2.おおかみくんハウス
獣人、獣、人間がいて魔法がある世界。
この国は中央にお城があり、それを囲うようにいつくか街がある。
その街の中で一番、森に近い街がいま居る街。
ルミエールみたいな獣人が多く住む街。
地図を見せられても、国の話をされてもファンタジーだった。
もしかしたら、世界地図に米粒ほどの日本が載ってるんじゃないかって望みをかけても、そんなものはない。そもそも、地図のどこを見ても知っている国名がない。
窓から見える景色はヨーロッパとか、どこかの海外みたいで知っているようで知らない景色。知らない国の話。
日本はどこに消えたんだろう。違うか、私が消えたのか。
ルミエールが一通り説明し終えると、日は傾きかけていた。私のテンションもすっかり落ちた。
夕日が眩しい。
「異世界の人間はこの国にない不思議な力を持っているといわれている。その力を求めて城で異世界人の召喚が行われている。それに巻き込まれたんだろう」
私が異世界の人間だと話しても、彼は驚いた様子もなく話してくれた。
力って言われても自分じゃ全然分からない。
「召喚されたと分かれば、城の人間はお前を探すだろう」
「私はお城に連れて行かれるの?」
瞬間、彼の表情が悪くなる。
「そんなこと…っ!」
思わず口にしてしまったようで、ぐっと言葉を飲み込だ。
そこに続く言葉は分からない。
彼は私がお城に行くことを望んでいないように見えた。
「お城に行くとどうなるの?」
息を吐き、落ち着きを取り戻して彼が言う。
「そのときの、国王の判断によって違う。力がなくなるまで使われるか、花のように愛でられる」
「前者はともかく、後者はそんなに悪いように思えないけど」
「……そうだな」
どこか引っかかりを感じながらも私には目の前の彼が出してくれた選択肢から選ばなければならない。
今日、寝る場所を確保しないといけないから。
「城に行かないって選択肢だとどうなるの」
「他に行くところがないなら、この家にしばらく居るといい」
食事を用意してくれたときの様に用意してくれる。
この世界に迷い込んできた私は森で倒れて気を失っていたようだ。森での無防備さに異世界の人間ではないかと薄々気付いていたと言われた。
彼が家に連れて、怪我もないのでベッドに寝かせてくれていた。
「アオイ?」
心配そうに近寄ってくる姿はやっぱり犬みたいだ。
「怪我してないってなんで分かったの?」
「血の匂いがしなかった」
「へー。狼って便利だね」
横に並んだ椅子に座って彼の頭を撫でながら私が言うと、彼がなにか言いたそうに私を見た。
「なに?」
「……いや、なんでもない」
大人しく目が伏せられる。手を離して彼を見つめた。運よく彼に拾われて、言葉も分かるんだから幸いなのかもしれない。
「ありがとうね」
私が笑うと彼の尻尾が揺れた。
「犬好きとしてはルミエールが拾ってくれてよかったよ」
「……だから犬じゃなくて狼だ」
*
私は城に行かないことにした。って言っても、いまのところはだけど。必要なら行くつもりだ。
でも、お城がどんな状況かわからないから保留する。
日が沈むまでまだ少し時間があるので買い物に出かけることになった。
服の上からフード付きのローブを着るように言われたので頭がすっぽり被っているが、歩きやすいように足は少し出ていて顔も出ている。ルミエールが用意してくれたブーツも履いて歩くと見た目より軽くて歩きやすかった。
