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チェシャー猫は笑えない②

 季節はほぼ冬だ。無人のスカイデッキには、四隅に淡いブルーのライトが設置されているだけになっている。

 星空をくらませるネオンの海を背景にして、アリスがそこにいた。



「さて、まずは警告とやらの方から聞きましょうか? 」

「本当に話を聞いていたのか」女はわざとらしく言った。

「ティーセットにだって耳はあるでしょう? 早くお話を初めてちょうだい」


「ふむ。話が早くて助かるな。警告というのは、貴殿のやろうとしていることだ。管理局は、もうずいぶんと前から『魔女』という存在を認識し、警戒している。彼女たちはその世界に寄生し、欲望の赴くままにその世界を作り替えていく。そして最終的に待つのは世界の破滅であると……」


 俺は、女の言葉を遮った。

「ちょっと待て。あんたの言う『魔女』とは、俺たちの知る魔女なのか? 」

「そうだ。『魔女』とは、もともと異界より訪れる研究者の一族のことである。魔女とは膨大な知識を保有し、未開の地へ赴いては、知識と自らの体を与え、子孫を残し、より強い種の確立を模索する。彼女たちの持つ欲望とは、その底知れぬ知識欲だ。彼女の血筋は彼女の目となり、実験結果を観測する。ひとつの文明を実験と称して発展させ、滅ぼす。そんなことを繰り返す。彼女たちにとって、あなたも、あなたも……生体実験用マウスと同等だ」

 女は、手を上げて俺たちを一人ひとり指さした。


 アリスは言った。

「そんなことはずっと前から気づいているわ。わたしは魔女がジェイムズに作らせた、おっきな監視カメラみたいなものなのよね? わたしの『システム』はそのためのもの。今この時も、魔女はわたしを通して実験結果を記録している。彼女は確かに脅威的……それでも問題になっているのは、魔女じゃあなくてこのアリスちゃんの存在なんでしょう? わたしの時間は高くってよ。前置きよりも、早く本題を話しなさい」



「我々は、貴殿が近い未来に行う活動に、警告を授けに来た」

「警告ねえ。わたし、まだ計画の半分も達成していないわよ」

「いいや、あなたは確実にその計画を成功させる。そしてこの世界を掌握することになるであろう。そして、『魔女』ですら退けるほどの力を付ける」

「遠くない未来っていつかしら? 」

「それは答えられない。警告というのは、その能力を他世界に伸ばすなということだ」

「その予定は無いのだけれど。それとも、それも確実な未来とやらなのかしら? 」

「そういうわけではないのだがね」

「あなたは言ったわよね? 保証はできない。考慮する。わたしもそう。わたしには、未来がどう転ぶかわからない。手段に必要なら、未来のわたしはそうするでしょう。おじいさまを殺したようにね。ただ、現時点ではその気はないわ。そう伝えなさい」

「ふむ。わかった。では商談の話に移ろう」

「そうしてくださる」


 これらの会話の間、アリスの笑顔はちょっとも崩れていない。俺は視線を戻し、異世界人だという女を注視した。


「商談というのは、我々にあなたの持つあるものを、売買してくれないかということだ」

「もったいぶらないで。『あるもの』とは何」

「あなたと他の『キメラ』、『ホムンクルス』。それらが死亡した際、その遺体を回収する許可をいただきたい」

 息をのんだ俺とかぶせる様に、アリスは大きなため息を吐いた。


「あなた方も魔女と同じってわけね。いいえ、話によっては、魔女より性質が悪いわ……参考に聞くけれど、この体を使って何をするの? 」

「あなたの肉体は、『魔女』を解明するために極めて重要な検体と成り得る」

「魔女と戦争でもするつもり? 馬鹿ね。彼女たちは人間みたいに争わないわよ」

「いいえ、いいえ。主人は知りたいだけなのだ。魔女の肉体、つまり、自分という生命の仔細を……」

「……なるほど。使い道は魔女のやり方そのものってわけね」


 そうか。こいつの主人は魔女なのだ。

「それなら自分の体を調べればいいだろう! 」

 叫んだ俺の方向に、女の首がぐるりと回った。ガラス玉のような黄色の目が向けられる。


「主人は自らの肉体を調べ上げた。度重なる実験に、主人の小さな肉体はすでに無い。主人は『他の魔女』を知らないのだ。検体は多ければ多い方が良い。この世界には、魔女の末裔が六十億も溢れている。そのうちの三十人ばかり、それも死体だ。とくに不都合が見当たらないように思うのだが? 魔女の縁者として、アリス嬢は魔女の思想にも理解があると見える」

「ええ。そうね。理解できるわ。でも納得はできない。その三十人の死体には、このチェシャーを初めとしたわたしの家族も当然含まれているのでしょう?」

「主人も知りたいだけだ。それはなんら、責め立てられることではないだろう。知識の独占こそ、罪ではないのか? 」

 ―――――――私は知りたいだけ? これは罪ではない?



