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六つの世界を君の手に

作者: 衣乃 城太

 水の中を漂うような気分だった。

 回りの景色だけが高速で通りすぎて行き、ある方向へ進んでいることだけがわかる。しかし景色といっても絵の具を全てぶちまけ、混ぜ合わせたマーブル模様のような情景なので、ちゃんと進んでいるかは彼と彼女にはよく分からなかった。

 彼の名前は百地一郎。近所の高校に通うごく当たり前の少年。だった。

 彼女の名前は九里白奈。一郎の隣の家に住み、彼と同じ高校に通うごくごく普通の少女。だった。

 この空間に入ってからどれくらい経ったか分からなくなってきた時、進行方向に黒い丸を見つけた。それは徐々に大きくなっていき、そこがこの空間の終わりであることが見てとれた。

 黒い丸に吸い込まれたかと思うと、次の瞬間、一郎と白奈は公園に立ち尽くしていた。

 辺りは暗く、人影もなければ物音一つ聞こえてこない静寂であった。建っていた時計は夜の11時であることを示している。

「戻ってきた………のか?」

 一郎が辺りを見回す。

「多分………ここ、近所の公園だよね? 子供の頃、良く遊んだ………」

「だな。やっぱり、戻ってきたのか」

「………こういうとき、ただいま。でいいのかな?」

「いいんじゃないのか? お帰り白奈」

「うん、ただいまいっちゃん」

「………いや、でも待て。時計があるから時間がわかるが………今日はいったい西暦何年の何月何日なんだ?」

「あ………じゃあコンビニいこうよ。置いてある新聞見れば書いてあるだろうし」

 二人はそう言って歩き出す。

 彼らは旅をしてきた。長く、険しく、辛く、楽しく、愉快な、あっという間の旅だった。

 ある日に、白奈の家の倉から見つかった古ぼけた本に書かれていた謎の言語を、覚えているかのようにスラスラと一郎が読み上げた。そこには『世界を巡り、その全てを統べよ』と書かれており、彼らはその言葉と本に従って、旅に出た。正確に言えば、まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。只の好奇心で、少しだけ遊んでみるつもりだっただけなのだ。

 本に書かれていた方法に則り、異世界へと飛んだ二人は、そこが『青の世界』なる世界だと知る。さらにあと四つの世界が在るとも知り、また旅立っていった。

 そして五つ目の世界『黒の世界』を旅し、全ての世界を巡ったとしてこうして元の世界に帰ってきたわけである。

「ラッシャマセー」

 アジア系アルバイトのやる気のない接客を尻目に入り口に置いてある新聞を開く。

「五月………二十日………」

「ということは………帰ってきた?」

 二人は事実を確かめるかのようにお互いを見つめ、

「「やったー!」」

 ひしと抱き合った。コンビニの入り口で。



 次の日

 コンビニ店員からの不審な目で我に帰った二人は、それぞれ帰路に着いた。今日も日常として、いつもと変わらずに登校しなければならないからである。

「眠ィ………」

 一郎は欠伸を噛み殺し、目をショボショボさせながら歩いていた。

 寝起きは良い方ではない。その上昨日はベッドに倒れると同時に夢の中に潜り込んだ。疲れていた。今日もなんとか起きてきたのだ。起こされなかったら今でも寝ていた。

「おはよういっちゃん………」

 歩いていると白奈と遭遇した。彼女もとても眠そうな目をしている事から、あまり眠れてないのだろう。

「空間移動はプールで泳いだ後みたいに疲れるのが難点だな………」

「そうね、お陰でもっと寝てたい………ふぁーぁ」

 白奈が大きく欠伸をすると、それがうつったのか、一郎もまた欠伸をする。


「ようおふたりさん! 朝から仲睦まじいねぇ!」


 後ろから声を掛けられた。声の主は高島ヒデ。二人のクラスメイト兼友人である。

 何時であれば、ここでヒデの「仲睦まじい」という台詞を二人で否定するのだが、今はそんな気力はない。

「ようヒデ………久しぶり」

「お早う高島くん………久しぶり」

「二人してなに言ってんだ? 昨日も会ってるだろうが」

「そういえばそうだな………悪い」

「それにしても、朝から二人揃って寝不足だなんて………まさか一郎!」

 ヒデは一郎の肩に手を回しぐいと引き寄せた。

「ヤったのか!?」

「何もしてねぇよバカ!」

 一郎がヒデの頭をはたいた。

「わりぃわりぃ、一郎にはそんな根性ないもんな」

 一郎から離れてスッと距離をとるヒデ。

「根性なしで悪かったな」

 一郎が顔をむすっとさせる。眠気も相まってとても機嫌が悪そうだ。

「それにしても………二人、髪切った?」

 まるで某サングラスの大物司会者のような質問をしてきたので、一郎と白奈は顔を見合わせた。

 一郎と白奈は、昨日と今日の間で長い旅を、正確に言えば五ヶ月と六日の間がある。しかし、この『現実世界』に戻ってくる際に、いわゆる『魔法』の力を持って、身体における成長は無かったことにしてあるのだ。

 よって、普通の人から見たら二人は何一つ変わってることはない、はずなのだが………。

「………なんでそう思ったの?」

 白奈が聞いた。

「いや、なんか雰囲気違うなー。と」

「気のせいだ。ヒデ、お前は多分寝不足なんだ。寝ろ」

「おう! 授業中にがっつり寝るぜ!」

「授業中は起きてようよ………」

 白奈だけが真面目だった。


 授業があっという間に過ぎ去り――一郎は寝ていて、白奈はなんとか耐えていたものの、途中何回か船を漕いではいたが――昼休みとなった。屋上に上がり、一郎と白奈は家から持ってきた弁当を広げていた。そしてヒデも一緒に居るのだが、今はまだ購買部にパンを買いに向かっている。この時間の購買部は戦争なので、帰ってくるのには時間がかかりそうだ。

