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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

香月古書店

香月古書店と黄昏の少女

作者: シアン

町の外れにある古書店。

名前は『香月古書店こうづきこしょてん

この店の店主である香月昴こうづきすばる は、古びた曇りガラス越しに降り注ぐ柔らかな光を背に浴びながら、とある少女が持ってきた本を読んでいた。

「ど、どうですか?」

艶やかな黒髪を結い上げる勿忘草色の簪飾りを首の動きに合わせてシャラシャラと揺らす、不安げな少女。

彼女は桐生沙夜きりゅうさよ

彼女は香月に古書を買い取ってもらいに来ている。

「なかなか良い本だ。状態も良いし内容も悪くない。買い取ろう。」

「あ、ありがとうございます。」

不安げな表情から一転。花の綻ぶ様な笑顔がこぼれ落ちる。

「買い取るのはこれだけか?」

「あと、同じ著者の本が何冊か…」

「そうか、またあとで持ってきて貰えるか?」

「ええ、喜んで。」

彼女は丁寧に礼をして、香月古書店を後にした。




香月は疑問に思っている事があった。

さっきまで居た少女_沙夜は香月古書店このみせの常連で、いつも黄昏時に家で眠っていたという古書を売りに来る。

…のだが、彼女が売る古書は全て同じ著者の本なのだ。

著者の名前は『一条葉月いちじょうはづき

彼女曰く、「母方の親戚の売れない作家の本」らしいが、内容は冒険譚から恋愛譚まで幅広く、色鮮やか且つ優しい文体は「売れない作家」の物とは思えない。

そしていくら無名の作家の本とは言え、数多くの古書を見てきた香月が初めて見聞きする本がほとんど、と言うのは流石におかしい。

『一条葉月』が著したと云うこの本は一体何なんだろうか、と香月は考えていた。




宵闇の中、石炭の上に牡丹雪がふわりと乗った様に蒼白く浮き上がる少女_沙夜は香月に小さな小さな嘘をついていた。

彼女の嘘とは『彼女が売る本が母方の親戚の売れない作家、一条葉月が著した物だ』と言う事。

本当は彼女が売る本は彼女自身・・・・が著した本だった。

なぜ彼女はそんな嘘をついたのか。

彼女は香月に淡い淡い恋心を抱いていたのだ。


彼女には家族以外は誰も知らない秘密が有る。

その秘密の所為で彼女は日の光の下を歩けず、他の同じ年頃の少女達の様に学び舎に行くことも町に遊びに行くことも出来なかった。

そんな彼女は屋敷の中で見つけた本を読み、そして『本』に惹かれていく。

そしてある時、屋敷の中に有る本だけでは我慢が出来なくなり、日の沈みかけている黄昏時に屋敷を抜け出した。

そして、そこで出会ったのだ。

『香月古書店』と『香月昴』に。

それから彼女は黄昏時に屋敷を抜け出し、香月古書店を訪れるようになった。

最初の頃は、香月古書店にある沢山の本を目当てに。

最近は、香月昴に会う為に。

しかし、彼女は本を買う事が出来ない。

彼女は親から小遣いを渡されておらず、自分で稼ぐ事も出来ないので金銭を持ち合わせていないのだ。

本を買う事が出来ないのに何度も店を訪れることを心苦しく思った彼女はある案を思い付く。

本を買う事が出来ないならば、本を売れば良い。

屋敷の本を勝手に売る事は出来ないので、自分で書く事にしたのだ。

『一条葉月』という名を名乗って。




伸びすぎた前髪が切れ長の目にかかり、元々無愛想な店主は余計に無愛想に見える。

シンプルなシャツ、黒いズボンと上着、マフラーで身を固め、沢山の古書に埋もれている店主。

彼は沙夜が来るのを待っていた。

彼女_沙夜はいつも3日に1度、決まって黄昏時に香月古書店このみせにやって来る。

『一条葉月』の本を胸に抱えて。

今日は彼女がやって来る日で、もう辺りは宵闇に包まれているのだが彼女がやって来る気配が無い。

(まあ、そういう日もあるだろう。)

少し寂しく思いつつも店仕舞をしようと店の外へ出る。

いつもと何も変わらぬ黄昏時。

違うのは彼女が居ないという事だけ。

だが、人より鋭敏な彼の鼻は微かな鉄臭さを嗅ぎ取っていた。

(……?怪我をした動物でも居るのか?)

