慌しい目覚め02
桜は8回気絶した。
この回数は、何を隠そうアーノルドが作った食事の回数である。
つまり彼らは家を出てから3日が経った事を表していた。
「サクラ、ほら食え。食わねーと大きくなれねーぞ」
そして今から記念すべき9回目の気絶になるかならないかの瀬戸際だった。
ズイっと差し出されたのは、枝に串刺しにされている魚。
その魚をボーっと見ながら、桜はこの短い旅の間に何度も引っかかっていたことを思案する。
何故アーノルドが手を加えたものは、ここまで豹変するのだろうか?と。
採ったときは確かに普通の魚だったのに、今ではその魚が1匹残らず、何を如何したのか異臭を放つ別の物体へと見事な進化を遂げていた。
ただ魚を捕まえて串に刺し、焼いただけのものが……何故?
桜が魚を捕まえることが出来るはずが無い。
アーノルドも、もちろんそれが分かっていた。
だから彼は自ら川に入り、そして手馴れた動作で2人分の魚を捕まえたのだ。
その光景はまさに森の王者たる、熊に相応しい姿だった。
光を綺麗に反射する川、飛び散る水飛沫、片手で素早く魚を獲る……熊。
完璧だった。
何も文句が付けられないほど、完璧だった。
これ以上は望めない定番な姿。
桜はこの時、密かに感動に胸を奮わせていた。
もしアーノルドが桜の心情を察することが出来ていたら、真っ向から否定していただろう。
「俺は野生動物じゃねぇぞ」と。
しかし残念なことに、彼は桜が己をキラキラした瞳で見詰めていたことには気づいていたが、まさかそんな事を考えていたと夢にも思っていなかった。
「まだ調子が悪いのか?」
思考の世界から桜を戻したのは、やはりアーノルドの手料理だった。
最初はそのまま静かに気を飛ばすことが出来たのに、今では少し耐性をつけることが出来たのか臭いを嗅いだだけで気絶する、ということは無くなった。
それでは何故桜は気絶してしまったのか。
その答えは簡単だ。
なんと桜はこの見るからに食べ物に見えないものを律儀に口に入れていたのである。
結果は言うまでも無く、そのまま気絶一直線。
しかし、何度気絶しようが、またその原因がアーノルドの料理だと理解していようが、桜は食べることを止めなかった。
何故なら今まで桜の体調を此処まで心配して、料理を作ってくれた人がいなかったからだ。
だから、桜は食べることを止めなかった。
そしてこれからも止めるつもりが無い。
これは流されて生きていた桜が初めて決意したことだった。
後に彼の友人は涙しながら説得した。
考え直しなさい、人生はまだ長いのです。早まってはいけません、何故よりにもよってアーノルドの手料理なのですか!?と。
しかし、終ぞ桜に聞き入れられる事は無かった。
それに桜は何となくだが、感じ始めていた。
自分と言う生き物が、食べ物を必要としない事を。
元々小食な桜はあまり疑問を感じなかったが、食べる度に気絶し2日間まともに物を口にていないのにお腹が空かないのだ。
それだけでなく、物を食べていた時よりも寧ろ調子が良いとさえ感じていた。
そしてアーノルドが桜の為に生み出す数々の未知なる物体は、臭いや見た目に誤魔化されているが、きちんと目に捉えると仄かな虹色の光に包まれていた。
桜がそれを手にした瞬間、その光がスゥッと桜の体の中に入ってくるのだ。
光と共に感じるアーノルドの桜を気遣う思い。
――いくら俺が背負って移動してても、何か口にしないと体が持たねぇのに
――昨日も一口しか食ってねぇ……体が何処か悪りぃのか?
――くそっもっと料理の勉強をしとくんだった
――子供の好きな物ってなんだ
――サクラ、元気になれ
必要なる物は、食べ物ではない。
食べ物と共に捧げられた思い――自分を思う心なのだと、桜は本能で悟り始めていた。
「んっ」
桜はアーノルドへ手を伸ばす。
「食うか?まだ熱いかもしれないから気をつけながら食べるんだぞ?」
やっと食べる気になった桜を見て、アーノルドが笑顔で異臭を放つ物体を桜に差し出す。
異臭にも耐性が出来たのだ、この物体にも出来る。
確証の無い可能性に賭け、桜は今日も食べる。
そして暗転。
「サクラー!?」
アーノルドの叫び声が今日も響く。
本日は桜の記念すべき第9回目の気絶。
彼女がアーノルドの手料理を食べれるようになるのは、まだ先のようだった。
***
その頃、アーノルドたちが通った森の近隣の村々では熊が少女を浚っていると噂が立ち始めていた。
最初は少女を背負った熊が森を闊歩していることが話題に上った。
偶々森に狩に来ていた人間が目撃したのだ。
その次に話題に上ったのが、時々森から異臭が漂うことだった。
これだけならば、そこまで話題性のあるものでは無い、しかし興味本位で近寄るとその人物が突如原因不明の事態に陥るのだと言う……つまり、1人残らず全員気絶するのだ。
そして彼らは気絶する寸前、必ずあるものを目撃する。
それは、地に倒れ付している少女に向かって険しい表情で大きな口を開けている熊の姿。
意識が朦朧としていて、熊が少女をかみ殺すところまでは見ていない、しかし目撃者全員の見解は一致していた。
――巨大な熊が少女に襲い掛かっていた。
なのに少女を背負った熊の目撃情報は耐えない。
娯楽が少ない田舎だ。
人々は面白おかしく騒ぎ立てる。
やれ、熊の祟りだ。
やれ、精霊の悪戯だ。
やれ、熊に殺された少女の怨霊だ。
噂に背びれ尾ひれが付き、やっと一つの噂でまとまった。
その噂とは――……『凶暴な熊が幼女を浚い、近寄る者には何らかの特殊能力をもって制裁を下す。また、食料である少女は一思いには食い殺さず、その苦痛に満ちた顔を見る為に、はたまた踊り食いを楽しむ為に、少しずつ少女の肉を腹に収めている。この熊は、高い知識と能力と残虐さを過ね揃えた突然変異である』と言うものだった。
もしこの噂がアーノルドの耳に入れば、怒り狂うどころでは無い。
まさか人助けをしているのに、それが斜め上、いや真逆を行っていると誰が思うだろうか。
正義感溢れる者は、熊討伐隊を組み森へ出かけたが全員気絶。
特殊能力を持つ熊を生け捕りにしようとした者も、全員気絶。
近づく目撃情報に恐れをなし討伐依頼を掛けたが、全員気絶。
常識を持つ者たちが最終的に出した答えは『触らぬ神に祟り無し』だった。
しかし、それでも後を絶たぬ被害者。
それはこの熊を手に入れた後に出る利益に目が眩んだ者の多さを物語っている。
もちろん成功した者はいない。
恐るべし、熊の呪い。
恐るべし、アーノルドの手料理。
いや、本当に恐れるべきなのは、その臭いに慣れた桜の嗅覚なのかもしれない……
アーノルドの目的の地、和みの森では1人の狐の獣人が嫌な予感に身を震わせていた。
彼はその立派な尾を逆立てながら呟く。
「何でしょう?只ならぬ厄介ごとが近づいている様な気がするのですが……」
その獣人の名は、タマユラ。
親しい友人は彼を、ユラと呼ぶ。