「いっちゃん、その本まだ持ってるの?」

 白奈が訝しげな視線を向けた。

 一郎が弁当と合わせて持ってきたのは、昨日までの旅のきっかけになったあの古ぼけた本であった。

「いや、ちょっと気になることがあってな」

 パラパラとページを捲り、最後の一ページの場所を広げた。

「この本は幾度となく俺達の冒険。うん、冒険を助けてくれて導いてくれた。でもこの最後の一ページだけは、俺達は読めなかった」

「そうだけど………」

「でもこれを見ろ。この最後のページ、読めるんだよ」

 正確に言えば、読めるというより『分かる』に近い。何を書いてあるのかは未だに分からないが、何を言いたいかはハッキリと分かる。

「『よくぞたどり着いた若者達よ………世界を回り、この世界に戻ってきた。

 しかし、ここまでは序章に過ぎない。

 君達は、参加資格を獲たに過ぎない。

 次は英雄に会わなければならない。世界を統べる英雄に………』ここで終わりなのね………」

「まぁこの本に従うならこっから第二ステージな訳だ」

「でも英雄に会わなければならない。ってあったけど、英雄なんて何処に居るの? まさかこの七十億人もいる地球から探し出せってことじゃないわよね?」

「………まさかぁ…………」

「本はここで終わってるのよ? ヒントなしよ?」

「うぅーん………」

 一郎が頭を悩ませ、白奈が訝しげな視線を更に強めた時、ヒデが息を切らしながら走ってきた。

「いやーお待たせお待たせ。今日は絶対カツサンドの気分だったから確実に手に入れるために走っちまったよ頂きまーす何だ一郎その本部室にあるのに似てるなうめぇー!やっぱりカツサンド最高だわー」

「………………………」

「………………………」

「……………………?」

「ヒデ! お前今なんて言った!?」

「うめぇー、やっぱりカツサンド最高だわー」

「その前だよ!」

「頂きまーす」

「違う通りすぎた! 昔ながらのボケやってんなよ! この本が部室にあるだと!?」

「い、いや、似た本が有ったってだけだぜ? 一緒かどうかは………」

「分かった。一緒かどうかは見て確かめる。放課後お前んところの部室行くから」

「ああ、いいけど………」

「あれ? でも高島くんの部活って………」

 白奈が顎に指をあて、視線を宙に向けて考える。

「ん? ああ、オカルト倶楽部」


 オカルト倶楽部。それはこのマンモス校、薄氷大学付属高等部における怪奇的な、もはや都市伝説の一面も持つ部活である。部員二名にして、同好会ではなく部を名乗ることを許されている等、謎に包まれているのだが………。

