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まずはエヴァン王国最南にある王都サルナードに向かうとシオンは言ったが、その前にユティアたちは比較的大きな街カイゼに立ち寄った。ラタよりはかなり大きく、ラタを含むこのあたりの領主の館があると説明してくれた。
「まだ窓の外見てんのか」
下の食堂に果物を取りに行っていたカディールが部屋に戻ってきてもなお、窓から町並みを眺めているユティアの背中を見つけて呆れた口調になる。
「うん……だって、上から、こうして見るのはじめてだから」
すべてが珍しかった。
ここの神殿はかなり大きく、三階建てだ。祈りのために訪れる民も後を絶たないばかりか、ユティアたちのように神殿の休憩部屋を借りている旅人も多く見かけた。敷地内には食堂や大衆浴場まで用意されていて、久しぶりの大きな風呂にシオンは喜んでいた。
三階建ての建物というのはこのあたりでも稀で、すべてのほかの建物がユティアの足元よりも下にあるようだった。そんな光景は、まるで空を飛んでいるかと錯覚させる。
「ひとがすごく、小さい……」
道端で話をしている中年の女、物売りの少年、行きかう馬。遠くにいる人々までここからでもよく確認できた。
カディールはそんなことには興味がないようで、持ってきた果物をテーブルの上にどさりと置いた。丸いオレンジが床に落ちてユティアのほうに転がっていく。
「食べろよ。野宿じゃあまり良いもん食えなかったからな」
「え……そんなこと、ないよ?」
ラタの町を出て十日以上野宿で、保存できるようなものばかりだから、種類は豊富ではなかった。だが、ユティアには今までに見たこともないような食べ物ばかりで、毎日空腹になるときがなかった。
「あんな食いもんで満足すんな」
「う、うん……」
ユティアには野宿の食事でも十分だったが、カディールの言葉にただ素直に頷いた。
(でも、このひとたちについてきて、よかったんだよね。もう、そう決めたんだし)
本当は、少しだけまだ、怖い。
でもそれは、殴られるときの純粋な恐怖ではなく、広がっていく新しい世界への好奇心と未知への恐れ。
ユティアは転がってきたオレンジを拾った。
丸くて、重たい。
腐っていない果物を手にすることはほとんどなかった。木から盗んでひどく怒られて、叩かれた記憶ばかりが残っている。
「カディ……」
「はんは?」
別の果物をかじりながら、カディールは何だと応えた。
そんなときでも、彼は背中の剣をはずさない。
「あの、ありがとう……いろいろ」
「は?」
「最初の日のあともずっと、たくさんのひとがわたしを追ってきていたのに、カディは危険なのに戦ってるでしょ」
自分のためにしか動かなかった人々しか、ユティアは知らない。誰かのために命をかけるなんて、物語でしかありえないと思っていた。
「何言ってんだ。これが俺の仕事だ」
カディールは手に持っていた果物を置いた。
「あんたが気にすることはねーんだ。俺はクレイと約束したんだから」
「わたしの……兄って、どんなひと?」
兄―――この言葉を口にすることには慣れていない。
戦があって、彼はもう死んだ。
カディールは他人事のように淡々とそう言ったけれど、双眸だけが泣いているようで、本当は尋ねてはいけないのだとユティアも思う。
けれど、知りたい。
母は物語のように、お姫様とその兄と、大切な友達の話をしてくれた。どうして本当のことだと教えてくれなかったのだろうか。会えないとわかっていたからあえて告げなかったのか、彼を置いてきたことへの罪悪感からか。
「あいつは―――王には、向いてなかった」
カディールは珍しく無表情だった。
「……?」
「民を思いやり、他人が傷つくことを嫌がり、俺たち騎士の身を案じる……」
「それがいけないこと、なの?」
「戦乱で、王の役目は自分が生き残ることだ。その上で、兵を奮起させ、国のために戦わせることだ」
カディールの口調が少し、強くなった。
