目覚めの足音 02
2013年8月10日、11日に書いた「目覚めの足音」03、04の2話を2013年8月24日1話にまとめて書き直しました。
――頑張れ、俺。
アーノルドは自分に喝を入れる。
気分的には自分の頬を叩きたかったが、そんなみっともないことを少女の前では出来ない。
「そんじゃ、名前を聞いても良いか?俺の名前はアーノルドってんだ」
「……くまさん、なぃ?」
「待て、よく考えろ。そんなことしたらこの世界の全ての熊の獣人が「熊さん」になっちまうだろう?もしそんな奴らが一箇所に集まってみろ、どうやって名前の判別つけるんだ。黒熊、青熊、赤熊――……そんな威厳も減ったくれも無い名前はごめんだ」
目をパチパチと瞬いていた桜は、なんとか自分の中で考えてみた。
そこには20以上の熊さん。
赤、青、黄色……色とりどりの熊さん畑。
みんな、ふわふわ毛皮。
もちろん桜はその中心。
飛んだり跳ねたり、踊ったり。
「いい……」
「お前が良くてもな、俺は嫌だ。熊の獣人を代表して言ってやる。ぜったいに嫌だ」
何となく彼女が何を考えているか分かったアーノルドは全力で否定した。
自分の名誉の為に、ひいては全ての熊の獣人の為に。
これでも、他の獣人から一目置かれている存在なのだが、この少女に形無しである。
「で、お前の名前は?」
「さくら」
「サクラ?」
「ん」
短い返事と共にやはりこくりと頷く。
最初のときと比べ物に成らないほどスムーズな会話にアーノルドは胸に響く感動を覚えた。
――子供とは未知な動物である。
誰かが言っていた。
本当にその通りだよ……
あの時は笑い飛ばしていたアーノルドだが、今は違う。
もっと為になる情報を聞いておくべきだった、と後悔している真っ最中なのだから。
目の奥でキラリと光る。
涙なんて流したくない、でも泣きたくなった。
なんだろう……会話ってこんなに感動するものだったっけ?
空を見上げたくなったが馬鹿な考えはすぐに捨てる、せっかく会話が順調に行っているのだ、頑張れ自分。
アーノルドは自身を奮い立たせた、一番気になっている事を聞いた。
「なぁサクラ。どうやってここに来たか覚えてるか?」
それは、何故あの場に幼い桜が1人で居たのか。
しかし桜は質問の意図が分からないのか、ジッとアーノルドを見詰めたまま何も答えない。
「悪ぃな、難しかったか?じゃぁ今まで何処に居たか覚えてるか?俺がサクラを見つけたとき、お前は森の中で寝ていた。この森はな、子供が気軽に入ってこれるような森じゃないんだ。だからお前が今まで何処にいたのか気になるんだが……覚えてるか?」
「……ない」
「何がないんだ?」
アーノルドは、この桜と言う少女はどうやらあまり話すのが得意ではないようだと今までの会話から察する。
だが、今の状況を聞くためにはどうしても話してくれなければ困る。
桜の言葉が足りない部分を、怖がらせないようにゆっくり促した。
さわり、と風が凪いだ。
「くまさん」
「熊さんじゃない、アーノルドだ。」
「あーにょりゅど……」
酷過ぎる。
誰だ、あーにょりゅどって。
すぐさま訂正する。
「もし言いにくいならアルって呼んでくれ」
「アル」
「なんだ?」
「アル、いない」
「俺はお前の目の前に居るだろ?」
「ぃない」
そう答えるが、違うとばかりに首を振る桜。
伝えたいのに、伝わらない。
それは桜が言葉を切り捨てて過ごしていたから。
頭の中で思っていることが、上手く言葉として成り立たなくなっているのだ。
「何が違うんだ?ちゃんと言葉にしてくれないと俺にはわからないんだが……」
アーノルドが辛抱強く、桜の言葉を待つ。
「話すくまさん……ない」
桜が何を言ったのか良く分からなかった。
「……話す、人だけ」
喋るのは、人間だけ。
桜は確かにそう言った。
しかし、その意味が分からない。
この世界では人族だけでなく竜族や獣人、精霊族が住んでいる。