「まさかその二人しか居ない部員の一人がお前だったのか、ヒデ」

「そうだぜー、あれ? 言ってなかったっけ?」

「聞いたことねぇよ………っと、ここか」

 ヒデに連れられてやって来たのは、第二化学準備室。一般生徒の中では、使われない教室として有名だ。

「失礼しまーす。こんにちわ部長、友達連れてきたんですけど、大丈夫ですか? はい、よし二人とも、入っていいぞ」

 どうやら許可が降りたらしい。一郎と白奈はヒデが開けた扉をくぐる。


「こんにちは、よく来てくれた。歓迎するよ」


 中で佇んでいたその人は、凛とした雰囲気が漂う美人だった。ネクタイの色から見るに、高等部の三年生であろう。

 白奈は部屋の中を見回した。革張りのソファーにティーセットが入った食器棚。冷蔵庫にガスコンロに水道台。本棚と、申し訳程度の化学器具。

 この第二科学準備室に入ったのは初めてだが、とてもではないが化学教室だとは思えない。校長室か、只の部屋だと言ってくれた方が信じられる。

 こんな場所が校内に存在したのか。

 この学校が巨大マンモス校であることから、相当の金を有していることは想像できるが、それがこんなところにも使われているのか。

 と白奈は訝しんだ。

「私が部長の葵だ。今日は何の御用かな?」

 彼女の口調は、優しく包み込むようにして、尚且つ嘘を見破られているような、すべてを理解したような口調だった。

「あ、九里白奈です」

「百地一郎です………えと、ヒデからここに………これと似たような本があるって聞いたんですけど」

 一郎は自分の担いでいた学生鞄からあの古ぼけた本を取り出すと、それを軽く掲げた。

 それを見た瞬間葵と名乗った彼女は、少しだけ目を細めた。まるでそれは、来るとわかっていたかのように。

「………ああ、そう言えばヒデ君、この私ともあろうものが紅茶の茶葉が切れていたのを忘れていてね。悪いが買ってきてくれたまえ。お金はあとで払おう」

「了解です、いつもの銘柄でオッケーですよね?」

「うむ。構わないよ」

「じゃ、行ってきます!」

 そう言ってヒデは、直ぐに見えなくなっていった。

 パタン、と扉がしまると葵はふぅ。と溜め息をついて食器棚に向かった。

「君たち、そんなところに立ってないで座りたまえ。今お茶をいれよう」

「え、でも今高島くんが買いに行ったんじゃ………」

 白奈が当たり前に抱く疑問を聞く。

「あれは方便みたいなものさ。実際あと一回入れる分しか茶葉がないのは事実だ。それより彼を、ヒデ君にこの先の会話は聞かせる必要は無いと思うからね」

 そう言って葵は茶葉の缶を手に持ち、それでこちらを指しながら言った。

「なぁ、世界を旅した冒険者達よ」



 ゆったりと昇る湯気の中にマスカットフレーバーと呼ばれる甘い香りが鼻をくすぐる。いい茶葉を使っている、と白奈は思う。

 一口啜り、これはいいダージリンだと改めて思う。

 隣を見ると、繊細な味を消すかのように、砂糖とミルクをドバドバ入れる一郎がいた。

「(………ちょっといっちゃん)」

「(なんだよ)」

「(………何でもない)」

 この少年に何を言っても無駄だ。諦めた。

「さて、話をしよう。まず自己紹介だな」

「え、葵先輩………じゃないんですか?」

 白奈が聞く。

「それは偽名だ。私は………そうだな、『青の世界の英雄』とでも名乗っておこうか。名前ぐらいは聞いたことあるだろう?」

 一郎と白奈は目を丸くした。確かにその名前は聞いたことがある。白奈に至っては関連書物を読んだこともあった。が、しかし。

「で、でもそれは、神話の時代の………千とか二千とかじゃきかないくらいの昔の話だって………」

「なんだ、そんなに時間が経っていたのか。まぁどうでもいい。次は君たちの話だ。旅の中身を………君たちが見た五色の世界はどうだった?」

 葵は優しく微笑みかけた。それは子供の話を聞く優しい母親のようであり、警察が容疑者から情報を聞き出すような恐怖感も孕んでいた。

「ええと………まず俺達は先輩のいた世界、青の世界に行きました」

「どう思った?」

「へ?」

「率直な感想が聞きたいんだ。暑かったとか寒かったとか、そんなもので構わないよ」

「そうですね………海と空と大地とが、自然っていうか、なんというか綺麗な地球な気がしました」

「ほう、成る程。では次は?」

「その次は………赤の世界です。火山に囲まれて、そこら中から溶岩が吹き出して………」

「工業的で、鉄製品が多かったです。あと、亜人がいっぱいいました」

「次に行ったのは緑の世界です。自然豊かと言うか、自然そのものしかなかった気がするけど。精霊とかも多かったですね」

「生活してる人たちも優しかったです。争い事も、無かったのはこの世界だけだった気がします。一番多かったのは赤の世界ですけど」

「次は黄の世界で………そこが、この世界、俺たちの世界と一番似てた気がします。お金って概念が一番生きてたような」

「最後に黒の世界に行きました。黒の世界は………ずっと夜でした。あんまり人と会わなかったので他のことはよくわかりません」

 二人が一通りの説明をすると葵はゆっくりとソファーに背中を預けた。彼女の大きな胸が、少しだけ揺れる。そして小声で呟く。

「………間違いではないか………」

「何か言いました?」

 白奈が聞く。

「いや、何でもないよ。………ところで、君達にお願いがあるんだ」

「お願い?」

「内容は簡単だ。他の英雄を探してほしい」

「他の………?」

「『青の世界の英雄』の私が一人目。それに『赤の世界の英雄』、『緑の世界の英雄』、『黄の世界の英雄』、『黒の世界の英雄』だな。あと四人だ」

「えっと、お言葉ですが葵先輩、何で私たちに? 理由とメリットが………」

「メリット………そうだな。引き受けてくれれば、この本を君達に譲ろう」

 葵は本棚から古ぼけた本を取り出した。表紙は、一郎が抱えているものとほぼ同じだ。

「その本の続きだ。どうだ? 魅力的だろう?」

「魅力的………だけど葵先輩が、別に一人でやってもいいような気がするんですけど」

「ああ、その事か。簡単な理由なんだが………見せた方が早いだろう。来たまえ」

 そう言って葵は立ち上がると、部室の扉を開けた。

「君たちは外の方から見ていた方がいいだろう」

 扉を挟み込むような形で、部室内に葵、外側に一郎と白奈が立つ。

 そして葵は二人の方へ向かって手を差し出す。すると

「手が………消えた!?」

 部室と外との境界線を境に、葵の腕は薄い粒子となって、実体がなくなっていた。

「私は外に出られないんだ。この部室の中からね。自分の力では探せないんだ、他の英雄を。理解してもらえたかな?」

「な、何で………?」

 白奈が恐る恐る聞く。

「何で? あぁ、悪い魔法使いに閉じ込められてしまったんだ」

 葵が笑顔で答える。能面のような笑顔だった。

「ご覧の通り私は動けない。外に出たらパニック間違いなしだろう。だから君たちに頼む。君たちには利益もある。特に………一郎君、だったかな?」

「………? 何か?」

「君の目の奥には、キラキラした光が見える。この状況を楽しんでる目だ。子供みたいな、ね」

「………………」

「当たりだろう? どうだい? この頼み、聞いてくれるかな?」

「………一つだけ、聞いていいですか?」

「なんだい?」

「先輩は………ヒデの事、信用してますか?」

「………ああ、当たり前だろう。私の可愛い後輩だ」

「分かりました。先輩の頼み、聞きます」

「(ちょっといっちゃん!? 何で聞き入れたの!?)」

 白奈はまだ怪しんでいた。現実主義な故か。もしくは、また別の思想

があるのか、それは一郎には分からない。

「(ヒデはこの人の事を信頼してる。この人もヒデを信用してるって言うんだ。俺も信頼してみることにする)」

「(んもぅ………)」

「では早速本題に入ろう。なるべく早く終わらせたいんだ。まず一人、目星がついている子がいる」

「それはどこの世界なんスか?」

 葵は能面のような笑顔から少しだけ目を開き、答えた。


「『黒の世界』」




 戻ってきたヒデに別れを告げ、

「え、もう帰るのかよ。もっとオカルトトークしよーぜー。って、部長! お茶あるじゃないですか!? え、俺の分がなかった? だから買いに行ってもらった? なんだ、早く行ってくださいよ。………あれ?」

