、忘れられないエピソードがある。
研究所に押しかけてくる学者の一人が、ソフィに恋をした。なにせ半世紀以上も前のことだ。名前どころか、姿すらも曖昧である。それどころか人種さえも、白人だったかインド人アジア人だったか。その辺も良く覚えていないが、傲慢を勇気と勘違いしているような男だった。
彼は、『あんな爺ではなく、自分と一緒に』と、(三割の内容はアランへの罵詈雑言だったが)口説いた。こともあろうに、アランが唯一持っていない『若さ』を武器に誘惑したのである。
それもわざと、わたしを含めた彼の知人友人がいる隣の部屋で。
わたしたちは彼のアランへの不満の言葉も、ソフィへの愛の告白も、いかにアランがソフィにはふさわしくないかという演説も、そのあとの、切々としたソフィへの情熱的な懇願も聞いていた。
内容はどれも危ういもので、それを情熱的で勇敢と取るか無謀な死に戦と取るか、微妙なところであった。わたしはそれを聞いていて気分が悪くなったが、彼の友人は面白がって、賭けの材料にするものもいた。
半時ほどだったか。『返事を聞かせてくれ』という風になった時に、彼女は黙り込んでしまった。大人しい女だったから仕方ないとわたしたちがソフィに一抹の哀れさと、彼が焦れて襲いでもするのではないかという不安を抱いた頃に、女は口を開いた。
――――わたしには今、とてもほしいものがあります。
『それは何だい』
――――あなたが持っているものですわ。
『君が貰えるなら、なんでもあげるよ。今すぐ取ってくる』
――――本当に? では、あなたがわたしに色欲を抱いた理由が知りたいのです。あなたの脳を調べる権利をいただける?
『………』
――――言葉通り、報酬は免除としても良いですね?首から下もサンプルにいただけると助かりますわ。ついでに脳内物質の量と四肢の反応の関係についても実験しましょう。ベットに寝てくださる? ああ、助かったわ。アランにこの実験の検体はできなかったの。だってアランったら、わたしの肉体には少しも興味が無くって……あら?
ソフィは、逃げ出した男の背中を見送った後に大きなため息を吐いた。
――――なあに。あの人……詐欺師だったのかしら。
二年ほどすると、いつしかその小さな研究所は、わたし以外は立ち寄らなくなっていった。
アランと彼女がそう仕向けたのだろう。小さな研究所は、みるみる閉塞としていった。
のちにわたしが、『アリス』と呼ぶことになる『システム』を知ったのはその頃である。
わたしは、若い身で片腕を亡くしたことを怨んでいた。それは今でも同じである。燻ることもなく、ただ赤々とこの胸の内で燃えている。
わたしは兵士ではなかった。軍に属していたわけでも、望んで志願したわけでもなかった。
戦争になど行きたくは無かった。その時は何より勉強がしたかった。けれど、それを言える世の中ではなかったのである。
……いいや、本当は分かっている。悪かったのは、抗わなかった自分自身だ。これらは憐れな男の過去への追いすがりという、一つの懺悔と受け取ってほしい。
あの頃のぼくは若く、幼く、夢に向ける情熱と、怒りに向ける情熱とも、あわせ持っていられる力があったのだ。
あの夢物語は、東洋の小説の様に、わたしの前に一つの糸となって垂れてきた。それは一抹の『希望』『可能性』というものだ。
―――――世界を変えられるのかもしれない。
その誘惑の糸は、甘く苦い青春の味がしたのである。
実験内容を書き記す。
彼女がわたしに求めたのは、自らの『魔女』という生命としての『システム』の解明、ひいては人類の未知なる能力の究明である。また、わたしが求めるのは、魔女による願望の実現である。
双方の見解は一致している。わたしの求めるものも、彼女の研究で明らかになるだろう。
まず、提供された彼女の卵子を使用し、受精卵というものを精製。ここまでなら、ただの人間しか生まれない。受精卵には特殊な魔術的処置を施し、それなりの給金で募った被験者女性ら十三人に、代理出産してもらうことになった。
