赫焉のバルナス
星を情報ネットワークが覆い、人々が宇宙開発に情熱を燃やすほどに科学が発達し不可能がないように思えるどのような未来でも、常にそこには不可能の壁というものが変わらずに付いて回った。
技術のブレークスルーが起きればいずれは越えられる壁。そんな風にいつかは越えられる壁だとしても、現在はただの天高く聳え立つ難攻不落の壁でしかない。
越えられない壁は越えられる時まで越えられない者に暗い影を落とし続ける。影は深く、暗く。健常な者には理解できないほど恐ろしい。
その影の中で、フィルン・クリフハンガーは自らの身体がぐじゅぐじゅに溶けていくかのような感覚を覚えていた。
生まれた時から死ぬことが決められている。うまれたときからステーションの病院で過ごしてきた。ベッドとわずかな家具のある個室が彼女の世界。
それ以外に何もなく、窓から見える景色は、どこか遠くのそれこそ物語の中のような感覚だった。それほどまでに彼女の病は重い。
肺、胃、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、大腸、十二指腸、子宮、膀胱その他。体内に存在するありとあらゆる臓器には無事なところなどありはしなかった。
全てが凄まじい痛みを発している。それでいて同じ痛みなど一種類もありはしない。ありとあらゆる責め苦がフィルンを襲っている。
だが、痛みは感じなかった。痛みはない。痛みはない。何も感じない。ありとあらゆる痛みが競合し、もはや無痛。何も感じずされど精神をがりがりと削るような確かな痛みを感じていた。
無機質な白と無感な静寂こそが世界の全て。この狂っている暗い影に覆われた世界こそが、生きる場所だ。窓から眺めた先に映るのはいつだって違う陽向の世界。
希望はない。希望はない。希望は、ない。嘆きも、絶望も渇れ果てた。残ったのは空っぽの溶けて朽ち行くただの肉の袋だけ。価値のないもの。意味のないもの。それだけがそこにはあった。
なぜ生きているのだろう。己に問いかけるも、答えはない。親だという存在もなく、ただ規約にしたがって生かされる日々。
無意味だ。無価値だ。生きている価値などなく、意味もなく。ただただ日々を浪費し、死へと向かう毎日。いっそ、死ねればどんなに良かっただろう。
だが、動けぬ身体は、自ら死ぬことすら許してはくれない。死ぬこともできず、ただただ無意味に生きて死んでいる。
そんなある日、救いは来た。皺のよった手が、今時珍しい眼鏡をかけた白衣の科学者が二つの選択肢を提示した。
「――今、君の手の中には二つの選択肢が存在している。一つは、何もしようとせず、このまま死ぬことだ。そうなりたいのであれば私は止めない。この話を断ったところで何も変わらないいつもの日常に戻るだけだ」
「…………」
「もう一つは、この契約書にサインし、この先も生き残れる可能性に賭けるかどうかだ。こちらは前者と違って遥かに危険だ。無事に手術に成功したとして、その後に死ぬこともある。だが、もしかしたらこの先も生きれるかもしれない」
――さあ、どうする?
それは、新しい世界への招聘だった。ドクトル、と名乗った科学者はフィルンに事細かに説明した。何が起きるのか、何を行うのか。
成功確率、失敗確率。死亡率、生存確率。リハビリに、そのあとに存在する過酷な仕事。包み隠さず全てを彼は話したのだ。
彼は狂っていた。だが、それ以上に誠実であったのだ。
「私は狂っているだがね、人並みの誠実さは持ち合わせているつもりだよ。それを忘れては社会は如何に優れた技術だろうとすぐに規制する。そんな無駄はしたくないのだよ。
それに無償の奉仕なんて気持ちが悪いだけだ。私は君たちに対価を支払った。ならば労働をしてもらう。それが君たちが生きる為に私に支払う対価だ。ビジネスだよ」
ビジネス。契約。彼はそう言って救いを提示した。血で血を洗う凄惨な生存への切符。後戻りできない片道切符であり、もし往復を望むのであれば地獄を見る。
ドクトルと名乗った男は一切強制しなかった。ただ選択肢だけを提示した。詳しく説明した上で、全てを説明して、質問に答えて、納得するまで何度も、何度も説明をしてくれた。
何十、何百という患者に彼は救いを持ちかけた。それは実験の為で、世界の為。実にズルい。誠実ではあるが、ズルかった。
