チェシャ猫編Ⅰ
水の冷たさも和らいできた頃、僕の姉は死んだ。
大勢の信仰者達の前で、首を切って。
僕が小学生の時に、姉ができた。母親の連れ子で、
初めて見た時になんて美しい人なんだろうと嘆息した。
当然、父親とは仲が悪かった。
僕がしても怒られないような事を、姉がしたら父親はものすごく怒鳴った。そんな大人げない父親が僕は大嫌いだった。
母親が病気で亡くなると親子仲は更に悪くなり、傷付きやすい性格の姉は段々気をおかしくしていく。
笑わなくなって、虚ろな瞳でどこからか摘んできたマリーゴールドの花弁を一枚一枚千切るのを日が暮れるまで繰返したりしていた。けれど僕にケーキを焼いてくれたりする優しい部分は変わらなくて、そんな姉が大好きだった。
そしてマリーゴールドの鮮やかなオレンジ色で部屋が埋まりそうになる頃、姉は姿を消した。
僕じゃ守り切れなかった事、頼りにすらされなかった事が悔しかった。
線の細い儚げな人だったから、どこかで倒れているんじゃないかと心配で、毎日探し回った。
今日はその姉の命日。
僕は葬式色のスーツを着て、トケイソウの花とお菓子を持って、姉が亡くなった場所に来ていた。
町外れにある、古びた教会。
祭壇にこびりついた血の跡は今でも残っている。
あれだけ探しても見付からなかった姉は、けれどもある新聞記事によってあっさりと居場所が判明した。
尤も、それを読む頃には全て遅すぎたのだけど。
家を出てから姉はどういうわけか宗教を興して、それなりの知名度があったらしい。
信者数もどんどん増えてゆき、教会も建った。
順調であるかのように思えたのに。
設立して3年程経った頃。日曜日の説教中に、姉は大きなナイフで首を切って自殺したんだ。
当時その事件は大々的に放送され、信仰者たちは次々と後追いし大騒ぎになった。
宗教として勢いのある時期だったのに教祖は何故死んだのか?
教祖は自殺前に自身の著した書物を全て焼却処分していたが、何故その必要があったのか?
その書物には何が書かれていたのか?
謎が多く残る事件は世間で騒がれた。
まさかそれが僕の姉だなんて。
姉が居ない世界なんて生きている意味がないし、僕も死にたかった。
だけど死ぬ前に、何故姉が死んだのか知りたくてそれを調べてから死のうと思った。
家を出てからどういった経緯で宗教を興したのか。
気弱な彼女が何故教祖になれたのか。
ーー何故僕も連れていってくれなかったのか。
疑問はいくらでもあった。