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PANDORA  作者: 日下祈京
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EINS

ある少女が居た。名を姫小路沙那美という。

地元の小学校に通う小学五年生である彼女は、何の変哲もない地元の小学生、でもないかもしれない。

何故か、それは彼女の様々な能力は一般的な小学五年生を遥かに超えている。

スポーツテストをやらせれば中学生男子にも匹敵する程の結果が、勉強を一教えれば十にも二十にもなって返ってくる。絵を書かせればほぼ確実といって良いほど全国レベルのコンクールに入賞し、楽器を教えれば似たような楽器の弾き方も直ぐに習得してしまう。また、教えられたこと、覚えたことを上手に他人に教えることも出来る。さらに凄いことには、其処までの高い能力を有しながら、万人に好かれていると言う事である。これだけ能力が高ければ嫉妬するものや、羨ましがる者、利用しようと思う者が居ても全くおかしくは無く、寧ろそれが自然であろう。しかし。彼女を嫌いな者は、少なくとも彼女の周りには一人も居ない。

これが普通の小学生かと問われれば、はいと答えるのは難しいかもしれない。

この完全無欠と言っても良い少女が、姫小路沙那美である。

しかし、この彼女については完全無欠であること以外にも少々おかしなところがある。

この時代の、この世界に住む人間にとってはとても不思議なこと。

そう、彼女には今まで奇跡が起きた事がない。

彼女のその完全無欠さ故か、不思議な出会いも、普通では叶え得ない望みが叶った事もない。

しかし、そんなことは全く気にせず、彼女は毎日を過していた。とても楽しく、満たされた毎日を過していて、彼女は自分の生活に不満はない、と思っていた。

そんな彼女の生活が一転したのは、彼女の誕生日。

六月六日であった。


六月五日・二十三時三十六分。

東京郊外。

家の明かりも疎らになった暗い路地。

其処を歩くのは、一人の会社員。

数日前、彼には彼にとっての最大級の奇跡が起こる。

大手企業に入社し、一人暮らしをしながら毎日仕事をこなしていたある日、仕事を終えて家に帰ると、玄関の前には見知らぬ女性。

いや、何処かで会ったかも知れない。

黒のストレートロングヘアは腰までとどき、着ている服や立ち姿から清楚なイメージを受ける。スレンダーな体型で、背は低め。その女性は大きめのバッグを持って、彼の家の前に立っていた。

彼の好みにドンピシャの彼女は、彼女の立っている2階建てアパート2階のとある一室の部屋の主にこう言った。

「一目見た時から、貴方を慕っておりました。突然でびっくりするかも知れませんが、貴方の傍に置いて下さい。」

彼に断るという選択肢は、その場では全く浮かばず、二つ返事で彼女を部屋に招き入れた。

それからその二人は同棲を始め、来月の頭には式を挙げる予定である。親戚や友人にも知らせはもうしてあった。

そして今日も家に帰れば彼女の暖かい手料理、楽しい入浴タイム、その後は彼等のみぞ知るという、幸せな時間が待っていることは間違いなかった。

早く帰って、仕事の疲れを癒したいという気持ちから、街灯の少ない道を早足で歩いていく。

道沿いの民家の明かりは、時刻の所為か殆どついていない。

次の角を曲がって、少し歩けば愛しい彼女の待つ我が家だ。

と、角を曲がって数十メートルの所に在る街灯の下に、誰か立っていることに気付いた。寿命の切れかけた電球はそれが誰であるかを、はっきりと彼には教えてくれなかった。

何年か前ならば不審者と思い警戒をしていただろうが、今のこの時代、そのような事件は全く聞かない。そんな心配は要らない。平和な世界であった。そのため彼は特には気にせずに家路を急いだ。早く彼女のかわいい顔が見たい。

街灯の下に立っているのは長身の男であることが、次第にわかってきた。不規則に点滅する街灯の光が、その長身の男の着ている服に反射する。その長身の男は真っ黒なレザーのロングコートに身を包んでいるようであった。髪は真っ黒で長い。そして右手には何か大きなものを鷲掴みにしている。足元には黒っぽい水溜り。顔は俯き加減。その男まであと5メートル。不意にその男は、彼に右手に掴んでいる物を投げてよこしてきた。突然の出来事に彼は右手からカバンを離し、投げられたそれを抱えるように受け取った。其処にあるのは最愛の者の顔。手にはヌルリとした嫌な感触。彼女の悲痛な顔。右目がない。右側頭部に穴。

「あ…え…?」

状況が理解できない。

「最後までお前の名を呼んでいたぞ。」

クックと、喉をならす男。ゆらりと彼に近付いてきた。

何がなんだかわからない。

今、腕に抱えてるのは彼女のクビで、目の前に居るのは見知らぬ男で、その男は僕の最愛の彼女のクビを持っていて、街灯の下に立っていて、今の時刻は何時なんだろう、今日は新月。

『この男が彼女を殺した』

『コノ男ガ幸セヲ奪ッタ』

「あ、あぁ…、亜アあぁぁ阿ぁぁあぁ嗚呼あっ!」

何も解らず、とにかく殴りかかった。

「早く家に帰ってやればよかったのになァ。この女はいつお前が帰ってきても良いように、すぐに食事を暖められるようにしながらお前を待っていたんだぞ?」

武道経験のある彼の右の横薙ぎの力強い拳は、長身の男の顔には当たらず、空を斬り、直後、胴体と生き別れ、宙を舞う。

「あぁっ!」

今まで感じた事無いような痛み。いや、寧ろ痛みはない。痛みはないが、腕の付け根から脊髄、脳髄へと突き抜ける電撃。

その痛みに耐えかね、彼は右手があった所を抑えながら地面をのた打ち回った

「最後の晩餐は、しっかりとオマエに届けたぞ。」

そう言って、長身の男が掴んだのは、先ほど投げ渡されたものの、殴り掛かる時に道に置いた彼女のクビ。

男は彼に近付き、のた打ち回っている彼の前に来ると膝を曲げ、右側頭部に開いた穴を彼に見せた。其処から除くのは、煮魚とサラダ。のようなもの。

どちらも元の食材の色は無く、赤みがかっている。

男はその穴から指を突っ込み、中から煮魚を取り出した。粘性の液体がこびり付いた煮魚はズルリと穴から這い出てきた。道に赤くにごった液体が滴る。

彼は吐いた。

気持ち悪いせいか、悲しみのせいか、怒りのせいなのか解らないが、彼はその場で嘔吐した。

「なんだ、いらんのか。この女の愛情とやらがたっぷり詰まっているぞ。」

その男はにやりと顔を歪めて笑うと、その煮魚を一口齧った。

「なかなかいけるじゃないか。」

彼は胃液を吐き尽したのか、しゃくり上げるような動きをするものの嘔吐はしていなかった。

暫くその様子を眺めていた男は不意に立ち上がり、彼の顎を蹴り上げた。

彼の体と共に、数本の歯が宙を舞った。

5メートルほど吹っ飛び、彼の体は地面に叩きつけられた。

「つまらん。飽きた。死ね。」

何かが弾ける音が、真っ暗な夜空に響いた。

日付が変わろうとしている。

街頭の電球の寿命は、いつの間にか終わりを迎えていた。


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