「てめえ……! アリスに博士とおんなじこと言いやがって! アリス! もう交渉は決裂でいいだろ! ぶっ殺してやる! 」



 躍りかかった俺を、アリスは止めなかった。

 俺の体の肉という肉が、引きちぎれんばかりに膨れ上がり、四つん這いになって跳躍した脚がコンクリートを削り取る。


「失敗……ですか」

 女もまた、変貌する。


 口が笑みのかたちに耳まで裂け、後頭部を通ってバックリと二つのパーツに折れる。下あごの中は、赤黒い穴が広がっていた。生白い肌にはうろこ状の亀裂が走り、内側から肉が裏返る。

 出来上がったのは、肉色をした蚯蚓のような何かだ。それはおそらく人類の骨格を内包しており、糸の絡まったマリオネットのように、奇怪にして不器用に肉体を操作している。


 癒着した指のような部位を俺の方に向けると、それは弾丸のようなものを発射させた。素早くスカイデッキの端から端に逃げた俺を追い、肉の怪人は地面を這うように素早く移動した。

 ……いや、違う。奴の体は伸びている。伸びるスピードは、俺が地面に足をつけるのを躊躇うほどに早い。体を蛇腹が伸びるように伸ばし、俺を追いかけるうちに、やがてデッキを囲むほどにも長くなった。

 脚が跳ね上がった蛇腹に打たれる。


(しまった! )


 六十階を超すビルからまろび落ちる。ビル風が柔らかい腹を打ち、背中の筋肉を絞るように固くし、俺の柔らかい足の裏が、落下の衝撃を最小限に抑えた。

 落ちたそこは、ビル五十階の横に張り出したバルコニー式のレストランである。スカイデッキと同じく、十一月の寒空のために無人だったのは不幸中の幸いだった。


 机を引き倒して現れた黒い猛獣を見て、バルコニーの内側で、客やスタッフが騒然としているのが見える。俺は上を見上げて、奴が降りてくるのを待った。

 尻尾をスカイデッキに置いて、壁面を削り取りながら、奴は重力に従って落ちてくる。ばねが伸びるさまに似ていた。

 落ちてきた頭へ、顎を開けて齧りつく。弓なりに曲がった分厚い爪は、肉を削り取るためにある。ぶちゅりと、生臭い液体があたりに飛び散った。肉怪人は、ぶら下がったまま振り子のようにもがく。殺すつもりの喧嘩だ。離す気はない。


 その時、アリスとの同期があった。

 ――――こいつを逃がせって? 馬鹿言うなよアリス!


 見開いたままの俺の目に、アリスからの映像が浮かぶ。ヒトが三人。……あれは帽子屋? あいつはチビ三人を連れて、車で先に帰ったはずである。襲われている? まさか他の異世界人に? だとしたら、狙いはチビたちだ。

「――――くそっ! 」


 牙から逃れた蚯蚓肉は、好機とばかりに俺を振り落した。

「てめえの主人に伝えな! 交渉するんなら、次はもっと上手くやれってな! 」

 腹立たしいのは、アリスにはまだ『交渉』をする気があるっていうところだ。

「他のことなら研究に協力してやってもいいってよ! 」

 ずるずると、奴は長い体を引きずって屋上へ帰っていく。

 それを見届ける間も、俺の視界には、自分で見ているレストランの惨状とは別に、帽子屋とチビたちのいる光景が点滅していた。アリスがしきりに急かしている。

「行くぞアリス! 」

「チェシャー! 」


 現れたアリスが、俺の毛皮を掴む。俺はアリスを背に乗せ、バルコニーの柵を飛び越えた。

 溶かしたガラスの様にネオンが歪み、渦巻いて遠くなる。強いビル風は俺を押し出すように吹いたっきり、ぴたりとやんだ。着地した時に感じるのは、地面と土埃だ。


 おれはゆっくりと人の姿に戻りながら、ヘッドライトを点滅させている襤褸車に歩み寄った。仰向けに綺麗な顔をゆがませて、帽子屋の頭が大穴の開いた後部座席から飛び出している。

「なっさけねえなぁ、帽子屋」

 逆さまになったまま、帽子屋は悪態をついた。

「うるせぇ、バケモノども」


 ◎◎◎◎◎


 こいつらは、どうやら俺を必要以上に痛めつけることはない。自分を『神官』と言ったところからして、こいつらにとって子供を痛めつけるのは神の教えとやらに反する行為なのかもしれない。

 神、ねえ……。

 俺は、奴らの格好を思い出した。黒い立襟の上着の上に、白いローブのようなものを重ねたもの。ところどころに付いた金具の細工からして、わたし服ではないだろう。法衣と司祭服を混ぜたような、独特の形をしている。

 あんな服を着る神官? 俺は、各地の神話や信仰文化についても、そこそこ勉強させられている。けっして深い造詣があるわけではないが、浅い自覚もない。その知識の中に、あの神官服は見当たらない。金具にも、十字架のような分かりやすいエンブレムがあるわけでもないのだ。

 あいつらは何だ? 異世界人か?

 まあ何にしろ、もっと早く口を利けば良かったかもしれない。交渉が上手くいかなかったとしても、あいつの様子からして、突けばそれだけポロポロ溢しそうだ。


 さて、正式に『交渉』の打診があったのは、その翌日のことだった。



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