3.蕾から開花へ (end)
本日は曇り。暗い曇りではない。晴天に近い。青空が見える。雲も少ない。
「あら、今日はまた物騒な本を読んでるのね」
ヴォルドさんの声に顔を上げる。
「本の装丁は怖い雰囲気が出てますけど、内容は勉強になりますよ」
ヴォルドさんのお店の奥にいさせてもらっている。夕方前の時間はお店も穏やからしい。
ヴォルドさんは店内にお客さんがいないから、と奥で事務作業をしている。
私は近くで本を読んでいる。獣について書かれている本だ。
獣は森からでることは殆どない。出てきても、こちらから危害を加えなければ攻撃されることはない。体を使った直接攻撃が多いが、国の外には魔力を持った獣もいる。こちらの方が厄介だ。自我がもっているかのような変則的な動きをする。
そして、獣を退治する仕事。人数が多いのは、騎士団。ひとつの国に縛られない戦士、騎士、魔道士など。
「獣はなくなると思いますか?」
「なくならないわ。量は減っても消えはしない。光と影があるように、この世界の一部だから」
「……なら、増えることはありますか?」
ヴォルドさんが静かに目を伏せる。
「そうね、……増えると言われたときもあったわ。でもいまは増えるより前に、騎士団が退治している」
「ルミエールが…」
黒い液体をつけて帰ってきたことを思い出す。
「私……、どうして戦えないんでしょうか。攻撃魔法が使えれば私にも――」
「アオイちゃん、見誤らないでね」
方法はあるはずだ。私にも戦える方法が。
「大丈夫です。胸張って報告できるように頑張ります」
にっこり笑ってみせる。ヴォルドさんも安心したように笑った。
カラン、とお店のベルが鳴った。お客さんだ。ヴォルドさんが商品スペースへと訪問者を出迎えに行った。
私は何冊目かの借りてきた本に手を伸ばす。鞄の中にはぎっしりと重みがある。
「アオイちゃん!」
血相を変えたヴォルドさんが叫ぶように名前を呼んだ。
*
城の近くに騎士団の宿舎がある。隣り合わせのように医務室もあった。
「ルミエールが怪我をした」と彼は言った。
今回は運が悪かったとも言った。獣の数が推測より多く、状況が不利になった、と。
ベッドに眠っているルミエールを見る。
右腕から胸元まで包帯で巻かれている。治療の際に取られたのか、サイドテーブルに彼の上着がある。
赤く汚れている。
顔色が悪い。目の下の隈は私のせいだ。夜遅くまで私の話を聞いていたから。傷が痛むのだろう。表情も悪い。
癒したい。魔法で少しでも傷を軽くしたい。
包帯へ、そっと手を合わせる。掌に熱量が集まり、ぼんやりと淡く光る。すり硝子越しのように視界が滲む。
「うっ……」
ルミエールが小さく呻いた。
「ルミエール?」
声を掛けると、瞳がうっすらと開いた。
「アオイ?」
「そうだよ。ここにいるよ」
傷ついていない方の手を握る。
「どうしてここに?」
彼はゆっくりと瞬きをして焦点を合わせた。
「ヴォルドさんに教えてもらって」
嗚咽で言葉が詰まる。
「あー…、格好悪いところ見せてしまったな」
彼の言葉に頭を振る。涙が零れた。
「心配かけたな」
そっと、親指で涙をすくった。
「違う。びっくりしただけで……」
泣くつもりなんかない。ないのに、溢れ出てくる。そのたびに彼が拭ってくれる。
何度目かのときに、ルミエールが気付いた。
「花も持ってきてくれたのか?」
サイドテーブルに置いた花を見て言った。花瓶に生けていない。紙で包んだだけの花束。
「家の近くに咲いていた花だよ」
「こんなに……気付かなかった。アオイが咲かせたのか?」
頷いてから顔を上げる。ルミエールがベッドから上半身を起こしていた。
支えようと背中に手を伸ばす、とルミエールが呟いた。
「すごいな……」
息が多く零れる。傷口が傷むのだろうか。
「すごくなんて、……ないよ」
私の魔法は不完全だ。未熟だ。花を咲かすことしかできない。
「ごめんね。私のせいだ。もっと知っておくべきだった」
「どうしてだ?」
「だって、私はそのためにここにいるんでしょ」
異世界の人間の力があれば傷つかない。私さえ使い方を知っていれば。
獣を退治する力。夢物語だとしても願ってしまう。魔法でもなんでもいい、私に力があれば。彼に必要とされる力が。
「アオイがいなくても戦うことはできる」
「でも……怪我してる」
「誰も傷つかないのは難しいことなんだ」
「わかってるよ、でも」
「お前が傷つくのは嫌だ」
優しく頬を撫でないでほしい。また涙が溢れそうになる。
「……つかないよ」
あの顔だ。また、悲しそうな顔をしている。
ルミエールは分かってたんだ。
異世界の人間がどうして求められるのか、分かって黙っていた。
「ずるいよ。私だってそんな姿見たくないよ」
「アオイ、俺はお前が好きだ」
「好きだから守りたい」
濡れる瞼を瞬いて彼を見つめ返す。怪我をしている方の手を、両手で包み込む。力を加えないようにそうっと。
「……怪我はしないで。危なくなったら格好悪くてもいいから逃げて」
「努力する」
「ほんとに?」
「あぁ、死なない程度に頑張る」
「なにそれ」
ふ、と思わず笑みが出た。
気付くと距離が近くなっていた。私の頬を両手で包み込み、彼が優しく目を細める。
ルミエールは、濡れた頬にキスをした。
*
「白魔道士?」
「そう」
魔法使いと呼ばれて、白魔術士、更にその先に白魔道士がある。治癒、回復を特意とする魔道士のことをいう。
「目指そうと思って」そう言ってルミエールを見上げる。
怒ってはいないけど複雑な表情をしている。口角は上がったまま私を抱き寄せた。
毎朝のマーキングである。
「学校に通ったり、誰かの弟子にしてもらうのか? それとも独学で?」
首元で声が響きくすぐったい。
「図書館に来ていた女の子に紹介されてね。師匠っていうのかな? 先生を紹介してもらえたよ。まだまだ現役だっていう、おじさまで――」
「男か?」
「う? うん」
おじさまって言ったよ?
私が話している途中に言葉をかぶせるなんて珍しい。いつも、うんうん聞いてくれるのに。
抱きしめている腕に力が込められる。ぎゅっと、潰れそうなぐらい。潰れる手前で力を引いてくれているんだろうけど、いつもより長い。
腕を緩めて離れるときに、彼が頬にキスをした。
「いってくる」
「うん。いってらっしゃい、ルミエール」
どうか、今日も君が元気に過ごせますように。
君が元気に帰ってきますように。