初めてのお出かけということもあり、足が軽いと気分も上昇してくる。
「はい、首輪買いたい!」
「一応聞くが、誰のだ?」
「ルミエール」
「どちらかと言えば飼われるのはアオイだろ」
「あ、そっか。拾われたの私だもんね」
「馬鹿なこと言ってないで行くぞ」
私の前に彼の手が差し出される。
「この手はなに?」
「……リードの代わりだ」
「迷子になったら困るもんね」
「アオイがな」
「そんな簡単に迷子にならないよ。たぶん」
彼の手を握り、力を込めた。少し気恥ずかしいけど嫌な感じはしない。
会ったばかりなのに、もうずっと前から彼を知ってる感じがして彼を見上げる。歩幅をゆるめてくれる彼が振り返る。
私は嬉しくなって頬が緩んだ。
*
ルミエールがお店のドアを開けるとカランと音がした。家みたいだけど入り口にプレートがかかっていた。
ゆっくり眺める間もなく彼の後ろに続いて中に入った。
「あら、いらっしゃい」
爽やかな笑顔で狐の耳付き男性が言った。つやつやに手入れされた尻尾が揺れる。
一瞬、猫耳かと思ったけど尻尾が違ったので気付いた。物腰が柔らかい感じがする。ルミエールの後ろから黙って観察していると、その瞳が私の方へと向けられる。
「お嬢ちゃんも、こんにちは」
お嬢ちゃんって私のことかな。お嬢ちゃんって言われる歳でもないけど、瞳を見上げる。
明るい色の襟足が長い髪、同じ色の耳と尻尾、目は少し色が違う。
落ち着いてるし、たぶん年上。
「……こんにちは。狐さんですか?」
「そうよ。珍しい?」
「はい」
私にとっては動物の耳が付いてるだけで珍しい。
「靴のサイズはどう?きつくない?」
「え」
サイズって、いま履いている靴のことだろうか。
確かにこの靴は出かけるために今日初めて履いた。ついでに私が持っていた靴じゃない。
出かけようとして靴がないことに私が気付いたら、ルミエールがどこからか取り出してくれた。
私は初めてこのお店に来たけど、もしかしたらルミエールがこのお店で買ったから聞かれてるのかな。
戸惑いながらルミエールを見る。
彼は驚いた顔はしていない。狐さんを見て口を開いた。
「ヴォルド、アオイにはまだ話していない」
「そうみたいね。お嬢ちゃん、その靴ね私がプレゼントしたのよ」
ヴォルドと呼ばれた狐さんは、私の履いてる靴を見て言った。
プレゼント。……狐さんからルミエールにプレゼントってことは
「私が履いたら駄目なんじゃないですか?」
狐さんは私の言葉を聞いて、きょとんと首を傾げる。
「アオイ、どうしてそうなる」
「だって、狐さんがルミエールにプレゼントしたんでしょ?」
「なるほど。そうゆう解釈になっちゃったのね」
からからと軽い音を立てて狐さんが笑った。
「ヴォルド、笑い事じゃないだろ」
「いいじゃない。おもしろいわ」
笑うと狐さんの雰囲気が少し変わる。綺麗な、おにーさんのお仕事モードが崩れて、親しみやすくなった。
笑ったままの目が私を見る。
「アオイちゃん」
「はい」
「その靴はアオイちゃんにプレゼントしたのよ。直接渡せないからルミエールに渡したけどね」
ぱちんと明るくウィンクをされて小さな星が見えた気がした。
「狐さんとは……会ったことないですよね?」
「意識がないときに一度会ってるわ」
目を覚ます前に会ってた?
