第1話
-もう、15年以上も前の話になる。
30歳になろうかという今でも、あの声が聞こえてくる気がして恐怖を感じる瞬間がある。
目に焼きついた彼女の姿。感情を一切、感じとる事の出来ない眼。乱れた髪。足を引きずる音・・・。
一瞬でもあの時のことを思えだすと、背筋に冷たいものが走り、あの声が再び聞こえてくる気がして慌てて耳を塞ぐ。
-15年前、私が中学2年生の頃の話だ。
浅木真紀子は、入学した当初は特に目立った所も無く、ごく普通の女の子だった。友達も4~5人はいただろう。そんな、彼女が陰口を叩かれるようになったのは2年生になってから・・・。ある出来事がきっかけであった。
その日は、たしか酷い雨が降っていた。昼休みも外に出るわけには行かず、みんな教室に残り暇を潰していた。私も数人と壁に野球ボールを当てながら雑談を交わして時間を潰した。
壁に薄いシミが付いていた。私たちは無意識の内に、それを的に見立てボールを当てていた。1人がその的めがけて思い切り球を投げ、見事に素手でボールをキャッチして見せた。それをかわきりに競い合うようにして強い球を的の中央に当ててボールをキャッチする。
野球部の黒崎がここぞとばかりに球を投げつけた時だった。私のすぐ後ろから大きな悲鳴が聞こえた。黒崎は、その声に驚き球を捕り損ねて、ボールは床に転がっていった。
悲鳴を上げたのは浅木真紀子だった。その時の彼女の表情を思い出すことは出来ない。ただ、彼女を見た瞬間に只事ではないことだけは分かった。酷く震えながら、壁に向かって指を差している。何が起きているのか理解できぬまま、視線を彼女の指差す方へと向けた。
「顔が見える。壁に女の人の顔が見える。」
近くにいた友人にしがみ付きながら浅木は壁に向かって指を差していた。その指の先は壁のシミを差しているように思えた。
「顔が紫色に腫れてる。あなた達に向かって何か低い声で唸ってる。誤ったほうがいいよ!」
半狂乱で叫びながら、彼女は床にへたり込んだ。片手で友人のスカートを握り締め、痙攣のように体を震わせていた。
その様子に冗談などで言っている事でない事は誰でも分かった。私たちは顔を見合わせ、息を呑んだ。
「やだ、声が近づいてきてる!!!」
浅木は、そう泣き叫ぶと首を振りながら、四つん這いで教室の出口へと向かった。
静まり返っていた他の生徒たちも、その様子を見て悲鳴を上げて一斉に教室から飛び出していった。私たちも必死に走った。教室を出て、渡り廊下を走り、別棟の図書館の前まで逃げてきた。何かにつかまっていないと立っていられぬほどに足が震えていた。
その騒ぎは、すぐに担任へと伝わり、私たち壁にボールをぶつけていた生徒数名は、壁のシミに向かって「すみませんでした」と誤らされ、とりあえずの決着をつけた。
午後からは教室では授業にならず、空いていた図工室を使った。浅木は、早退したようで次の日も学校に顔を出す事はなかった。
4、5日の間は、その出来事の話題で持ちきりだった。浅木は、ちょっとした話題の人物になり、別の学年の生徒なども彼女のところに来て興味深く彼女の話を聞いていた。
その出来事から、彼女は授業中に突如声を張り上げ、天井に向かって何か叫んだり。廊下を何かに追われているかのように泣きじゃくりながら走っていったりと奇行が目立つようになっていった。
やがて、よからぬ噂がたつ。浅木は、目立ちたくてあんなことをやっているのではないか?彼女に近寄ると霊が移る・・・。
浅木は、クラスで孤立していった。そして、すぐにそれはいじめへと移り変わってゆく。
彼女は、日に日にやせ細り、秋-紅葉の季節、電車にひかれて亡くなった。当時、遺書などは見つかっていなかったが、状況から見て間違いなく自殺だったらしい。
教室には、彼女の座っていた椅子と机だけが取り残された。
彼女の遺書は思わぬ形で発見される。授業中、1人の女子生徒が教科書を投げ捨て突然泣き出した。先生が問いただしても、何も答えようとはしない。授業が終わり、彼女は皆の前で打ち明けた。教科書の中ほどのページ。そこに、赤い文字で“呪ってやる”と大きく書かれている。紙が破れるほどの筆圧で書かれていた。
皆、自然と浅木の席へと視線を向かわせた。他の生徒たちも教科書やノートを開いて確認する。私の教科書にもやはり書かれていた。最後の方のページに・・・呪ってやる。その隣のページにはペンを何度も突き刺したような穴が開いていた。生徒25人。全員、教科書、ノートのいずれかに同じ文字が書かれていた。
誰かが「持っていられない」と教科書のそのページを破りゴミ箱へ捨てた。それに続き、まるで儀式のように、ゴミ箱を囲い、皆で破ったページをゴミ箱へと投げた。
こうして、彼女の遺書はゴミ箱へ捨てられ、学級委員の野田がすぐに焼却炉へともって行った。