望むはずだ。望まないはずがない。それでも願った。今以上の地獄なんてない。それに、彼だけだった。ドクトルだけが、真っ直ぐに目を見て話してくれたのだ。
だから、フィルンは生きたいと願った。それが、全ての始まりであり、終わりであったのだ。
全ては終わり、始まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――数年後。
身体にぴたりと合ったパイロットスーツ。身体のラインがくっきりはっきりと出るどこか装甲的に感じるスーツは、年頃の娘が着用するものとしては、とてもではないがふさわしいとは言えない。
特にこのスーツは色がほんのりと肌色を内包したような白――正確には乳白色とでもいうべきか――であって、遠くから見た場合、光の加減次第では全裸に見えるという男性からしたら眉唾な代物である。
そもそも肩や腰、首元などの装甲部位以外に充填された耐圧、耐衝撃ジェルのおかげで半透明であり、下手すれば肌が透けていたりしていた。
腹や手足など、装甲部や機械装備部位以外の場所は、全てそれだ。つまり、光の加減で本当に地肌が見えており、ガチで全裸と変わらない状態になっているということなのだ。
それを踏まえて考えると、このパイロットスーツという代物は着るのがふさわしい、ふさわしくないと言う以前に年頃の娘、というか女性が着ること自体が規制されそうな代物であった。
だが、それを着なければ人型戦闘機械に乗れないというのならば、フィルン・クリフハンガーに着る以外の選択肢は存在ない。
そんなパイロットスーツを着てフィルンは、クランカーの操縦席で眠りについていた。その頭上をヘルメットが浮いている。
ゆらゆらと白の髪をゆらして、作戦行動前の最後の睡眠の最中であった。時間まで、カウントダウンが残りの時を告げている。
そして、前面のモニターのカウントダウンが終わる。ゆっくりとフィルンは潤滑液でうるんだ紅の瞳を開いた。
モニターが起動し暗かった操縦席を明かりが満たす。アイカメラが起動し外界を投影。同時に、通信ウィンドウが開く。
ウィンドウの向こう側では、禿上がった眼鏡に白衣の男性――ドクトルが神妙な顔をしていた。
『さて、諸君。睡眠は終了だ。五分後に作戦は開始され、この軌道上プラットフォームは破棄される。これで諸君らとはお別れだ。各自、己の信念に従って作戦を遂行してほしい。では、全てが終わった時、生きていたら火星でバカンスとしゃれ込もうではないか』
「…………」
ドクトルの言葉を聞きながら、フィルンは無重力のまま浮かせていたヘルメットを被る。
ヘルメットを被れば、ヘルメットの個別回線でドクトルが最年少のフィルンへと問いを投げ掛けてきた。
『緊張はしていないな?』
「大丈夫。やれる」
それに、そうか、と言ってドクトルは再び共通の回線に戻った。
『では、諸君らの健闘を祈る。これも世界の為じゃ。まったく、がらでもない。……最後に、私は君たちの献身に敬意を払う。では、諸君、これからの未来の為に戦おう』
その言葉を最後に通信は封鎖された。これから先はただ一人で、作戦を遂行しなければならない。
「大丈夫。私は、生きる――網膜投影スタート」
接続された神経からクランカーの情報がフィードバックされ、視界がリンクする。そして、大きな振動と共にフィルンが搭乗しているクランカー、バーミリオンは、軌道上プラットフォームからの降下を開始した。
地球の重力に引かれて機体が落下する。同時に、背後でプラットフォームが爆破された。その勢いに押されて更にバーミリオンは加速してみせる。
カタカタと、全長約15メートルの最進斬水形状高硬度複合フレームが、殺人的な加速度と風を受けて騒音を鳴らす。完全防音の操縦席の中では、その音は聞こえないが慣性質量の擦れる音は耳に響くようだった。
擬似神経線維と内臓器官を抉るようなGに耐えながらフィルンは、揺れる操縦桿を握り直して安定させモニター上を己の視線と同期して動くカーソルを目標へと向ける。
距離が表示され、降下するにつれてバーミリオンに装備された長距離射程兵装の有効射程に入ったことで、カーソルが赤から緑へと変化した。
フィルンは操縦桿にあるボタンをプッシュ。降下しながら背面にて折りたたまれていた武装が展開する。肩から砲身を伸ばす長大なライフル。