 一郎と白奈は葵から教えてもらった情報、を書いたメモを読んでいた。

「………『黒の世界の英雄』、クロネ・アトモスフィア、こっちの世界での名前は大木クロネ、高等部一年所属で部活は料理部………」

「結構情報そろってるな………今から料理部行けば会えるか?」

「大丈夫だとおもうけど………」

「よし、行くぞ」

「え、ちょっと待ってよいっちゃん!」



「調理実習室………料理部はここだな。頼もー!」

 一郎は乱暴に扉を開けた。まず最初に感じたのは甘いバニラエッセンスの匂い。そして背景がピンク色と花で埋め尽くされるような華奢な女子女子女子。

 一郎は一瞬で生気を持ってかれるのを覚えた。こんなに強い弱体化を食らったのは初めてだ。と、一郎の意識は別方向に向き始めた。

 が、なんとか足に力を込めて踏ん張り、正気を保つ。そしてキッと料理部の面々を睨み付けた。

「この中に………大木クロネって奴はいねぇか」

 部員の一人がプルプル震えながら、奥を指差す。

 そこには、美しい黒髪を流した女子生徒がいた。手元には和菓子。大和撫子という言葉かぴったりと合うようだった。

「………邪魔するぜ」

 一郎はプルプル怯える女子生徒の間を通っていく。その後ろを白奈が「すみませんすみません」と頭を下げながらついていく。

「お前が大木クロネか?」

「………そうですけど、何かご用でしょうか?」

「話がある。顔貸してもらうぜ」

「………どのようなお話かは存じませんが、何でしょう?」

 話している間にも練りきりを練っていくクロネ。

「お前、『黒の世界』って知ってるな?」

「………申し訳ないですが、存じ上げません。お帰りください」

「知らない? 嘘つくと為にならねぇぞ?」

「いっちゃん! もう完璧にヤンキーだよ!」

「………ここは料理をする場所、楽しむ場所、喧嘩をする場所ではありません。お引き取り下さい」

 クロネが静かに睨み付ける。一郎はばつが悪そうに頭をかくと、身を翻した。

「邪魔したな」

「あの、本当にすみませんでした!」

 白奈は終始平身低頭だった。


 夜、一郎は一人で外を歩いていた。コンビニに行くためである。一郎は頭のなかで今日の出来事を反芻する。

 新しい本、『青の世界の英雄』、そして、『黒の世界の英雄』。

 疑問に思ったこと、うまく繋がらない事を記憶のなかで整理する。百地一郎は頭が悪いわけではない。ただテストの点が悪いだけなのだ。

「黒の世界………大木クロネは英雄で確定だ………」

 それは間違いない。周りとの雰囲気が違った、というのも理由の一つであるが、それは普通の人間でもあり得ることだ。

 最大の特徴は、雰囲気の違いの『方向性』である。

「………まず疑問なのは………英雄を集めて、何をするか………そして何処までが『集めた』になるのか………」

 心か、体か、精神か、それは葵に聞いてみなければ分かるまい。

 一郎は首を傾げた。正確に言えば何かを避けるように首を傾けた。

 瞬間、一郎の目の前の地面に傷が付いた。抉りとるような音と共に現れたそれは、長さ五十センチメートル。幅十センチメートル。深さも十センチメートル程か。

 続けて幾つもの傷が凄まじい速さでつけられていき、文字を浮かび上がらせた。

『振り向いたら殺す』

 首筋にヒヤリと冷たい感触がした。何か金属を添えられていることは間違いないだろう。

「本命ナイフ、対抗刀、大穴カッターってところか」

 不適な笑みを浮かべる一郎。

「………どれもハズレです。正解はステンレス製の定規、です」

「ステンレスの定規? 良いのか、そんなこと俺に言って、定規ならビビる事なく組伏せるぜ?」

「………問題ありません。この定規でも貴方を殺すには容易い事ですので。そこのアスファルトを抉った傷も、これでつけました」

 一郎の頬を、一筋の冷や汗が落ちる。定規で、人は殺せるか? 否、であると信じたい。

 が、常識は通用しない世界があることを、これまでの旅で学んでいる。彼女が『黒の世界の英雄』であれば、例外ではないだろう。

「………なぜあなたは私を探したのでしょうか? 確かに私は『黒の世界の英雄』です。クロネ・アトモスフィアです。………ですが、それは捨てました。アトモスフィアは死にました。今は大木クロネしか居りません。お引き取り下さい」

「そういうわけにもいかない。俺には目的がある。そのために、お前たち『英雄』を集めなきゃならねぇんだ」

「………目的ですか。お聞きしても?」

 首筋の冷えた熱が少しだけ食い込む。

 なにがお聞きしても? だ。言わない、なんて選択肢はなっから無いじゃないか。と一郎は悪態をつく。

「本だ。欲しい本がある。それをを譲ってもらう為だ」

「………そうですか、なぜ欲しいのですか? こんな命の危険まで冒して得るものなのですか?」

「違うね。命の危険なんか冒してないぜ?」

 一郎は不適に笑う。

 クロネは眉を潜める。この男は命の危険など冒してはいないと、そう宣った。察するにこの男はここではない別の世界、自分の世界である『黒の世界』を知っている。黒を知っていて他の色を知らないわけもあるまい。『五色の世界』を知っているということは、英雄を集めるということは、 『英雄の恐ろしさ』を知らないわけがない。

