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少年Cの終末目撃証言  作者: 陸一じゅん
side.〈J〉oker

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24/28

振りかざす怒り

「純! 聞こえているの! 純! 」


 目の前で、白い手が降られていた。僕ははっとして、その手を掴む。

 暖かい湿った手を、ぐにぐに指先で触って確かめていると、上からくすぐったそうな笑い声がした。

 青い瞳が、緩んで僕を見返している。

「……アリス? 」

 姿を見たのは初めてだ。

 彼女は、大きな青い瞳をした女の子だった。華奢な体にブルーのワンピースを着ていて、髪は黒。肩ほどでボブカットに切りそろえられている。背は僕より少し低い。

 並外れた美人じゃない。テレビの雑踏に紛れていても、彼女をすぐ見失ってしまうだろう。

 アリスというのは、想像していたよりずっと『ふつうの女の子』だった。

 僕が座っているのは、見慣れた居間のテレビの前。流れているのは、アニメの再放送だ。


「あたし、これ好きなのよねぇ」

 アイスのスプーンを咥えながら、ふがふがアリスが言う。

「そうなんだ……僕はよく分からないな」

「ふうん。じゃあつまんないわね。変えちゃいましょ」

 アリスは片手で、慣れたようにリモコンを操作した。もう片方の手は、せっせとアイスを口に運んでいる。今気づいたけれど、さりげなく冷蔵庫にあった中で一番高いアイスを選んでいる。

「あたしはねえ、純。自分が特別だって思っているわ。そしてそれは、まさしく真実なのよ」

「スプーン、行儀が悪いよ」

「ひゃなしの腰を折るんじゃあないの。あたしはねえ、自分が世界で一番特別だって知ってんのよ。わかる? 」

「人の家のアイスを勝手に食べながらする話じゃあないと思う」

「特別だからって、別に何をしてもいいとは言ってないわよ。でも、なんでも出来ちゃうのは罪つくりよねぇ。そう思わない? 」

「君がやっているのは、泥棒と不法侵入と迷惑行為だからね? 」

「あら、迷惑してんのはこっちの方なのよ? 勝手に未来をコロコロ変えちゃってさ。あたしの計画がパーじゃないの」

「その計画、聞いたら教えてくれるものなのかな」

「そうねぇ。すっかりパーになっちゃった計画なんだけど、クライマックスの前に答え合わせをしましょうか」


 アリスはリモコンをテレビに向けた。

「映画鑑賞会といきましょ」

 ジリリリリリリリリリ………それはスクリーンの上がる音だ。

『綺麗ね! チェシャー』

 画面に少女の満面の笑顔が広がる。

『そうかあ? 百万ドルするとは思えないけどな。あと、今の俺はアレンって呼ばなきゃ』

 摩天楼の夜景を背景に、黒髪の少年が唇の端を釣り上げる笑い方をして顎を反る。ポケットに突っ込んだ指先は、黒いマニキュアで塗られていた。


『あっそうだった! 綺麗ね! アレン』

『百万ドルより安いけどな』

 ……なんだ。

 笑いあう二人は、まるで普通のカップルだ。

 しばらくして僕は、その『普通』の二文字を撤回するのだけれど。


 ◎◎◎◎◎


 視点は巡る。画面は変わる。

『アリス』、『ジェイムズ・フェルヴィン博士』、『帽子屋』、『チェシャー』、『エム』、『辻刑事』……そして『サキ』と『僕』。

 これはアリスが『死んで』から、同期した人物の名前だ。

「これで少しは、この世界の形が分かったかしら」

「君は、これだけの人間と繋がっていたんだね」

「あら逆よ。これだけの人間としか繋がれなかったのよ。あたしの本気はこんなもんじゃあないわ。街中の人と『同期』できれば、もっと話は早かったのに」

「君はどんな未来を見たんだ。何がしたいんだ」

「あたしの夢は、何度も口を酸っぱくして言ったじゃない。」ユラユラと、左右にアリスの丸い頭が揺れる。



「世界征服、世界をもっと楽しくすること。あたしの見たもの? そんなもの多すぎて、ウミガメのスープだわ。


 同じ始まり、同じ結末。違うのは筋書き。


 あたしは死ぬ。チェシャーはあたしを探し出す。美嶋純の早すぎる死。エムは生まれることなく消える。『神』は目覚める。また眠る。



 本日予報される未来です。『異世界管理局』は、お預けをしすぎると魔女の血を狩りだすでしょう。




 罠にかかるのは誰? 地球のお腹に降る雨は何人分かしら? 頭をシェイクして考えて! 」




 アリスは歌うように言う。まるで演説だ。




「三十人のキメラ? 百人の孤児? 二万人ぶんの新鮮な死体? 五百万の敗戦国の人たち? 七十億の人類?