「……オープン・ファイア」
一瞬の逡巡のあと、フィルンはトリガーを引く。悪魔的な反動と共に、大質量弾が発射された。反動によって機体が一回転して反動を逃がし、砲身をパージすると共にスラスターを吹かして姿勢を安定させる。
重力と初速の早い電磁発射機構によって発射された弾丸は一瞬にして敵の主要施設に着弾し爆裂して甚大な被害を撒き散らした。
「制動」
フットペダルを踏み込む。急制動。首を抑えるようなGに抗いながら機体を起こす。モニターの端では、青の光が展開されていた。
ドクトルが考案した新理論によって製作されたバーミリオンの背部にある主推進機構が光の翼を広げる。全周囲モニターであるため振り返ればその翼を見ることが出来た、EM粒子の光。EM機関が発生させるその青の翼を。
神々しく発光する翼は、明け方の時間ゆえに目立つ。迎撃に出たクランカー型の敵が射撃してくる。通常の炸裂弾。ねっとりと絡みつくようなビーム射撃が襲うが、上空、それも落下中であるために、当たらない。
フィルンは制動をかけたと同時に、両腰にマウントされていた主兵装の一つであるライフルを両手に装備させる。
ライフルの火器管制システムが一瞬のうちにバーミリオン本体にインストールされ、頭部カメラと連動し照準サイトが同期。
その工程を終了すると同時に落下は終了し、轟音を響かせてバーミリオンは目標地点である敵の巣へと着地した。膝を曲げて着地姿勢。
間髪入れずフィルンは直ぐ様フットペダルを踏み込んだ。放出される粒子、展開される翼が大気を打つかのようにバーミリオンは既存の常識を打ち破って加速する。
刹那、着地した場所を閃光が通り過ぎて行った。一瞬でも加速が遅れていれば、収束粒子砲の一撃を受けて終わっていただろう。
如何にバーミリオンがEM粒子によるシールド機構を備えているとはいえど、粒子収束砲撃を無防備に受けて良いという事にはならない。
むしろ積極的に避けなければエネルギーは即座に干上がるし、ハチの巣にされてしまうだろう。それほどまでに敵の攻撃は強い。
躱したところに敵が登場する。地球上の節足動物を模したかのような機械生命体。数だけは多い敵の歩兵の一種。
「来た」
イビルマキナと呼ばれる悪魔の機械。いつ、どこから現れたのかわからない。突如として世界に湧いて出てきたそれは人類を殺し始めた人類の敵だ。
瞬く間のうちに人は地上を追われた。現在、地球は奴らの領域となっている。そして、今、取り戻す為の最後の戦いをしているのだ。
巣を破壊し、殲滅する。
「数が多い。けど――」
迎撃に出てきた二体の蜘蛛型イビルマキナに両腕のライフルを向けてトリガーを引く。ロックオン確定と同時に発射された弾丸は蜘蛛型イビルマキナの胴体部を貫き爆散させた。
フィルンは続々と巣から這い出してくるイビルマキナに向かって、バーミリオンを突っ込ませる。主推進機構で無理矢理に機体を押し出すように加速させ距離の近いイビルマキナから破壊していく。
「――!」
弾丸が切れる。その瞬間を好機と見た敵が突っ込んでくる。
冷静に、フィルンは、再装填を行う前にライフルの機構を開放した。展開される刃。銃身から刃が飛び出し、更に収納されていた刃が展開され銃身よりも長大な一本のブレードを創りだす。
大気を揺らす高周波によって振動するブレード。突っ込んできたイビルマキナへと振るわれ、振動とそれによって生じる高熱によって溶解両断してみせた。
「次ッ!」
フットペダルを踏み込んで、敵へと突っ込む。
クランカーなどの機動兵器に存在する人がその機動に耐えられる機動限界すら超えた動きに敵はついて行けない。
常識外、既知外の速度と戦闘機動の前にイビルマキナは一体、また一体と残骸となって行く。数分後には、ミサイル砲撃によって巣は壊滅し付近において動くものはバーミリオンだけになっていた。
「ふぅ……」
深く息を吐く。レーダーに敵影がないことを確認して、フィルンは機体状況を確認する。初の実戦ではあったが、問題なく動いた。
状態はグリーン。装甲が少しばかり焦げていたり、へこんでいたりしているが稼働に障害はない。武装も問題はない。残弾のなくなった弾倉が排出され、代わりの弾倉が装填される。