「何故なら、この定規は今からグシャグシャに潰れるからだ」

 一郎が自分の懐に手を入れ、取り出したのは銀のロザリオ。中心に埋め込まれた宝石に書かれた36の字が、35に減る。

 定規がひしゃげた。折れ曲がったり突き出したり、もう二度と定規としては使い物にならないであろうというところまで破壊された。

 一郎は右手でロザリオを握りしめたまま、左足を軸に身を翻した。遠心力を上乗せして右手を下から振り上げ、クロネの定規を握っている手を弾き飛ばした。クロネは後ろにステップして距離を取る。状況把握が最優先である。

「………何をしたのですか。そのロザリオは、何なのですか」

「俺の能力だ」

 一郎は笑う。効果音をつけるなら確実に『ドヤァ』だった。

「………魔法………金属………赤………ロザリオ………」

 クロネは俯いてブツブツと何かを呟く。端から見たら不気味以外のなにでもない。

 カランと金属音がなる。クロネが定規を捨てたのだ。その代わり、今度取り出したのは、スプーン。定規よりも殺傷能力が低そうだ。

 クロネが走り出した。姿勢を低くし、その姿は闇夜に駆けるハンターだ。一瞬で一郎との距離を積めた。そして低いところからスプーンを突き出し、狙うは一直線、目。

「あぶねぇ!」

 一郎は後方に飛んで衝撃を消しに行くのと同時に、スプーンに向かって手を伸ばした。

「………動かないで下さい、抉れません」

「眼球をかよ!」

「………死ね」

 クロネの袖がキラリと光り、腕を振るとバターナイフが飛んできた。

「そぉいっ!」

 一郎はなんの罪のない一般家庭のブロック塀を蹴って跳躍し、バターナイフを避ける。バターナイフはまるで本来の役目のごとく塀に刺さる。

「………私の能力、『暗殺』。何であろうと、あなたを殺します。殺す、道具になります」

 一郎は何とか地に足をつけ、一息ついた。そして路肩にあった標識を掴んだ。すると標識は掴んだところからどろどろと溶け始め、一郎はそれを引き抜く。

 手に握られているのは一振りの刀。

「俺のこれは、金属は………まぁなんだ、好きなようにできる。溶かしたり、作り直したりな」

 刀を構え、真っ直ぐ見つめる。

「行くぜオラァッ!」

 踏み込んで上段から一閃に下ろす。クロネは幽霊かのようにスッと動いてその攻撃をかわす。

「………………」

 そしてクロネはなにかを投げた。それは枝だった。

「ソイッ!」

 一郎はそれを叩き落とし、もう一度踏み込もうと足に力を込めた。

「………『幻影』」

 声と共に、クロネの姿が闇に消えた。

「………今持っている武器では………あまり貴方に有効なものはありません………ここでは引かせてもらいます………次私の平穏を脅かすようなら………殺します」

 何処からか声が聞こえ、周りを包んでいた不気味な気配も消える。

 先ほど述べた雰囲気の違い。それは、明らかすぎるほどの『殺意』である。料理部部員には大きすぎて気付かないほどの、だ。

「あっぶねぇ………本気出されたら死んでたな………」

 現実世界にいたときも、向こうの世界各地に行ったときも、一郎の戦いかたはハッタリである。相手に恐怖心を抱かせたものが勝つ。というのが一郎が受けた教えだ。

「それにしても………これどうしよ?」

 辺りには、えぐられた地面、引き抜かれた標識、バターナイフが刺さった壁など、確実に新聞に載るような状況ばかりだった。

「………しかたねぇ、白奈呼ぶか………」

 一郎はどうにかするための再生術を持っている白奈を呼び出すために携帯を取り出すのだった。



「………成る程。で、いっちゃんは無惨にも負けたわけね」

 オーバーにリアクションをとる白奈。まるでハリウッド映画だ。

 白奈は光らせていた指先の光を解く。再生の魔法である。

「負けてねぇよ。向こうが逃げたんだ」

「でも今「このまま戦ってたら殺されたー」っていったじゃない」

「それは………まぁ、そうだけどよ………」

「じゃあいっちゃん。次は私に任せてみてよ」

「はぁ? お前が?」

「戦いで決まらないをだったらテーブルに座って交渉! 向こうの世界でも散々やったでしょ?」

「だけど」

「だけども何もないわよ。 女の子には女の子同士の仲良くなり方ってものがあるんだから」

 白奈はくるんと回って可愛らしく微笑んだ。

 似合わないな、と一郎はおもった。



 白奈がまず始めたことは、料理部への潜入………もとい、入部だった。

「宜しくお願いしまーす!」

 嘘みたいな笑顔だった。白奈はクロネの和菓子作りの近くにすりより、自分も一緒に作り始めた。もともと家がそれなりに歴史のある家のため、和菓子への造詣は他の人より深かった。

「九里さん、和菓子作るの上手だね」

 そう声をかけられるのに時間はかからなかった。


 そしてクロネは仲の良い友人はいるものの、下校するときはいつも一人だった。白奈はそこについて行き、一緒に帰っていった。

「あれ、九里さんどこいったん一郎」

 ヒデが聞く。

「敵情視察」

「はぁ?」

 一郎の聞きなれない答えに、ヒデは首をかしげることしか出来なかった。


「………………」

 大木クロネは苛立ちを覚えていた理由はもちろん、一郎と白奈である。

 特に今現在進行形で後ろを付きまとっているこの女が。

 『黒の世界の英雄』、クロネ・アトモスフィアは死んだ。それは間違いない。クロネ自信が殺したのだから。

 黒の世界はクロネにとっての故郷であり、また憎むべき敵であった。

 世界には必ず脅威が存在する。それは犯罪者であったり、反逆者であったり、化け物であったり。生物的被害がなかったとしても、地震や津波などの自然が牙を向くことも大いにある。

