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どんよりとした曇り空が太陽を隠していたけれど、いつのまにか朝をちゃんと迎えていた。
結局ユティアたちは、残っていた一頭の馬を宿舎に買い取ってもらい、そのわずかな金で宿泊した。金髪の青年一人を追い出すわけにもいかないから、彼の分も払ったのだが、翌朝に二人が起きたときにはいなくなっていた。
「早朝には何も言わずに出て行ったよ。変なひとだねえ」
宿舎の受付にいた中年の男は、気にした様子もなくユティアの問いにそう答えただけだった。
「私たちに義理堅くする必要もありませんものね」
二人で小さなテーブルを囲み、質素な朝食を前にして、リトルセは毅然な表情を相変わらず崩さずにそう言った。それがユティアには心強い。
「そうだよね……でも名前も結局わからなかったね」
ユティアとしては、彼を助けたのか、それとも彼に助けられたのか……よくわからない状況だった。わかるのは、彼に馬車を壊され、馬を逃がされたということ。
(……ってそれ、よくないことだけなんじゃ―――)
今更そう思ってもどうしようもない。別に文句を言ってもしかたがないし、ユティアたちにとってはこれからのほうが大問題だ。
あの御者の惨劇は思い出したくもなかったが、ユティアはどこかでセトがやったのだろうと確信していた。彼ならやりそうな―――そんな謎めいた瞳を隠していたから。
だが、なぜか彼はそれから姿を見せなかった。
宿舎にはほかに何人かの旅人がいたけれど、部屋はリトルセと二人きりで、いつ彼がユティアたちの部屋を突き止めるかと最初は眠れずにいた。だが、思った以上に疲れていたのか、いつのまにかぐっすり寝ており、気づいたときには普通の朝を迎えていたのだ。
「これから……どうしよう……」
「歩くしか、ありませんわ」
間髪入れずに彼女は答えた。リトルセのこの細い身体で、徒歩の旅などできるのだろうか。ユティアだって体力のあるほうではないし、そもそも二人とも旅をするような格好ではない。現にこの食堂で、ユティアたちの丈の長いゆったりとした服装は、旅にあまりにも不釣合いで注目の的だった。特にリトルセのかんばせは、辺境の宿舎にあっても平民とは思えない様子だったし、所作にも育ちのよさが見えるのだ。
「たしかこちらの方のお話ではフェイの村というのが、徒歩で一日程度の距離にあるとか……わたくしたちの足でも二日あればなんとかなるでしょう」
それでもユティアは不安だった。道はこの街道に沿っていけばいいから問題ないだろうし、まだ少しの金銭が残っているからこの宿舎で食料を分けてもらえる。でもこうして外に放り出されて、何も決められない。
(わたしのほうが、年上なのに……リトルセのほうがしっかりしてるなんて)
けれど二人きりでこの街道を二日も歩くなんて、ユティアには考えられなかった。
(……前みたいに、誰かが襲ってきたら―――)
サルナードに着くまでの間に、何度そんなことがあっただろう。カディールとシオンがいたから、ユティアは何事もなくそこまで着けたのだから。
「……あのセトってひと、いなくなっちゃったの、かな?」
一番の疑問を、ユティアは呟いた。
(あのひとは怖い……もう、会いたくない)
本能はそう思うけれど、一方でいつまでもここにいられないこともわかる。人里離れた宿舎で待っていてもカディールたちが見つけてくれるとは思えない。
(わたしが、ちゃんとひとりで魔道を上手く使えたらよかったのに……)
そうしたらシオンのように、何があっても対処できた。遠すぎて魔道で人探しはできないかもしれないが、身を守る手段くらいはあったはずだ。
「どうして急に、いなくなってしまったのかしら……」
当然といえば当然の疑問だが、いろいろなことがありすぎてそこまで行き着くだけの余裕が今まではなかった。
だが、それを考えても答えが出るわけでもなく、いないのならそのほうがユティアたちには好都合だ。
そう思うと気楽になった。外から何人かの客に呼ばれて管理人が億劫そうにカウンターの席を立ったその背中をなんとなく見送りながら、ユティアはテーブルの上の固いパンに手を伸ばした。美味しくはなかったが、空腹を自覚できるほどには落ち着いてきたのだと思う。
「おい、お嬢さんたち。あの壊れた馬車はあんたらのだって言ってたな」
慌てた様子で先ほど出て行った管理人が食堂に戻ってきて、二人は同時に顔を上げ、リトルセが戸惑いながらも首肯した。