「昨日、貴女を抱きかかえて森から出てきたルミエールと会ったの。そのときに靴を履いてなかったから渡しといたのよ」
気が利く狐さんだ。
それにしても私、靴も履いてなかったんだ。なんにも持ってなかったのかな。
「ルミエール、私がいた場所覚えてる?」
「行くなら明日だ」
「そうね、いまから行ったら暗くなるしアオイちゃんは危ないわ」
真面目な顔で言う狐さんに夕日の影が落ちて、少し怖くなる。
「森に入らなかったら大丈夫なんですよね?」
「大丈夫よ。森と街の境界に警備がいるわ。騎士団があるから巡回もあるし」
この世界は私が住んでいたとこより危険が多そうだ。
街にいる限りは森より安全ってことだよね。
よく知らない間は森に近付かないようにしよう。
「アオイ、顔色が悪いが大丈夫か?」
「ん、大丈夫」
あまり時間もなくなってきたので、ルミエールが狐さんに適当にシンプルな服を数着見繕ってもらいお店を出た。
*
家に帰ってローブを脱いでるとルミエールに呼ばれた。
今日買った物が入ってる袋から上下セットのシンプルな服を取り出すと私に渡した。
両手で受け取ったまま固まっているとその上にタオルも置かれる。
「あと、バスタオル。風呂入ってこい」
お風呂よりも目の前の疑問が気になって、テーブルに置かれた服が入ってる袋に目を落とした。
「これって今日買った服だよね」
「本当はゆっくり選ばせてやりたかったが、アオイの体調が悪そうだったから勝手に選んだが不満か?」
「えっと、そうじゃなくて」
「他に欲しいものがあれば明日買いに行こう」
その気遣いはありがたいんだけど
「ルミエールの服を買ったんじゃないの?」
「アオイの服だ。着替えがないと困るだろ」
「私お金ないよ?」
「……いい」
お礼になるものを何も持っていないけど、着替えがないと確かに困る。
「ありがとう。働くとこ見つけて返すから」
「そんなこと気にしなくていい」
「そういうわけには」
いかないよ、そう言い返そうとしたけど彼は伏し目になり、なにかを考えているようだった。
彼の名を呼ぼうか迷っていると、狼の耳がピクリと動いて私の頭にバスタオルをかけた。その少し後にドアを叩く音がした。
コンコンと、日が落ちている時間なのにはっきりと叩かれる。
ルミエールがバスタオルの上から頭を押さえて小さく言った。
「そのまま顔を上げるな。できるだけ目立たないようにしろ」
え、と疑問を聞き返そうとしたけどルミエールが家の入り口まで大股で歩きドアを開けた。
「城の命で見回りをしている。異世界の人間を見かけなかったか」
複数の人の動きと、威圧的な声が聞こえた。
城? それにしたって、そんな用件のみ言われても戸惑うだけだと思う。
しかし、それに動じることもなくルミエールが返す。
「見ていません」
「そうか。……その者は?」
たぶん私のことだ。別の部屋に移動した方がよかったのかな。
今更動いても同じことだけど。
「俺の番です」
「顔を拝見しても?」
こちらに近付こうとする訪問者から私を隠すようにルミエールが動く。
「申し訳ありませんが、他の者を怖がるところがありますのでご容赦ください。それに、こんな時間ですので……」
用意していた言葉のように、するするとルミエールが言った。いままでの口調と全く違う。
彼の言うことは嘘だ。別に私は対人恐怖症とかではない。
「匿うのか」
鋭い言葉に空気が震えた。
一呼吸置いて、ルミエールの声色は変わることなく告げる。
「いいえ、お城の探し人ではありません」
「……そうか。夜分に失礼した」
やけに丁寧な会話も、固い言葉も嫌な予感がした。
だから息を殺すようにずっと黙った。
訪問者の足音が遠ざかりドアが閉まって、ルミエールが近付いてくる音がしたのでそろりと顔を上げると、ルミエールに抱きしめられた。
「……ル」
頭の中の疑問を聞きたくて名前を呼ぼうとしたけど、名前を呼び終わる前に体を離された。
「風呂に行け」
言い方もどこか突き放されている感じがして、むっとする。
私の不機嫌に気付いてルミエールが苦笑した。
「あとで城について説明するから、そんな顔するな」
別にそれだけの理由でこんな顔になってるんじゃないけど、という言葉をなんとか押し込めて別の言葉を出した。
「約束だからね」
理由は分からないけど彼が悲しそうに見えたから、それ以上は言わない。