 黒の世界は、自然は極めて安定していた。既に死に体の大地だったからかもしれないが。

 その代わり存在したのは、人的被害である。犯罪の横行は、連日連夜留まるところを知らず、クロネの仕事と言えばそれらの退治だった。

 しかし、数が多すぎた。昨日助けた被害者が、次の日クロネが粛清する。という事もしばしばだった。そんな荒みきった世界は、少女の心を壊すには十分だった。クロネは次第に感情を表に出さず、暗器を使い、労力をかけずに片っ端から犯罪者を駆逐していった。

 英雄とはなにか。これでは処刑人ではないのか。絶望した彼女は、世界を捨てた。

 一郎達も通ったゲートを抜けて、この世界に逃げてきたのだ。

 この世界に来て、クロネは初めて思った。

『私は自由だ』

 と、

 今は一人――後ろからついてきてるのは除いて――とはいえ、友達も出来た。

 クロネとしては今が『幸せ』であり、英雄時代は『不幸のどん底』であった。その不幸の時を持ち出してきた一郎と白奈は、敵である。クロネは確信した。

「………私の………敵」

 クロネの眼は、誰も見ることはない。が、今を守るために英雄の眼をしていた。黒く汚れた、処刑人の眼を。

 クロネは振り返り、白奈と対面した。

「………消えて、貰います。貴方方は、私の、敵です」

「敵って、私たちは只協力してほしくて」

「………協力? 何のですか? 誰かを殺すのでしょうか?」

「べ、別に誰も殺さないわよ。何をするのかは………まだ分からないけど………」

「………どうでもいいことです。私は英雄を、英雄という名を再び冠するのが嫌なのです。………今ここで貴女を戦闘不能にすれば、百地先輩も止まります?」

 一瞬、クロネの姿がぐにゃりと歪んだように見えた。白奈は目をこすり、またクロネを見る。彼女におかしな所はない。

 しかし、彼女以外がおかしかった。

 聞こえていたはずの生活音は消え、カラス一匹鳴いていない。人の気配も感じないのだ。世界に二人、白奈とクロネだけが取り残されたようだった。

「………空間作製………」

 白奈は感じ取った。ここはいわゆる結界の中なのだと。いくら暴れても迷惑がかからない。そんなところか。

「………殺しはしませんけど………死んで」

 そこからのクロネは速かった。まるで影と一体化したかのように体制を低くし、地表すれすれを飛んだ。

 一郎の時はスプーンで眼を狙いに来た。しかし、今回は違った。彼女は手に何も持たず、それどころか握ってすらいない。爪の先までまっすぐに伸ばした掌は、一振りの剣先だ。それを迷うことなく、首筋に向けて突き立てたのだ。

 白奈は束ねた髪の髪止めに触れ、叫んだ。

「『ガラッド!』」

 クロネの腕が、手が、指が、爪が、百八十度反対の方向へ弾かれた。腕に引っ張られる形で、クロネは二、三歩後ろに下がる。しかし、眼は冷静であった。

「………ガラッド………青の世界………防御魔術………何故、貴女がもっているのですか?」

「教わったの。辛い戦いになるからって」

「………辛い?」

「青の世界に行ったときに、ドラコン退治に参加することになったの。危険だからって言って付いていけなかったんだけど、どうしてもって頼み込んだら、これを覚えたらいいぞって」

 白奈は簡単には言った。が、簡単なものでは到底ない。この世界で生きてきた人間が、魔術など使えるわけがないからだ。さらに言えば『ガラッド』は、英雄でも使いこなすものは一人しかいないと言うのに。

 クロネは眉間にシワを寄せ、考えた。

 片割れには武器を封じられ、もう片方には攻撃が通じない。

 ストレスフルだ。

 もう、手加減はする気が起きない。

「………………死ね」

 クロネの姿が消えた。一郎の時にも見せた、いや、見せなくした『幻影』である。

「!?」

 白奈は目を見開いた。一郎から話は聞いていたが、ここまで分からなくなるとは思っていなかったからだ。自分は一郎よりも、感知能力は優れていると思っていたのだが。敵は『英雄』である、ということを再認識した。