その全ての種族が同一の言葉を利用している。
確かに種族ごとの特殊な言葉が存在するが、それでは他種族と交流するとき困る。
だから全ての種族は、幼い頃から共通語を学ぶのだ。
そんなことは常識である。
アーノルドには何故桜がそう言っているのか分からなかった。
――もしかして、今まで人間以外の種族に会ったことが無いのか?いや、それが本当だとするとサクラは他種族の廃絶を掲げている人族の国出身と言うことになる。しかし、それだと人族でないサクラが何故そこに居るの矛盾している……
考えれば考えるだけ、分からなくなってくる。
アーノルドは出来るだけ正確な情報を得ようと桜に話しかける。
「すまない、サクラ。よく分からないんだが、お前が言ってるのは周りに人族しかいなかったって事か?」
言葉にアーノルドの焦りが出たのか、少し強くなってしまった口調。
それに気づいた桜は怒られたと思ったのか、下を向いたまま口を閉ざす。
「怒ってるわけじゃない。本当に分からないんだ」
自分の失敗に気づいたアーノルドが桜の誤解を解くべく語りかけるが、それでも桜は口を開かない。
アーノルドは、はぁ~っと溜息を一つ付いた。
その溜息に反応したのか、桜がびくりと大きく震えた。
アーノルドは言葉で怒っていないと伝えても、桜には通じないと何となく感じていた。
彼女にとって、言葉とはとても軽いものなのだろう。
だから、彼女自身も言葉を紡がない。
今まで桜に何があったのか分からない。
だけど生きるということは決して楽しいばかりではない事を、アーノルドは知っている。
それが桜の場合、少し早く知ってしまっただけ。
それだけのことだ。
今は割り切れないことも、生きていけばそれは経験となり、これからの彼女の人生を助けてくれる。
しかし、今それを彼女に語ったとしてもきっと届かない。
今出来ることをしよう。
その決意と共に、アーノルドは目の前の少女をゆっくり持ち上げ、自分の膝の上に乗せる。
ゆっくりとした自然な動きは、桜を驚かせることも緊張させることもなかった。
アーノルドは彼女の頭を優しく撫でる。
今度こそ、彼女に通じるように。
「……桜、さっきも言ったんだがな。言葉を話してくれないと、俺はお前を理解できない。何でも良いんだ、考えがまとまらなくて意味が分からない事でも言葉を出すことに意味があるのだと、俺は思っている」
アーノルドは自分の手の下で桜が頷いたのを感じた。
懐かなかった野良猫が、少しずつ自分に心を開いているようなくすぐったさを覚える。
「ここ、ない」
「……何でこの場所にいるのか分からないってことか?」
「ん」
桜は拙い言葉を紡ぐ。
「じゃぁ今までサクラがいた場所が何処にあるかもわからんな……」
こくりと頷く桜を横目に、答えやすい様な質問を繰りだす。
「本当に今までサクラが住んでいた場所には獣人が居なかったのか?」
「じゅ?」
「俺みたいな外見のやつ等だ」
「ん、ない」
「俺みたいなのを聞いたこともないのか?」
「ん」
確認の為もう一度聞いてみても、答えに変化は無い。
「そんな場所ねぇんだがなー」
他種族を拒絶している国でも、その対象のことを教えていないわけがない。
その対象が如何いった者か教えなければ、拒絶の仕様がないからだ。
そしてそんな人族しか住んでいない様な場所に絶滅したと言われる結晶竜が居ればどうなるかなんて結果は見えている。
結晶竜だと周りにばれた瞬間に殺されるか、騙して大きく育てた後に殺して結晶を奪うのどちらかである。
アーノルドはチラリと桜をみる。
この警戒心の欠片も持っていない少女。
むしろ、何処かに落としてきたのではないかと心配してしまうほどだ。
そこから考えれることは、今まで騙されていたのだろうという事。
人族を完全に信用しきっている。
可哀想に……こんな幼い子供を騙す奴の気が知れない。
少しずつ真実に迫る、足音。