いまのところは、ね。
お風呂は私の知っている形だった。お風呂とトイレは別々なのでカーテンも付いてない。
脱衣所の前にドアがあり、その奥にもうひとつお風呂に続くドアがある。
脱衣所がちょっと狭いけど、許容範囲だ。
シャワーもバスタブもあるし、なんか日本にいるのとあまり変わらないな。
少し気になったのはシャワーの蛇口になにか書かれているのと、小さな石みたいな飾りがついていたこと。
あと、出かけるときに気付いたけどこの家は2階建ての一軒家のようだった。
でも、寝室、洗面所、リビングキッチン、お風呂と1階しか使ってない。
2階は物置か、別の部屋がなにかあるのかな。
*
着替えてリビングキッチンに行くと夕飯ができていた。
「ごはん作るなら私も手伝ったのに」
「これくらい、すぐ終わる」
「でも……」
服も買ってくれたし、お風呂も入るように言われた。
「色々よくしてくれて、ありがとう……ございます」
「ん、いままで通りの話し方でいいぞ」
「あー、うん。今更だけど、ちょっと馴れ馴れし過ぎたかなー、と思って」
あはは、と乾いた笑いが私の口から出た。
「本当に今更だな」
「ごめんね。話しやすくて」
「謝るな。……話しやすいか?」
「うん。初めて会った気がしなくて……なんでだろうね」
上手く説明できない感情に曖昧に笑った。
「……さっき、城の使いが来ただろ」
「え。誰が来たのかは分からなかったけど、見たら分かるものなの?」
「城の者は服装が決まっていて、身分証を付けているので分かる。身分証は城のマークが入った小さなバッチだ。服装は仕事内容によって多少違うが、統一されているので分かる」
私はルミエールを真っ直ぐに見て一番気になったことを口にする。
「お城の使いは異世界の人間を探してたんだよね? どうして、嘘ついたの? 私が怖がるなんて言ったし、私は異世界の人間だよ」
彼は考えるように難しい顔をした後、少し間をおいて話し出した。
「異世界の人間の、召喚は成功率が低い。だから探してるんだ」
「どれくらいの確立で成功するの?」
「前に異世界人が来たのは20年ほど前だ」
「20年か…多いのか少ないのか分からないね」
「その前は100年以上いなかったらしい」
「ひゃくねん?!……隠したら怒るんじゃないの? ルミエールの立場悪くならない? いまからでも私、城に行ってこようか?」
驚いてまくし立てる私の肩を、ルミエールが落ち着かせるように掴む。
「駄目だ。よく考えろ。一度城に入ったら出られないんだ」
「……なんか、まるで見てきたみたいな言い方だね」
「知ってるんだ。ここに異世界人が住んでいたから」
住んでいた。過去形なんだ……。また苦しそうな顔をしてる。
重く静かな空気が流れた。沈んだ空気を打ち消したくてルミエールの頭に手を伸ばした。
「なにをしてるんだ?」
「頭を撫でたかったんだけど、身長差あるから届かない」
改めて見るとルミエール、身長高いなー。顔には届くので両手で頬に触れてみる。
と、手を掴まれた。
「怒った?」
「くすぐったい」
怒ってはいないらしい。頭を撫でられた。これじゃあ逆なんだけど。
「頭撫でたい」
「後でな」
今日は後回しのこと多いね。会話しながらまだ撫でている。
次の質問を思い出し、そのまま聞いた。
「番って、なに?」
雄と雌のカップルのことだよね? 違ったら恥ずかしいし一応聞いてみた。
「一緒に暮らす伴侶だ」
私の目を見て言った。
あまりにも、はっきり言い切るので思わず自分の左手を見てしまった。
「そう言った方が怪しまれなくてすむ」
「頭にタオル被せたのも、動物の耳がないって怪しまれないため?」
「そうだ」
「私が人間だってバレたらまずいの?」
「面倒なことになる。人間は珍しくないが、異世界の人間かどうか確認される」
「そっか。だからお出かけするときもフード被ってたんだね。ところでさ、」
「なんだ?」
「お腹空かない?」
質問に答えてくれるのはいいんだけど、部屋全体においしそうな匂いがする。
そろそろ私のお腹が限界だ。
「じゃあ、食べながら話すか」
ルミエールは私の言葉に、やっと表情を崩して笑った。
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