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侵食

 病院入院患者に、『辻 聖』という青年はいない。

 辻栄樹は、あきれ顔でそう言った巡査の言葉を、頭の中で繰り返し再生させ、頭を抱えた。

 七月十九日、意を決して二つも県を越え、この街に帰ってきた。都合よく異動が重なり、悲劇から逃げる様にこの地を離れて七年。

 死んだはずの甥と同居している少年に会ったが、彼とも病院でのごたごたではぐれてしまって以降、会えていない。

 殺されたのは、赤い髪の男だったそうだ。目立つ容姿だったので、何人もの患者や職員が、その男を覚えていた。勝手に写真を見せて聴取を取っていたら、やってきた市警察の巡査にとんでもなく嫌な顔をされ、追い出されたのだった。


 それからしつこく捜査状況を聞きまわり……巡査が漏らしたのは、『ツジアキラ』という患者はいないということ。今回の騒動は、殺人事件どころか死亡事案でもなく、『集団ヒステリー』だということ。

 では、死んで消えた赤い髪の男とは、誰だ?

 その赤い髪の男の顔は、写真を見せて聞き取りをしたところ、ほぼ間違いなく聖とイコールで繋がる。誰もが写真を指差し、『この男だった』と言うのである。中には言葉を交わした同室の患者や、担当した職員もいる。

 みんながみんな、聖の姿をした幻覚を見ていたというのか?


 栄樹は美嶋家の場所を調べた。

 市の中でも山の手。田畑の多く残る、古い家屋が多い地区である。美嶋家は、名前の通りこの土地に昔からいた一門で、今は美嶋母子の二人だけだという。美嶋家は母の陽子が多忙であり、数人の男を手伝いとして雇って、息子を養育しているという。田舎故のおおらかさか、これらの家庭事情は周知のことらしい。



 チャイムを鳴らすと、低く濁ったブザーのような音が、門の内側で鳴った。出てきたのは髭面の大男で、ぺらぺらの半ズボンだけを着て、アイスの棒を咥えている。

 男は栄樹の顔を見て、開口一番「あれ、もしかして聖のおやじさんかい? 」と、明快な笑顔を見せた。

「いえ、わたしは叔父で……」

「ふうん。そう。聖ならいないよ」

「……い、いつ、帰ってきますか」

「わざわざ聖に会いに来たの? あいつ、まだ数日は帰ってこないよ。電話番号教えてくれたら電話まわしたげるよ」

「そ、そうですね。おねがいします」

 栄樹は宿泊しているホテルの番号を走り書きした名刺だけを渡し、再び閉ざされた美嶋邸の門を茫然と見上げた。


 あまりにあっけなく、生きている聖の痕跡が見つかった。そのことが栄樹には信じられない。

 その時、栄樹はふと視線を上に向けた。……何かと目が合う。

 それは、小学生ほどの少女だった。二階の窓から身を乗り出して、栄樹に手を振っている。長い黒髪を二本のお下げにして垂らし、大きな瞳が栄樹を射抜いていた。

 にっこりと日に焼けた顔で栄樹に笑いかけた少女は、窓辺から姿を消す。

「……なんだったんだ? 」



 首をかしげながらその場をはなれようとした栄樹の背に、子供の声がかかった。

「ねえおじさん! 待って待って! 」

 おさげを揺らして駆け寄ってきた少女は、持っていた何かを栄樹の手に押し付けた。自らの手に渡ったそれに視線を落とし、衝動的に地面に放り出した栄樹に、甲高い抗議の声が上がる。

「あーっ! ひどい! 」

「きみ! これはなんのつもりだ! 」

「おじさんのものになるから、持ってきてあげたんじゃない! 」

 それを拾い上げた少女は、膨れっ面で栄樹を睨み上げた。親切に仇を返されたと言わんばかりの反応に、栄樹は顔をしかめる。


「聖の家族はあなただけなんでしょう? だから持ってきてあげたのに! 」

「頭がおかしいんじゃないのか! こんな、こんなものを……わざわざ……嫌がらせか! 」

「ひどい人ね! 聖のこと本当は嫌いだったのね! だからこんなことできるんだわ! 」

「あ……頭がおかしいんじゃないのかっ! こんな……こんなもの……」

 それは、ちょうど人間の頭ほどの大きさをしている。純白の布袋に収めてあり、光沢のある絹糸で刻まれた刺繍が美しい。地面に落とした時の音からして、中身はおそらく陶器の入れ物が入っている。

 少女の腕に収められたそれを、栄樹は忌々しく睨みつけた。

「骨壺を渡すなんて! 悪趣味にも過ぎる! 」

「……どうして怒るの? ひどい」

 少女は膨れっ面のまま首を垂れた。地面に水玉が落ちる。

「あ……いや……」


 おろおろと手を彷徨わせる栄樹を無視して、少女はシクシク泣き出した。腕には相変わらず、純白の骨袋に収まった何かがある。栄樹は、「もしかしてあの中身は、骨壺では無かったのだろうか」と思い直していた。