 刹那、真後ろに殺気を感じた。白奈は右足を軸にして掌を突き出す。手のひらを盾とするイメージで。

 どずむ。と、鈍い音がした。『ガラッド』が攻撃を弾いた時は、もっと金属音に近い音がする。

 ふと右の脇腹に違和感を覚えた。手の先から視線を下ろすと、そこにはまた手が見えた。ただし、赤く染まって。

 後ろから刺されていた。クロネは最初の向きから、動いていなかったのである。

「………『ガラッド』………こうしてみますと………案外脆い技ですね」

 クロネは腕を引き抜くと、懐から取り出したハンカチで指先を拭いていく。白いハンカチが赤く染まっていった。

 白奈は膝から崩れ落ちた。感覚が麻痺してるのか、痛みより血が流れていく事だけしかわからない。

「………さようなら」

 クロネが消えた。この空間から消えたのだ。あと少しもすればこの空間そのものも消えるだろう。その時は白奈は死んでいて、死体が発見されるだけだろう。

 白奈は消え行く意識の中で、音を聴いた。頭の中で響く、時計が秒針を刻む音。

 一つ、また一つと音は進み、自然と頭の中に時計が浮かぶ。

 三、二、一、ゼロ。

 秒針が一番上を指した瞬間、頭の中の時計が逆回転し始めた。それは時が戻るようで、白奈は自分の意識が急速に戻ってくるのを感じた。

 時計が、弾けた。

 白奈はゆっくりと体を起こすと、服についた砂や埃を叩く。

 貫かれた脇腹の傷は消え、同時に破かれたワイシャツも元通りだ。

「時限式再生術………成功ね。あぁ、死んだかと思ったわ………」

 白奈の『術』、彼女は再生術と言うが、正確に言えば『時間退行術』である。破壊された壁やアスファルトを直すのも然り、貫かれた自分の体を治すのもまた、然りである。

 デメリットもあるが、それを上回るメリットの方が大きい。

 勿論この術も、簡単に操れるものではない。

「取り敢えず、帰りますか」



 暗い路地のなかにある、さらに暗いそれは闇であった。黒すらも凌駕しているただの深い暗闇であった。

 それはずるりずるりと這い依るように動き、何かを探しているような、ただ本能のままに動いているような、不可解な動きだった。

 闇はやがてある方向へと動き出した。それが考えてのことなのか、考えていないのかは、やっぱり分からなかった。



 次の日も、白奈は平然と学校に来た。少なくとも、一郎達から何も言われることはない。故にまた平然と、料理部に入っていくのであった。

 クロネの隣、ほぼ定位置となりつつある席に座る。和菓子作りのエリアだ。

「こんにちは大木さん」

「………こんにちは九里さん。よく生きてますね、殺した筈ですが」

 クロネは物騒なことを口走った。が、回りは聞こえていないのか、お喋りやお菓子作りを続けている。

「どういう仕組み?」

「………昨日の空間作製と似たようなもので………回りから見れば我々は黙々と和菓子を作っているように見えます」

「ふぅん………」

「………さて………話を戻しましょう………何故生きているのですか………」

「私頑丈だから、小さい頃も三メートル暗いの高さから落ちてもかすり傷で済んだし」

「………嘘を………つかないでください………。そうですね………回復魔法………いえ、再生でしょうか」

 流石に鋭いな。と白奈は思った。

「………貴女の相方には攻撃手段が破壊され、貴方には攻撃しても再生される。なんなのですか貴方たちは」

 クロネが二の句を継ごうとしたときだった。

 調理実習室の扉が乱暴に開かれ、一人の男子生徒が立っていた。

「? どうしたの?」

 白奈はその顔を知っていた。クロネはその顔を知らなかった。が、真っ先に動いたのはクロネだった。

「………離れ――」

 男子生徒から黒い闇が漏れ、調理実習室を包み込んでいった。



 一郎は、第二化学準備室でお茶を飲んでいた。葵の命を受け、報告に来ていた為である。

「まぁ総じて『英雄』というものは我が儘であったりするものさ。悲観することじゃない」

 大木クロネの懐柔に苦労している。と言う旨を伝えると、葵からはそう返ってきた。

「じゃあ、何かいい方法とかあるんてわすか?」

「そうだな………恩を売ってあげればいいのではないかな?」

「………普通ですね」

「そうかい?」

 そこで葵はお茶を啜り、目を潜めた。

「………嫌な気配がする………いや、気配がしないな」

「? どういうことです?」

「一郎君、急いで調理実習室に向かってくれ。嫌な予感がする」



 一郎が調理実習室に走って、たどり着いたそこには、既に調理実習室はなかった。正確に言えば、中が闇で覆われていた。

『やはりか………』

 急に頭の中で声が響いた。葵の声だ。

「葵先輩? どこから見てるんです?」

『君の見てる情報を私のところに送ってもらってる状態さ』

「はぁ………それより、これは何なんです? 闇?」

 それは教室の中を蠢いて、まるで生き物のようだった

『ああ、闇だ。このような事態にならないためにも、私はなるべく早くといったんだがな』

「このような事態って………いったい何が?」

『君は英雄が何人いると思う?』

 唐突な問いに、一郎は首を捻った。

「五人じゃ………無いんですか?」

『それは正解であり、不正解だ。確かに英雄という『席』は五人だ。しかしそこに何年も座っているわけにはいかない。人には寿命もあるし、英雄は率先して危険に立ち向かわなければならない。命も落としやすい。つまり『英雄』は複数人存在するわけだ元英雄しかり、英雄の素質を持つものしかり、だ』

「つまり、葵先輩はこう言いたいんですか? 『これは英雄の仕業だ』と」

『そのとおりだ。力の具合からして元英雄だ。中には料理部の面々もいるだろう』

「ってことは白奈も………白奈!」

 一郎は闇の中に飛び込んだ。

 ドロリとした泥の中を泳ぐような感覚を越えると、中には空間が広がっていた。回りは全て黒なので、果たしてどれくらいの広さなのか、今自分が立っているのが本当に床なのかさえわからない。