国営の宿舎といっても国境に近い辺境だから、それほど大きな建物ではなく、食堂から短い廊下のすぐ先は入口だった。その管理人は外を指差しながら言葉を続けた。
「いいのか? 馬車をいじくってる男がいるが……あれは知り合いなのか?」
「―――えっ?」
昨日の青年が戻ってきたのかと一瞬思ったが、それならばこの管理人も彼の顔を知っているはずだった。馬車をいじるような男に心当たりのないユティアとリトルセは、顔を見合わせたが、どちらからともなく立ち上がった。
「こちらのお客ではないということですか?」
「ああ、見たことないな」
管理人のあとについて、リトルセとユティアも宿舎の外に出た。
その壊れた馬車は宿舎のすぐ目の前ではなく、少し左側にずれている。とはいえ、そこからでも人影は十分に確認できた。
背中しかわからないが、薄茶色の短い髪の青年だった。
馬車にあるものでも物色しているのだろうか。ユティアは最初そう思ったが、その考えをすぐに否定した。誰もがそうやって、生活に困って盗みをするわけではない。
近づいてくるユティアたちの気配に気づいたのか、薄茶色の髪を揺らして青年が振り返った。昨日の彼よりも若く見える、まったくの別人だ。
「あれ? この馬車の持ち主を呼んできてってさっき頼んだんだけど、まさかこんな小さな子たちだなんて思わなかったなあ」
ユティアたちに向けられた屈託のない笑みは、彼をずいぶん幼く見せた。大きな瞳には少年のような素直さがのぞいている。動かしていた手を止めて、身体ごとこちらに向ける青年の前に、騒ぎやいざこざは好ましくないと思ったのか、宿舎の管理人が立ちふさがった。
「知り合いかね?」
尋ねられ、二人は同時に首を横に振っていた。
その明確な返事で、管理人は青年を不審人物と認識したらしく、出て行けとばかりに彼の腕を捕まえようとする。だが、軽くかわしてへらへらと笑った彼は、横から睨みつけてくる管理人の視線をキレイに無視した。
「ここの客じゃないようだが、なんの用だ?」
「あーいやあ。馬車が壊れていたから、つい……」
彼が指し示したそれは、昨日とはずいぶんと様子が変わっていた。
屋根がなく、壁も低くなっていたが、車輪が四つしっかりと前を向き、大破したはずの胴体が様子を変えてたたずんでいた。馬車というよりも荷台のようになっている。
(直ってる……)
何をしたのだろう。あんなに壊れていたのに。
「ホントに君らの馬車? でも馬がないけど、どうするの?」
彼がずいっと近くにいたユティアに顔を近づけた。
……が、後ろから管理人に襟を捕まえられて、首がかくんと引っ張られる。
「客じゃないなら出て行け。妙な勧誘も断わっている。国に報告するぞ」
「勧誘なんかじゃなくってさあー。この子たち困ってんなら助けてやろーかと……」
「それを勧誘っていうんだ。お前はカストゥールの人間か? 国に引き渡してもいいんだぞ」
カウンター越しにのんびりと話していた管理人はどこか頼りなさそうにも見えたが、こうしてユティアの前に立つと筋肉もある強そうな男だった。国境付近というのは治安維持が難しいものだが、彼らのような男たちを配置して揉め事を抑えているのだろう。
「えぇ? そんなに厳しいのちょっと待ってよ~っ」
「管理人さん。私たちはかまいません。お話だけでも」
リトルセが口を挟むと、青年は嬉しそうに破顔した。
「やっさし~お姫様みたいな子だねっ。ね? どこ行くの? 馬いないみたいだけど、おれの馬つないでこの馬車で連れてったげるよ」
「―――え? あの、でも」
唐突な申し出だった。
「おれ、ライっていうんだけど。こっから一番近い大きな街って王都?」
ライと名乗った青年は、二人にぐいっと顔を近づけてきた。管理人は、リトルセが許したのだからということで何も言わずに宿舎に戻っていったようだ。彼も暇ではなく、ユティアたちだけにかかずらってばかりもいられないのだろう。
青年の人懐っこい瞳は、珍しい―――菫のような瞳の色だった。
「一緒に行こうよ。君たちは馬がなくて困ってた。んでおれはひとりで寂しかった。だからちょうどいいよね」
「馬車を直していただいたことには感謝いたしますけれど……でも」
「そんなこと言わないでよ~。危ないよ、こーんな可愛い女の子二人じゃさ。身包み剥がされてぽいって捨てられるよ?」
反論の言葉をなくしてしまったリトルセに、ライと名乗った青年はさらに畳み掛けるように続けた。
明るい口調は、確かに彼を不審者と決め付けにくくしている。
「な? 二人で歩いていくよりかはおれとのほうが安全だと思うよ?」
結局、彼の主張をユティアたちは断われなかった。