「……分かった。分かったよ。受け取るから。俺が持ち帰ればいいのかい? 」

 少女は濡れた顔のまま、こっくりと頷いて、その『骨壺のようなもの』を受け取った。

「受け取ったはいいものの……」

 見れば見るほど、骨壺の収められているとしか思えない骨袋だった。



 包みを抱えている道中、ひたすら気持ち悪かった。あまりに気持ち悪いので、足早に宿に戻ってきた栄樹は、その包みを部屋のクローゼットの中に押し込めてしまった。今はなぜそんなことをしたのか、つのる後悔に頭を抱えているところである。

 ベッドに胡坐をかいた傍らにはビールがある。酔いの勢いを借りなければ、こんなものを一人で開封する気にはなれない。しかし開封をするためには手に取らねばならず、手に取るには、クローゼットを開けなければならない。もともと栄樹は、旅が不得手である。初めて行った場所では、必ずクローゼットや押し入れなどを開けるのを躊躇う性質だった。


 テレビを大音量で流しながら酒を呷り、コンビニで買った辛いスナック菓子をつまみに詰め込む。口の中が乾くので、また缶を傾けた。そうしているうちに眠ってしまったようで、栄樹は枕もとで騒ぐ電話のベルで目が覚めた。


「フロントにお客様宛のお電話がかかってきています。お繋ぎしてもよろしいですか? 」

 栄樹は一気に覚醒し、固い声で『はい』と、受話器に頷いた。

 保留音が、これがまた子守唄のようなオルゴールである。十秒ほどの間を、栄樹は尻の置き場を探りながら待つ。

 そして無音の受話器の奥に、栄樹は語りかけた。


「……もしもし」

『――――なんで来た! 』

 一番に罵倒した男の声を、自分はもう分からないかと思っていた、濁流の様に蘇る記憶が、その懸念を否定している。

「……聖、か? 」


 チッ、と電話の男は舌打ちをする。目に浮かぶようだった。


「あ、あきら……聖、どうして、おまえ」

『俺のことは忘れろ。この街に来たことも。いいな? 聖は死んだ。俺は『ツジアキラ』じゃあない』

「でも、おまえは聖じゃあないか……! おまえ、何かまずいことにでも巻き込まれているのか? 何か言ってくれよ! 」

『じゃあ言ってやる。人違いをされて迷惑してんだよ。さっさと消えてくれ』

「お、おれは、お前の葬儀もしたんだよ! どうして生きてるって、手紙の一つでも……。このまま帰ったら、おれはお前を恨んでしまうよ」

『うるせえ! 早く帰れ! 』

「帰れるもんかよ! おまえは聖だろう! おれが聞き間違えると思ってんのか! 」

『ツジアキラは死んだ! 』

 受話器の向こうで叫ぶ聖の声に、かぶさるように少女の声がする。『ねえ聖……誰と話しているの? 』

『骨焼いたのはあんたじゃあないか! そうだろ! アキラは死んだ! 早く帰れ! でないと……』

『ねえ聖。どうして怒っているの』

『……俺は怒ってなんかいません』

『うそよ……怖い顔してる。聖、どこかへ行くの? 』

『どうしてそんな話に……ああくそ! 早くあんた、帰ってくれよ! 』

「おれは帰らないぞ! 帰るときはお前も一緒だからな! 」

『早く帰れって! 言ってんだろ……ちくしょう』

『ねえ、ねえ……聖……泣いてるの? 』

 受話器が沈黙した。聖の息遣いだけが聞こえる。


 栄樹はジッと声を待った。頭の血が下がっていくのを感じる。冷静になると、部屋の雑音が耳に付いた。

(……どこかで電話が鳴っているな。えらく長い……早く出てやればいいのに)

 ――――……リリリリ。

 ――――ジリリリリリリリ。

(なんだ? 様子がおかしいぞ)

 受話器の向こうの沈黙がいっさいの無音になっていることに、栄樹は気が付いた。

「……もしもし? 聖? 」

 どこかの部屋で、電話が鳴っている。

『ぶつん』

「聖! 」

 ツー、ツー、ツー……。ビジートーンが耳に刺さる。

「ぁぁああっ! くそっ! 」

 栄樹は受話器を叩きつけ、ベッドのスプリングを蹴りあげて立ち上がった。


(美嶋邸をもう一度訪ねよう。まず服を着なくては)

 クローゼットを開け、鞄を引っ張り出す。ふと顔を上げて、クローゼットの上に鎮座する、白い骨袋が目についた。……もはや恐怖は感じない。睨みつけて、クローゼットを閉じる。

 ――――ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。

(うるさいな! まだ鳴っているのか! どこの部屋だ! )

 ――――ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。

(……そういえば、部屋の電話はこんな音だったか? もっと、リンリンというような音だったような)

 栄樹は動きを止め、耳を澄ました。

 ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。ジリリリリリリリ。ジリリリリ……。

(どんどん……近づいてきている、ような)

 冷たい汗が流れる。

 栄樹は手早く服を整えると、鞄を掴んで部屋を飛び出した。


 強い風が顔を打つ。


 そこは、あの日の夕日のような、血の様に真っ赤な空が広がっていた。


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