 ああっ! 食いしん坊の悪魔たち! ごちそう一品で満足させるためには、『質』が重要だわ。特別な材料、特別なシェフ、特別な調理……」



「君が世界征服をするのは、世界のため? ……異世界人にとっての『特別な一品』になるために? 」

「あら、あたしはハッピーエンドが見たいだけ」

「……そのハッピーエンドに君はいる? 」

「人ひとりで駄目になる世界なら、滅びてしまえばいいのよ。あたしはそんなの面白くない。……手、血だらけよ」


 僕は机の下、膝の上の手を持ち上げた。握りしめた拳の爪先が尖って、皮膚を切り破っている。僕はゆっくりと、それを机の下に隠した。


「……僕の質問に、きみはなんでも答えるんだね。まるで魔女みたいだ」

「あたしはホムンクルス。小人の賢者。できそこないの魔法。脳あるウイルスシステム。あたしがこの世で知らないことなんて無いわ」

「本当に? 」

「だってあたしは、硝子瓶の小人。この世界のことならなんでも知っている。この世界はつまらないわ。くっだらないったら無いわね! あたしは特別! あたし以外に滅ぼされる世界! なんて腐った未来! おじいさまにもあげないわ! この世界はあたしのものなんだから! 神さまにだってあげない! 」

「……君は狂ってるの?」

「どぉしてクエスチョンマークを付けるのよ。見ればわかるでしょう? あたしは正気よ。あたしは全部を知っているだけ」

「酔っぱらいは、自分を酔ってないって言うんだよ」

「だからあたしは狂ってるって? その理屈じゃあ、あんたの頭は普通よね」

「……そうだよ。僕はおかしくなんて無かったんだ」

 ぱっちりとアリスの青い目が丸くなった。

「僕、何かおかしいことを言ったかな? 」

「……あなた、怒ってるの? 」

「僕は、あんまり怒らないよ」


 耳鳴りがする。頭の中心の痺れが、もうずっと戻らない。「……だから、こんなの初めてだ」

 ずっと胸の内で冷たい風が吹き、鳥肌が立っている。炙るように冷たい風で、血が波打って掻き回される。手はこんなに赤いのに、氷みたいに冷たい気がする。

「ねえ純。ねえ純! 人間には、普通が一番良いって思う時が来るのよ。普通に食べて暮らして、勉強や仕事をする。普通を繰り返す毎日を、いつか一番だって結論付ける時が来るのよ。それを求めることが、平和ってやつなのよね。でも、その前に必ず『普通なんてクソくらえ』っていう前哨戦があるものなのよ」

「そんなの知るもんか。僕は今までのままでいたかった。最初っからそうだったんだ。生まれた時からきっとそうだった」

「戦争があるから平和を知るのよ。そんなのはおかしいわ」

「じゃあ僕は、最初から戦争の中にいたんだ」

「それならおかしいのは、あなただわ。認めなさいな……あなたはキメラ。今の世で、最も魔女の血を濃く引いた一族のひとり。あたしの兄弟」

「僕の家族は、この家の人たちだよ」

「空々しい言葉だこと……あなたのことに気付かなかった他人を家族というの? あなたのちっちゃい頭より、でっかい隠し事を腹に収めた人たちを? 」

 血がつながっているだけが家族ってわけじゃない。なんでも知っているから家族ってわけじゃない。家族と認めたから家族になるわけじゃない。家族に嘘をついたら、家族じゃ無くなるわけじゃない。

 ……そう口に出せたら、すっきりしたんだろうけれど、僕の口から出たのは別の言葉だった。


「うるっせえなぁ……べらべら喋ってないで早く出てけよ! 」

 窓の外が燃えている。

 ここは僕の場所だ。燻して悪い虫を出さなくちゃ。


「純、ジュン……あんたはこれから、煉獄に放り込まれるわ。大事な時までに、どうかあなたがあたし好みの人になりますように」


 僕の家が燃えていく。僕の世界の皮が剥がれる。体を炙られながら、アリスは僕に笑った。


「肝に銘じてね、ジュン。そういう時、自分の衝動にあらがう人間が、わたしは一番つまらないの」



 ◎◎◎◎◎



 静かな夜だなあと思う。

 まだ八月にもなっていないなんて、僕には信じられない。庭に面した客間は、襖で仕切られて仏間がある。ご先祖様が見下ろすその畳の上に、三人の男の頭が下がっていた。

「やめてよ……。僕は、兄さんの土下座なんて見たくない」

「ですが坊ちゃん……」

「おっ! もういいですかい」

「おっさん空気読めよ! ……純、頭ぐらい下げさせてくれ」

「いらない。大事なことを言わなかったのは僕もだから。事情があったのは言わなくてもわかる。僕は確かに怒っているけど、あなたたちを信じてもいるんだ。家族だからね。それよりも……」

 僕は視線をスライドさせた。

 庭に面した縁側で、ビールを煽るその人を睨む。


「……でもお母さん。あんたは違うだろ。ほったらかしの息子に言うことは? 」

 やぶにらみの黒い瞳が振り返った。

「……なに? 一か月ぶりに息子に会ったら、反抗期が始まってたってわけ? 」

 隣に歩み寄ったコジロウさんが、母から缶を取り上げる。

「陽子さん。もうこれは潮時ですよ。坊ちゃんはもう大人の階段上っちまった」

 母はコジロウさんの手の中の缶を取り返すと、中身を干して立ち上がった。

 正面に立った化粧の剥げた母の顔を、見上げて僕は言う。


「お母さん、二人だけで話そう。僕は、お母さんから話してほしい」

「……もう少し子供らしくしなさいよ。馬鹿息子」


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