世論や宗教団体の目から逃れるため、郊外の土地を買い上げ、実験は隠れるように、母体たちとの日々の生活も交えたものになった。
後の世でいうところの『体外授精』『代理出産』は、アラン博士より直接もたらされた技術である。あと三十年ほどで実用可能だという技術を、世界で誰よりも早く手にできたことを嬉しく思う。
『魔女』の『子育て』について、わたしは詳しく彼女に聞くことができた。
いわく、純血の魔女に連なる女は、必ずしも子供を自ら育てるわけではない。子育ては、『父親』の種と、『環境』に応じて変化する。この場合、『父親』は人間である。
生まれた子供たちは、無事に出産された。いたって普通の子供であった。
外見の特徴としては、父親の個性が強い。男女比率としては、十人中八人が女児である。うち、一組の男女双子が含まれる。女児が生まれる確率が高いのかもしれないと仮説を立てる。
『魔女』となるのは、女性体であるという。ただし、環境によっては途中で性転換する場合も無きにしもあらずだという。しかし今回は『父親』が人間であるため(当然だが、人間は勝手に性転換しない)、無いだろうという。
子供たちは健康であったが、母体となった女性たちは、しかし全滅であった。どうやら、人の身には『原初の魔女』を産むには小さすぎるようだ。これが分かっただけでも、事後処理の資金と手間は報われる。
半年後に、第二班の四人が出産した。これら半年の間に、母体たちとの意思疎通に齟齬が起こる。出産直前に、母体一人が逃亡する騒ぎになった。外の人間が助力したとの報告。場を収める。恐れた事態にならなかったことが幸い。
逃げた母体も含め、前回同様に全員が死亡した。やはり半数以上が女児。
生後一年。特に十四名の子供たちに変わった様子は見られない。
生後三年。異変あり。三年の忍耐が報われたのか、それとも無駄になったのだろうか。
まず、男児Aが失踪した。原因不明。部屋は他の子供たち、研究員五名の眼もあった。
彼らは、『子供が大人の脚の間をくぐる遊び』(正式名称不明)をしていたため、全員が手、またはどこかしらを互いに触っていたはずだと説明した。問題の男児Aは、女児Cと、研究員Sに、それぞれ両手を繋げている状態であった。
女児Cから、研究員Sの両手に、男児の片手が渡った瞬間、男児Aは消滅した。
報告はこれ以上無く、これ以下もなく、一番正確なものである。
それより四十日後、男児Bも失踪、同じ日の二時間後には男児Dも失踪した。全員で四名の男児は、これにより一名を残し、いなくなった。なお、残った男児Cは、女児Cと双子である。
仮説は数あるが、真実はまだ遠い。
研究は、わたしの一生をかけたものになるだろう。
古来、不老不死を望んだ者達の気持ちが、今となってはよく理解できる。この目ですべてを見たいと思うのは、はたして神の逆鱗に触れるほどのことなのだろうか。
失踪した男児三名について、魔女は言った。
「彼らは魔女にはなれなかった」
ぼくは実験を進めるだけ。結論を出すのは、魔女たる彼女だ。
ぼくの目的は、その経過にすぎない。
◎◎◎◎◎
ぷるるるるるる。
相変わらず目を閉じている僕の体は、おそらくベットに横になっているのだと思う。
それなのに僕は、どこか暗くてヒンヤリとした場所で、黒電話を耳に押し当て、どこかに電話をかけている。電話の形は見えていないのに、相も変わらず僕の脳裏に浮かぶのは、祖母の家にある黒電話だった。
ぷるるるるるるるrrrrr……ぷつん。
『ただいま不在にしております』
抑揚のない女の声が言う。
『ピーという発信音のあとに、メッセージをどうぞ』
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーー――ーー……………………。
『このキグルイめ! 』
―――――ブッツン!