「白奈! 白奈どこだ! 白奈!」

『お、落ち着きたまえ百地君!』

 一郎はずんずん奥に進んでいく。歩数からしてとっくに調理実習室の広さ以上に進んでいる。

 進み続ける一郎は人影を見つけた。誰か倒れているのだ。シルエット的には白奈では、ない。

「誰だ………? 犯人か?」

 よく見てみると、その人は一郎のよく知った人物だった。

「ヒデ?」

 一郎が一歩踏み出したその時、

『離れたまえ!』

 頭の中に葵の声が響く。瞬間的に一郎は後ろに飛び退いた。

 刹那、一郎が立っていたところに闇が覆い被さり、空間を削り取った。

 ヒデは糸で吊られているかのようにスーっと起き上がると、一郎を見つけ微笑んだ。

「ガゴガキガグゲガギゲガゴキギガゲガゴググガゴギ」

 ヒデの言葉は、何をいっているのか分からなかった。

『彼の体は元英雄に乗っ取られているな………』

「わかりました。殴って目を覚まさせます」

『いや、少し待ちたま――』

 葵との通信が切れた。いや、一郎が無理やり切ったのだ。

「ヒデ、目ェ覚まさせてやる」

 一郎はポキポキと指を鳴らす。そして構えは、右腕を伸ばし、左腕を体の前に、足を前後に開く。

 誰からも見えてはいないが、一郎の胸元のロザリオの数字が、『999』になって光だす。

「行くぞ!」

 一郎は走り出した。ヒデに向かって。

「グギガ」

 ヒデの回りに闇が纏い、さらに一郎に向かって噛みついてきた。

「破ッ!」

 闇を殴り付ける。本来なら先ほどの壁のように体が飲み込まれるのだが、闇の顋がまるでプラモデルのようにバリバリバリと音を立てて砕かれていった。

「グゴ………ギギガギゴガギ」

 元英雄は至って冷静であった。最早本能しか存在しないその思考回路で、冷静に考えていた。闇の力で飲み込んでやろうと。

 一郎の足元から闇が競り上がり、飲み込んだ。

 これでおしまい。元英雄は確信した。

 が、またしてもなにかを砕くような音がして、一郎が闇の中から這い出てきた。

「グギガゴギグガ!」

 激昂した。元英雄の本能は、獣の様に吠えた。

「何言ってるのか分かんねーけど、何言いたいかは分かるぜ? 簡単に説明すると魔法無効化、が『出た』ってところか」

「ギギグ………?」

「俺の本当の魔法は『博打』。何が出るかわかんらねぇけど、ちゃんと使えばそれなりに強いものが出る。そんなところさ」

「ゴグギガ………!」

 ふざけている。元英雄はそう感じた。戦いに博打を持ち込むなど、英雄の本能として汚されている気分であった。

「でもまぁ、そんなことは関係ねぇんだ。魔法があろうがなかろうが」

 一郎は走り出した。元英雄を仕留めるためだ。

「グギゴガ! ゴガゴグガギゴゲ!」

 元英雄は回りの闇を全て集め、闇の角を作り出し、一郎を串刺した。

「だから、関係ねぇって言ってんだろ」

 角の先に一郎はおらず、壁のようになった角の側に立っていた。角を蹴り飛ばし、加速して、元英雄との距離を詰める。

 一郎は拳を引き、腕を捻り力を溜めると、元英雄にたいして一気に振り抜いた。

 その拳を顔に喰らい、元英雄はきりもみしながらすっ飛んだ。

「俺の大切なものと友達返せ!」


 闇が割れた。


 そこにあったのはいつもの調理実習室で、皆が倒れていた。料理部の面々、ヒデ、クロネ、そして白奈。

「おい白奈、大丈夫か?」

 真っ先に白奈の元へかけより、体を起こす。

「うぅん………いっちゃん………?」

 白奈の目が開く。それを皮切りに他の生徒達も目を覚ました。

「………あれ? 俺なんでこんなところに?」

「………………」

 起きても、大木クロネだけは口を開かなかった。

『………………――百地君? あぁ、やっと繋がった』

「葵先輩? どうしたんですか?」

『いや、元英雄の魂は消えたようだね。では九里君とともに戻ってきてくれたまえ。そこの後輩部員も一緒にな』

 一郎はヒデを見る。ヒデの扱いが軽くないか? と思った。



「お疲れ百地君。疲れたろう、新しいお茶を入れたから飲みたまえ。九里君もどうぞ。ヒデ君のは自分で入れてくれたまえ」

「えぇー………俺のも入れてくださいよ」

「仕方ない、ダメなヒデ君だね全く」

 テーブルに四つのカップが置かれる。とおもうと、葵は五つ目のカップを置いた。もちろん中身も入っている。

「あの………なんで五個あるんですか………?」

「あぁ、もう一人はもうすぐ来るだろうからね」

 その時、化学準備室の扉が開いた。そこに立っていたのは、大木クロネ。

「………――――て、あげます」

「? 何て言った?」

「………協力して、あげます。貴方たちに」

 クロネは俯きながら言った。

「最初から素直に協力すればいいんだっての」

「もういっちゃん! 協力してくれるって言うんだからこっちも感謝しないと!」

「フフフ、では歓迎しよう大木君。ようこそオカルト倶楽部へ」

「??? 何? どういうこと?」

 ただ一人、ヒデだけが理解が追い付いていなかった。




「………コーヒーが飲めるのはいいんですけどね、葵先輩?」

「なにかね百地君。これでもインスタントで申し訳ないという気持ちがあるのだよ?」

「そこは問題じゃないですよ。なんでビーカーで飲まなきゃいけないんですか!?」

 大木クロネが協力を約束してから一週間がたった。一郎はこのところ毎日第二化学準備室に入り浸っていた。隙あらば『本』を読んでやろうと考えているからである。

「仕方ないだろう。大切な私のティーカップにコーヒーのシミがついたら困る」

「紅茶だって茶染みがつきますよ」

「そういう問題ではないのだよ。コーヒーと紅茶では、雲泥の差だ」

「ならコーヒー飲まなきゃいいじゃないですか」

「今日はたまたまそういう気分だったのだよ。そう、それは悪いものを知ることで改めて良いものを知る、といったところか」

「はぁ………いや、それにしてもですね? もっとこう、他になかったんですか? マグカップとか」

「さっきから不満を並べる君は、一体ビーカーの何が不満なのかね? よく漫画で見るじゃないか」

「さっきの時間まで俺達が使ってたからですよ!」

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