訝しく思った彼は匂いを辿って店の脇の山道へ辿り着く。

山道を少し登るとそこには

「っ……!」

彼女の勿忘草色の簪飾りが紅い血溜まりに沈んでいた。

嫌な予感がした彼は必死に血の匂いを追って、山の中へと踏み込んで行く。




「うっ……」

鈍い頭の痛みで目が覚める。

見渡す限り木々が生い茂る此処は何処だろう。

沙夜は今日も香月古書店に本を売りに、香月に会いに屋敷を抜け出した。

…のだが、香月古書店へ向かう山道の途中で、頭に強い痛みを感じてからの記憶が無い。

もしや自分は足を滑らし、山道から外れてしまったのだろうか。

見覚えの無い景色の中で一抹の不安が胸をよぎる。

「…目が覚めたのかい?」

「っ!」

いきなり背後から声がかけられる。

湿っぽい冷たい声。

その声には薄気味の悪い甘さがこもっていた。

「どなたですか?」

「いや、俺はただの木こりだよ。ただ家に帰ろうと思ったらあんたが倒れてるもんだから、驚いちまってね。」

木こりだという男はニヤニヤとしながら話し続ける。

男の話を信じるならば沙夜が倒れていた所を心配して助けてくれた事になる。

だが…

「嘘ですね。」

「いやいや、何を言うのかい?俺があんたを助けてやったというのに。薄情だねえ。」

「この山は桐生家わたしのいえの所有物です。桐生家の者以外が足を踏み入れる事は許されません。」

「おや?そうだったのかい。それはすまないねえ、うっかり迷い込んじまったんだよ。」

「それも嘘です。この山には結界が張られています。迷い込む事は不可能です。あなた…人間ではありませんね。」

「なっ…」

男の顔が驚愕に歪む。

が、すぐに元の変に甘ったるい声と笑みに戻る。

「バレちまったかい。流石は桐生の『』だねえ。」

男の言葉に沙夜の表情が苦しげに歪む。

「まあ、いくら頭の回転が早かろうが忌み子だろうが所詮は人間の小娘。俺にとっちゃあただのエサだがね。」

「…本性を現しましたね。」

「別に、もうすぐ死ぬ小娘しか居ねえんだ。問題あるめえ。」

そうやって笑う男の顔はおぞましい蛇の様な顔だった。

「さあ、俺の贄となれ。」




血の匂いを辿り山を踏み分けて走る香月。

辿り着いた場所には何も無かった。

何の変哲もない草木を蜜色の月が照らす、それだけの場所。

だが、そこは、静か過ぎた。

香月はしばし躊躇い、そして決意する。

沙夜を助けるために自分の居場所を潰す覚悟を決める。

目を閉じ、大きく息を吸い込む。

再び開かれたその瞳は_炎を封じ込めた様に鮮やかな緋色だった

手のひらを何もない空間に当てて、力を込める。

すると、何もないはずの空間にピキピキと放射状のヒビが入っていく。

そして何も無かった空間に空いた穴の向こう側には、醜い蛇の怪物と華奢な少女が居た。




男が沙夜に手を伸ばしたその刹那、ピキピキと空間の一部にヒビが入り、穴が空く。

その穴の向こう側には

「…香月さん!」

彼女の片思いの君、香月昴が立っていた。

いつも無表情で無愛想な彼が、肩で息をして立っている。

沙夜を案じて必死で走ったのだ。

だが、

「誰だ貴様は。」

頬を桜色に染めた沙夜の顔が凍りつく。

「こ、香月さん、逃げてください!こいつは人間じゃありません。」

「そうさ、俺の結界をどうやって破ったのかは知らんが、殺されたくなければさっさと立ち去りな。」

下卑た顔で香月を嘲る男。

と、

「人間じゃない…か。奇遇だな。」

「は?」

「俺も人間じゃないんだよ、蛇男。」

男を見据える緋色の瞳は悲しいくらい美しかった。

   




蜜色の月の柔らかな光が無残に倒れ伏す男をただ照らしていた。

「…無事か。」

「ええ、攫われる時に頭を殴られたようですが、無事です。」

「そうか、無事ならいいんだ…。」

香月は、少女に背を向けたまま木々の間の闇に入って行こうとした。

だが、

「待ってください!」

「何故止める?俺は…人間じゃない、鬼なんだぞ?」

「それでも、私を助けて下さった事に変わりありません!」

孤独な鬼の青年と彼の傍に居たいと願う忌み子の少女。

異端の彼らを知るは夜空に浮かぶ月のみ。

「それに…私も鬼と変わりません。」

自嘲的に笑う少女。

振り向いた香月の目が見開かれる。

攫われた時に簪が落ち、結われていた髪は背中に滝のように流れている。

その髪は、雪の様に白かった。

そして、ただまっすぐ香月を見つめるその瞳は、_香月と同じ鮮やかな緋色だった。

「その髪と瞳は…?」

「私は人の腹から生まれた鬼なのですよ。」




少女_沙夜の家である桐生家は、神巫かんなぎの一族の総本山である。

桐生の一族は鎮魂ちんこん祈祷きとう、占いに力在る者ならば神託を授かり人に伝える事もする。

故に沙夜は『忌み子』なのだ。

神の言葉を聞く一族に生まれた白髪緋眼はくはつせきがんの彼女は、ずっと1人で生きてきた。

奇怪な容姿に加え、体の弱い少女に友達を作る術は無く、ただただ孤独だった。

彼女の世界は、結界の張られた山の中にある屋敷だけだった。

ある日の黄昏に屋敷を抜け出すまでは…。




「私の世界には香月さんしか居ないんです。だから…傍に居て下さい。お願いです。」

孤独な少女にとって『香月古書店』と『香月昴』は無くてはならないものとなっていた。

純真で真っ直ぐな瞳の先に居る、鬼の青年はもう孤独ではなくなっていた。

「…お前の世界には本当に俺しか居ないのか?」

「ええ、香月さん以外誰も居ません。」

はぁ、と悩ましげに溜め息をつく香月。

「じゃあ俺は、お前の世界に俺が居なくなっても問題ない、と判断したら消える。 それでいいだろ?」

「そんな日が来るとは思えませんが…分かりました。それまでは私の傍に居て下さい。約束ですよ?」

「ああ、約束だ。」




十六夜の夜に結ばれた約束。

忌み子の少女に鬼の青年が必要とされなくなるその日まで、少女は黄昏の香月古書店を訪れ、青年は少女を待つだろう。

だが青年はまだ知らない。

何故、少女が香月古書店を訪れるのか、その訳を。

鈍感な青年が純真な少女の恋心に気付く日は一体何時になるだろう。



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