エネルギー残量は、少しだけ予定よりも少なかった。初の実戦だからといって緊張で主推進機構を吹かし過ぎたようだ。
「気を付けないと」
半永久的に動力を提供するEM機関ではあるが、生み出すエネルギーの量は一定だ。だから、使いすぎると痛い目を見る。
今度は気を付けよう。そう心に深く刻んで、フィルンは作戦に従って第二目標へと向かう。バーミリオン脚部のホバーブーストを展開して滑走を開始した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――数時間後
「はあ、っ、はあっ!」
バーミリオンの斬撃がイビルマキナを切り伏せる。これで前途を阻むものは消え去った。最後の作戦目標。太平洋上に浮かんだ大樹。そう呼ばれるイビルマキナの最大の巣。
ここまで残っている作戦遂行中のクランカーは一機。つまり、バーミリオンを残して他は全滅した。もしフィルンがしくじれば、あとはドクトルが動く手筈になっている。
「状態表示」
バーミリオンの状態をフィルンはモニターに表示する。ほとんどがレッドゾーンに突入していた。もはや動いていること自体がおかしいと言われるような状態だ。
白亜の装甲は至るところに傷が出来ており、無事なところを探す方が難しい。左腕は喪失。右脚部ホバーは損傷し機動性が落ちている。
ライフルは残弾ゼロ。ミサイルもなし。使える武装は、展開式のブレードのみ。状態は最悪。エネルギーは貯蓄が少ない。敵はいっぱい。
最悪だ。もはや終わりだろう。作戦は失敗したも同然。だが、今だドクトルは動かない。まだフィルンが生きているからだ。
「だったら、まだやれる」
人類のためだとか、そんな高尚な気持ちはない。自分の為、そして、ドクトルの為だ。最後までやり切る。
その決意をあざ笑うかのように高い戦闘能力を持つという人型、つまりはクランカー型のイビルマキナが空を埋め尽くさんと現れた。
「……リミッター解除」
それを前にして、フィルンの乏しい表情はわずかに笑みを作った。有りっ丈をもって臨もう。彼女は、最後の切り札を切る。
バーミリオンに施されていたEM機関最後のリミッターを解除した。回転数が急上昇し、バーミリオンは蒼く輝く光翼を広げる。臨界を越えて高められたEM機関によって生成される粒子によって機体が浮き上がった。
モニターに映るのはカウントダウン。三分間という短いリミット。臨界状態を維持できるのは三分が限界であり、それを越える使用し続ければ機体がもたない。だから、最後の切り札。
「はぁぁぁすぅぅぅ、はぁぁぁ」
眼を閉じて、深呼吸をして――
「行きます!」
フットペダルを踏み込んだ。
衝撃もなく、圧力もなくバーミリオンは飛翔した。ブレードを手に敵へと突撃を開始する。敵もバーミリオンへと殺到するように両の手を変化させた近接武装にて斬り伏せんと迫って来た。
しかし、今のバーミリオンにとって、その動きは止まってみえる。
「一つ」
振るわれた斬撃。両断されるイビルマキナ。
「二つ」
一つ倒せば、次を倒す。
「三つ」
次を倒せば、そのまた次を。稼働限界を超えて駆動する右腕部と高周波熱ブレード。放たれる粒子収束砲を躱し、真っ直ぐにバーミリオンは飛翔した。
そして、
「限界、か――」
バーミリオンは地へと落ちた。数千を超えるイビルマキナの残骸の上、ボロボロのバーミリオンは落ちた。不思議と、フィルンは無事であった。
ドクトルが意識していた安全性の高さをに感謝すべきか。じき軌道上から攻撃が始まる。作戦は終了した。だが、無駄ではない。もはやイビルマキナに攻撃を防ぐ余力はない。
「生きた、かったな」
世界は光に包まれる。奪還の光。人類は、取り戻したのだ故郷を。きっと救われる。
落ちてくる青の光にフィルンは手を伸ばす。全ては、青に染まる。最後に彼女は思い出していた、EM粒子は、奇跡を起こす粒子だというドクトルの言葉を――。
――そして、奇跡は起きた。
良くある設定のロボット物短編。
とある作品を読んでロボットにおける戦闘を学んだのでその勉強。なんか粒子で翼広げていたりします。
ちょっとした設定。
クランカー。人型戦闘機械。リアル系なので、実際は弱い。
EM粒子。何か凄い粒子。人の意志によって奇跡が起こせるとかなんとか。この粒子のおかげでクランカーの性能が大幅にあがっている。