◎◎◎◎◎
朝七時半に起床した。居間に降りていくと、見慣れた男たちと、見慣れない小さいのが、見慣れた食卓を囲んでいる。
「おあよう……」
「おーっ! おはよう! 今日から夏休みなのに感心だねえ純くん」
「おはようございます、坊ちゃん」
「おはようジュンちゃん! 」
にっこり。
うーん。やっぱり居るんだよなあ。未来の魔王様が。
さて、その朝食の席で、僕は切り出した。
「今日は、聖兄さんのお見舞いに僕も行こうと思うんだけどさ」
僕はさりげなく、ぐるりと三つの面々を観察する。まずコジロウさんが、朝のスポーツニュースからこっちへ向いた。
「でも純くん。聖のやつには昨日、わしが着替えやら持って行きましたよ」
「そうですよ。あの馬鹿にはこのおっさんで十分です」
コジロウさんが、おかわりを盛っている大陽兄さんを睨む。
「……ヒロアキィ」
「あれすいませんねぇ」
対する美女顔の美青年は、しゃもじを片手にお茶碗を差し出し爆弾級の笑顔。お茶碗がミシミシ軋んで、今にも兄さんの手により、食卓の上で電子レンジに突っ込んだ茹で卵のごとく四散しそうだ。
その笑顔を真正面から迎え撃ったコジロウさんは、ぐぬぬと唸りながら「この綺麗なゴリラめ畜生め」と、よく分からない負け惜しみを呟いて、うやうやしくお茶碗を受け取った。やけに大陽兄さんの機嫌が悪いのは、きっとコジロウさんが何か仕出かしたのだろう。
「でも僕、一度も聖兄さんのお見舞い行ってないし。ほら、夏休みになって時間もあるし、ね」
兄さんたちは、ちらりと視線を合わせる。
「……じゃ、わし車出しましょうか。仕事が入ってるんで、午後になりますけど」
「いいよ。午前のうちに自転車で行ってくる」
「いやぁ、でも、あっこはチョッと遠くないかい……なあ大陽」
「いいじゃあないですか。もう中学生ですよ。お嬢さんじゃああるまいし、それくらいの距離なんてことないですよ。坊ちゃん、くれぐれも車にだけは、気を付けてくださいよ」
大陽兄さんは、いつも通りに言った。
◎◎◎◎◎
通り魔事件は、昨年の末から始まった。
最初の被害者は、帰宅途中の会社員。次に三日と置かずに、駅前の路地裏でパート従業員の女性が蹲っているのが見つかった。彼女は病院に運ばれたけれど、証言を取る間もなく死亡。その次は、間を空けて一か月後、夜遊び帰りの大学生。いずれも逢魔ヶ時から夜明けまでの犯行だ。
被害者の年齢も、性別も、職業も一致しない殺人事件は、凶器の一致という点で同一犯であるという発表がされた。熊手のようなもので、胸から腹、もしくは肩から腰までを殴りつけて抉ったような傷があるという。
最初は出し惜しみされていたこの凶器は、三人目が発見されてすぐに公開された。
そして三人目から四か月、隠れた四人目の被害者がいる。それが辻 聖。二十一歳、彼女なし。僕が兄と慕う一人である。
聖兄さんに会いに行こうと思い立ったのは、もちろん目撃者だということもあるけれど、別の思惑もある。
「聖兄さんに話して、協力をもらえないかな? 」
「ふうん」エムは学習机に寝そべって、つまらなそうに言った。
「懸念は三つほどあるわね。①その人にアリスの影響はどれほどあるか。②この突拍子もない話を信じるか。③協力と言ったって、入院中でしょう? どこまでできるの? 」
「そうだな。①は会ってみないとどうか分からない。だって僕、最後に会ったのは十日も前だしね。②は、たぶん大丈夫な気がする。そういう人だから。③は……とりあえず協力がもらえれば、聖兄さんは何かしら自分ができる手助けをしてくれると思う。というか、僕が聖兄ちゃんに話したいんだ」
「なるほど……彼は信頼できる? 」
「兄さんたちは、みんな信頼できる。……けど、今のうちの状況では、家にいない聖兄さんが、僕は一番安心できる」
「なるほどねぇ。つまりあんたは、ほかの兄さんたちがアリスの手下になっているかもって思っているわけだ。分かったわ。いいわよ」
「本音に蓋する気はないわけ? 」
「臭いものに蓋をして、大事なことを見逃したらどうするの? 」