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「なんのつもりだ、フィオナ」
珍しくジュリアスは王城からいつもより早く帰宅し、真っ先に妻の私室を訪れていた。
彼女に与えられた棟にある宴会場では、晩餐会の準備が着々と進められている。銀のスプーンに薄い硝子の杯、贅沢な食材……たとえ内輪だけの集まりでも、王家の姫である彼女はそれらを当然のものとし、華美すぎるとは思わない。
だが、それだけならば別にかまわなかった。ジュリアスは彼女が誰を呼んでどれだけ豪遊しようと、自分に迷惑がかからない限り口を出したことはない。
「ジュリアス様。ご機嫌うるわしゅう……」
どう見ても不機嫌そのものの表情で、ジュリアスは彼女の社交辞令を無視する。
その間に、慣れている侍女たちはそっと退室していた。
―――二人だけの広い部屋。だがそれは、一人きりのときよりもなお、静寂と孤独を色濃く落とす。
決して近づくことのない、虚無の空間。
「サイロン家を招待したそうだな」
彼女の私室は、広さこそジュリアスのものと変わらなかったが、柱の彫刻や一面に張られた雪花石膏の壁画、他国のものらしいデザインの壷などのせいか、ずいぶんと印象が違う。それらの品がいつ増えたのか、そもそもこの部屋を訪れるのがいつ以来だったかも、ジュリアスはもう思い出せなかった。
華麗でありながら派手すぎない、その計算された調和の中で、彼女は少女のように幼げな表情で首をかしげた。ジュリアスには、すべてが無味乾燥に見えた。
「いけません……でしたか?」
普段なら干渉してこないジュリアスに突然問い詰められても、フィオナは予想していたのか、疑惑の念すら向けない。ソファで寛ぎ、いつのまに飼い始めたのか手のひらに乗るのではないかと思えるほど小さな猫をいとおしそうに胸に抱いている。
「ユティア殿たちは明後日にも出発するのだろう。忙しいだろうときに何を―――」
「それは本心、なのですか?」
ジュリアスの言葉を遮って、彼女は小さく呟いた。顔も上げず、視線は子猫に向けられたまま。
それはまるで独り言のようで。
「リトルセ様までわたくしが呼び出したから」
「違う」
あらかじめ用意されていた簡潔な一言。
考えるより先に、口が動く……。
どちらも役者なのだと、ジュリアスはこのとき初めて気づいた。
お互い、与えられた役を演じているだけだ。だから、議題はいつも決まっていて、問い詰める言葉も、反論の返答も……伏せられた睫毛の震えやそれを見た自分の嘆息さえも、脳裏のどこかでわかっていた。
ただそれが、大衆劇場の役者たちのようには上手くできなかっただけで。
「でも貴方は……ユティアさんだけを呼んでいたら、わざわざここまでお越しにはならないでしょう」
疑問ではなく確認の口調だった。
だが、これを是と認めることはできない―――冷静な部分がそう警告するからジュリアスは押し黙った。代わりに眼光がいっそう深く鋭くなっていたのを自覚していたが、フィオナはいまさらそれにたじろぐような女性ではなかった。
微風のように受け流し、彼女は初めて視線をジュリアスに向けた。
美麗な、藍色の瞳。
彼女のそれには、不思議と光も影もないように見えた。
貴婦人は上品に微笑み、形の良い唇を動かす。
「でも……旅をなさっているなんて、わたくしには未知の世界。初めてお会いしたときから、一度お話してみたかったのです……」
生粋の王家の人間であるフィオナが、そのようなことを思うはずがないとジュリアスは思う。言い訳にしては陳腐だが、彼女は問い詰められても何も応えないだろうし、自分にも言えない部分はあるのだ。そもそも客人らを招待するななどと説得しても無駄だろうことは、この部屋に来る前からわかっていた。
それでも普段寄り付きもしない場所までジュリアスを駆り立てるもの―――それがリトルセという名。
彼女を見るたび思い出す……大人だったかの女性と、子供だった自分。
リトルセが早く正式に結婚してカリスだけのものになればいい。そうすれば、めったに自分と会うこともなくなるだろう。
だが、そんな日など永遠に来ないかもしれないという一抹の懸念を拭えずに、ジュリアスは再び溜息をついた。