白兎編Ⅱ
「あいむしーんぎんざれーん」
今日はざんざか雨が降っていて、ひび割れたステンドグラスから水が漏れている。マリア様が泣いているみたいで少し気分が滅入る。
だから聖堂の机に白いクロスをかけて、ミルクティーにマカロンでお茶会を開く事にした。
ミルクティーもマカロンもチェシャ猫さまが持ってきた物なのが少し癪にさわるけど。
ヤマネも誘ってみたけど一向に起きる気配がなかったから、一人でお茶会。
自分のお部屋から持ってきた、雪だるまがストーブに恋するおはなしの本を開こうとした時、聖堂のドアが開いた。
「あの、こんにちは」
昨日チェシャ猫さまが連れてきた、黒い髪にボロボロの黒い制服を着た女の子が立っていた。
出たな泥棒猫。違った、泥棒兎。
「ごめんなさい、チェシャ猫さまならまだいらしてないんです。あと2時間くらいしたらいらっしゃると思うんですけどどうします?」
どうせチェシャ猫さま目当てだろうとさっさと決め付けた私は、お引き取り願うか紅茶でも出して自室に避難していようかと考えていた。2時間なんて適当な数字だし。あぁ、こんな事考えてる自分が醜くて嫌だ。
「あ、じゃあ待ってます」
タッグクエスチョンて分かります? と思わず言いそうになるのをギリギリのところで我慢した。
紅茶を煎れるために、流しとガスレンジがあるだけのささやかなキッチンにこもって一つ息をついた。
紅茶は出したばかりの水道水を沸騰させて、お湯の温度が下がる前に出来るだけ早く煎れるのがいいって言うけど、そんなの無視してポットのお湯を冷えたままのカップにダイレクトで注いだ。
カップにお湯が満ちたところで、こんな事しても何もならないと思って、お湯を捨てて新しい水を沸かす事にした。
何やってるんだろ、私。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
一口飲んで美味しいです、と言ってカップを置く。
そうしていよいよ聖堂には嫌な沈黙が漂った。
「……。」
「……。」
紅茶の湯気の向こうで、黒髪の彼女は居心地悪そうにしている。
「あ……あの、昨日の事なんですけど……誤解されてたみたいなので……」
「あぁ、気にしないでください。特に意味はないですから」
わざわざ蒸し返す事ないのに。
不愉快だったから素っ気なく返事をして、この話題は早々に打ち切りにしようとした。だけど、泥ぼ…三月兎さんは尚も言葉をつづけた。
「あの、私そういうのあまり興味なくて…えっと…その…」
「?」
何を言い淀んでいるのか泥……三月兎さんは今にも泣き出しそうな表情で、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「私が好きなのは……っ」
勢い余って立ち上がったはずみに彼女の鞄が椅子から落ちて、ざぁ、と中の紙が散らばる。
途端にさっきまで真っ赤だった顔が真っ青になった。わ、すごい早変わり。
「ごっ、ごめんなさ……ああああ拾わなくていいですっ!!」
足下まで滑ってきた紙を拾おうとした私を制したけど、残念。少し遅かった。
「チェシャ猫さまがいる」
紙にはチェシャ猫さまが描かれていた。
もう少し詳しく言うと、チェシャ猫さまが男性に抱かれている漫画が描かれていた。
えぇと、こういうのって確か……
「ボーイズラブ?」
あ、三月兎が凍り付いた。
つまり三月兎って……
「腐女子?」
あ、三月兎が崩れ落ちた。
「ごめんなさい……。初めてチェシャ猫さんを見た時になんて綺麗な人なんだろうと思ってどうしても描きたかったんです。気持ち悪いですよね、本当にごめんなさい……人様の彼氏を勝手に……」
三月兎はまさにこの世の終わりのような声色で、床に額をつけて弱々しく謝った。
「気持ち悪くないよ。三月兎って絵上手いんだね」
「え……」
三月兎の前にしゃがんで拾った紙を差し出した。
「私変わった子好きだよ。それにチェシャ猫さまは恋人じゃないから」
「そうなんですか?」
「うん、むしろ大嫌いかな」
「それは結構傷付くなぁ」
いつの間にか後ろにチェシャ猫さまが立っていた。
「おかえりなさいチェシャ猫さま、大好き」
機嫌が直ったから、いつもみたく抱きついて、最上級の笑顔でおかえりなさいって言った。
「ただいま白兎、愛してる。数秒前と言ってる事が真逆だね」
チェシャ猫さまは少しひきつった笑顔で、それでもいつもみたく愛してるって耳元で囁いて頭を撫でてくれた。
「で、三月兎は何をしているの?」
「なんっ、で、で、も、ない、です」
不意にチェシャ猫さまに聞かれて、三月兎は顔を赤くしたり青くしたりしながら散らばった紙を目にも止まらぬ早さで片付けた。
きっと三月兎はほんとはチェシャ猫さまが好きなんだと思う。
チェシャ猫さまはその好意に気付いて彼女をここに連れてきたんじゃないかな。不愉快極まりない事に。
だってそうじゃなきゃ三月(発情期)の兎なんて名前付けないわ。
だけど、三月兎は自分の弱みを晒してまで否定しようとした。
だから、許そうと思った。
どうせ私も彼女も報われないし。
雨雲は行ってしまったみたいで、泣き止んだマリア越しに曇った空が見えた。