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【夢幻の大陸詩】 Blue Bird & Black BloomⅠ ~勇の章  作者: 水城杏楠
二十一章  落ちないために
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 目が覚めたような気がするのに、いつまでも眠たくてユティアは目を閉じていた。

 ひどく気だるい。

 けれどそれは、高熱で倒れたあのときとは違っていたし、無理矢理起きる理由も見つからなかった。

 身体が不自然に揺れている。その居心地の悪さにようやく気づいた。

(―――ここは、どこだろう?)

 自分のベッドで寝た記憶がなかった。そもそもサイロン家の豪華なベッドはこんなに揺れたりしないし狭くもない。

 それが気になって、全身の力を振り絞って目を開けてみた。瞼を動かすことがこんなに体力が必要な作業だったのかと思いながら。

 ……薄暗い。

 けれど、やけに天井が近かった。手を伸ばせば届くかなと思ったけれど、その手はやけに重たくて、指先だけしか動かなかった。

 首を動かさずに、視線だけを彷徨わせる。

 がたんがたん……と、どこか聞きなれたその音。

(……馬車?)

 目が慣れてくれば、たしかにそれは馬車のようだった。だが、ユティアが乗ったことのあるサイロン家のものとは内装がずいぶん違う。

(な、なんで……わたしこんなとこに……)

 もう一度よく記憶を手繰ってみる。

 最後に覚えているのは、紅いワインの入った透明のグラス。そして白すぎる壁の……彫刻の笑顔。

 永遠に笑い続ける人々。

 フィオナも同じように、きっと微笑んでいた。

「もう目が覚めたのですか。さすが、エリシャの姫君ですね」

 ユティアの視界の届かない闇の奥から、あまり低くない男性の声が聞こえた。言葉の意味を理解するよりも先に、気配をまるで感じなかったユティアの肩は、無意識にびくりと動いた。

(―――誰?)

 少なくとも聞いたことのある声ではなかった。

 あまり広くない馬車の中で、彼が席を移動して近づくのがわかった。ユティアは後部座席に寝かされていたようだ。身体はだるいような気がするが、痛みはないことを確認し、ゆっくりと起き上がる。

「―――あ」

 それだけで眩暈がして、馬車の揺れもあって前に倒れそうになる。椅子から落ちそうになったところを、その男が両手で支えた。

 両肩に触れる彼の手は、どこか冷たくて。

 男性とは思えないほど細い指先が、衣服を通しても感じ取れる。

 ユティアが顔を上げると、その青年の双眸が間近にあった。

 細く長い髪は風を含んでいるかのように無造作にふわふわと揺れ、金髪というにはあまりにも色素が足りなかった。ユティアをじっと見おろす無感情の瞳も、うつろではないのに光がまるで届いていないように思えた。

 気配というより、生気がどこか、欠けている。そんな印象の若い青年だった。

「自覚がほとんどなくとも、サイロン家の令嬢とは、やはり元々が違うのでしょうね」

「……サイロ―――あ、リトルセはっ?」

「貴方の隣におりますよ」

「え? ……あ……」

 ユティアがはっと座席を振り返ると、ぴくりとも動かずに寝ているリトルセの姿があった。

「リ、リトルセ……っ」

 恐る恐るその腕に触れてみると、体温を感じてほっとする。けれど、一人でここにいるのは心細く、彼女を軽くゆすってみたが、まったく起きる様子はなかった。

「魔道力を込めた睡眠薬ですから、この娘では当分起きませんよ。まあ死ぬことはありませんから安心してください。私とてクラウド家を敵に回したくはありません」

「―――クラウド家?」

 本気か冗談か、よくわからない飄々とした口調に騙されそうになりながらも、ユティアは最後の言葉に首をかしげた。

 リトルセはサイロン家の令嬢だ。たしかにジュリアス=クラウドとは懇意にしているが、彼女が正式に属しているわけではない。

「知らないのですか?」

 尋ねられている情報もわからずに、ユティアはただ首を横に振った。

「……ああ、そうですよねえ。貴族社会というのは閉鎖的でやっかいなものです」

 後半は独り言だったのか、ユティアから視線を逸らして少し低く呟いた。

「あ、あの……わたしは、なんで、えっと……ここ、に」

 フィオナはどうしてここにいないのだろう。

 そして、それよりもそばにカディールとシオンがいないことのほうがユティアを不安にした。馬車はどこかに向かっている。ここはきっと、もうサルナードではないのだろう。カディールたちは知っているのだろうか。どのくらい時間が経過して……しまったのだろうか。

(このひとは……怖い)

 それはたぶん本能による直感。

 ジュリアスに感じる畏怖とはどこか違う。

 どうしてそう思うのだろう。彼の話し方は威圧的ではなく、むしろ好意的だ。ユティアに暴力を振るうでもなく、優しく助け起こす手を持っている。それでも恐怖を与える何かが彼にはある。

「あなたに会いたいという方がいるので、ぜひ来ていただきたいのです」

「―――えっ。そっそれって……」

 条件反射でユティアは身構えてしまった。

 あの『白鷺』とか名乗った、実はエヴァン王国の王子様だという少年の顔がすぐに浮かんだから。一度すでに理不尽に連れ去られているという前科もある。

 だが、彼の口からはユティアが思いもよらない言葉が紡がれた。

「行き先はカストゥール王国の首都、トゥール」

「―――え?」

 カストゥール……。

 カディールたちに会うまでは、その名すら知らなかった。今も何度も聞くようなものではない。けれど、ユティアの心にそれは深く刻み込まれて忘れなくなっていた。

 魔道研究の盛んな、世界屈指の大国。

 そして―――ユティアの故郷を奪った国。

 今もその国から生き残りのエリシャ王女を探して刺客が送られてきているのだ。ユティアにとって、ただ危険な国という認識しかなかった。

(なんで……そんなところ、に……知らないひとと)

 彼もまた、刺客の一人なのだろうか。

 だとしたらこのままでは……。

(ころ、され、る―――)

 彼は、ユティアが黙っているのを気にした様子もなく、穏やかに言葉を続けた。

「まもなく国境になりますが、その前にこの娘を売ってきますから」

 まるで市場の野菜売りのような、気楽な言葉だった。

(―――売る……って前のわたしみたいに? なんでそんな簡単に言っちゃうの……)

 昔の生活が、脳裏の片隅によぎる。

 唇を硬くかみ締めながら、彼を見上げたけれど、交錯する視線の中で、何も言えなかった。ただ、優しそうな双眸の奥にきっと、ユティアを売ったひとたちのような欲望があるのだろうとだけ思った。

 冷たくざらついた氷の砂が、雨のように降り注ぐ。そんな錯覚を感じるほどの虚無の空間で、ユティアは無意識のうちに息を潜めた。

(……逃げ、ないと)

 ユティアはもう、あのころのように子供ではない。

(―――違う。逃げる、だけじゃなくて……)

(リトルセを、助けないと―――)

 子供ではないし、もう一人ではなかった。

 顔を上げて彼の視線を受け止める勇気はまだないけれど、ユティアはすでに絶望しなくてもいい世界に足を踏み入れているのだ。

 それを自覚して、ゆっくりと深呼吸する。

(きっとシオンが見つけてくれる……カディが助けてくれる)

 それまでリトルセと離れないように、手をつないでいればいい。


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