「あんたも王族で、狙われてるってことはその命に価値があるってことだ。だからこそ、生き延びることが仕事で義務だ。俺たちにたとえ、何があってもな。俺の命はあんたのもんなんだから」
「……そんなの」
「あんたができないと諦めるなら、俺が守る意味はない」
難しい。
生きていくことだけで精一杯だったユティアには、想像できない世界だった。けれど、こう言ってくれるカディールの期待には、応えたいと純粋に思った。
神妙な顔をしてうつむいてしまったユティアを見て、カディールは何気ない様子で果物を口にする。
「ま、今どうこうしろってことじゃねーし」
カディールなりに気を使っているのか、少し語気を和らげた。
「それより、シオンはまだ帰ってこねーのか」
今朝この部屋を借りてから、シオンは用事があるといって半日近く戻ってきていなかった。何かあったのではないかと不安になるユティアの表情とは別に、カディールは慣れているのか、特に気にしている様子もなかった。彼が何をしているのか知っているのだろう。
(そうだよね、シオンは魔道使いなんだし)
自分にも母にもそんな力があったと聞いて驚愕だったが、だからといってその力を使いたいとは思わなかった。
ユティアはオレンジを剥きながら、また外を眺めた。
ここは神殿の裏側だから、ここで見ていてもシオンが帰ってきたかどうかは確認できない。大きな神殿と外壁の間に木々が植えられていて、いくつかの小さな小屋が建てられている。大通りから離れた細い道は人通りが何もなく、静かだった。
(―――あ、ひとがでてきた)
神殿の裏口があるのか、そこから一つの影が姿を見せた。きょろきょろとあたりを見回し、一つの小屋に入ったかと思ったらすぐに出てきた。
ユティアは窓から大きく身を乗り出して、その行方を目で追いかける。
何か、ひっかかるものがあった。
「おい!」
カディールが後ろからユティアの両肩をつかむ。
「なーにやってんだ。危ねーだろ」
「ご……ごめんなさい」
いったん視線をカディールに向けたが、すぐに外に戻した。何がそんなに気になるのかと、カディールも見守った。
「あいつがどうかしたのか?」
「―――うん、どこかで」
ゆっくりと記憶をたどっていく。あのうしろ姿には見覚えがある。けれど、ユティアの知り合いは多くない。
影は自分のうしろを確認するためか、少し振り返った。その顔がここからでもよく見えた。
「あっ!」
すぐにユティアは走り出していた。部屋を飛び出す。
「おい、待てっ」
背中でカディールの声を聞いたが、ユティアはあの影を見失いたくなかった。
「危ねーっつってんだろ」
「ひゃっ」
階段を駆け下りようとしたところで一段を踏み外し、落ちるかという刹那にひょいとカディールがユティアの身体を軽々と抱えた。そのまま一階まで降りたあと下ろしてくれたばかりか、ユティアの知らない裏口のほうを案内してくれた。
「あ、ありがとう」
「あんたなぁ、狙われてるって言ってんのに自覚ねぇだろ」
「……あ」
言われたばかりだった。王族としての役目。
「ごめんなさい……」
「まあいいや。それより追いかけるんだろ。行くぞっ」
カディールは先に走り出して、ユティアは慌ててそれを追いかけた。
小屋のそばにはその影はもうなかったが、木の陰で石壁をよじ登って敷地の外に出ようとしている少年をすぐに見つけた。
「レクト!」
「えっ? ……うわあ~っ」
ユティアに名前を呼ばれて振り返ったとき、バランスを崩して少年は背中から落ちた。幸い高さはユティアの目線より少し高いくらいだった。
「いってぇ」
「だ、大丈夫っ?」
少年は近づいてきたユティアを見上げた。
「お、おまえ、泣き虫ユティアか?」
「う……うん……あの」
昔のあだ名を言われるのは恥ずかしくて、ユティアは曖昧な顔をして頷いた。
ラタの町の貧民街で生活していたが、何年か前に奴隷商人に捕まって売られていってしまった、顔なじみの少年だった。
彼は背中をさすりながら起き上がり、昔とはまるで違ってすっきりとした格好をしているユティアを上から下まで何度も眺めた。




