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「そう、あの男がきたんだ?」
食堂で四人分の軽食を貰ってきたシオンは、カディールの説明にもさほど驚いた様子は見せなかった。
「リトルセ殿、せめて水を」
部屋を追い出されてしまい、エンディーンのそばから離れたことで、少し気が抜けたのか、リトルセは長いすにぐったりと全身を預けていた。シオンに支えられながら、なんとか一口だけ水を含む、その顔は少し赤い。
「食事は」
気だるそうに潤んだ瞳を落としたまま、リトルセは力なく首を横に振った。
「……でも、リトルセ」
ユティアの声ももう聞こえていないのか、彼女は双眸を遠くに彷徨わせた。こんな状態でも、かろうじて意識を保っている。手を握ったら、エンディーンとは対照的にひどく熱かった。
「やっぱり一度カリス殿に来てもらって、サイロン家のほうに―――」
ふいに、わざとらしい足音が近づいてきて、シオンは言いかけていた言葉を飲み込んだ。
カディールがまず、厳しい表情を隠さないまま回廊に出た。ユティアとシオンもそれに続く。
見ると、名乗りもしない男が、倣岸な足取りでこちらに向かってきた。
ユティアたちには一瞥もくれず、カディールだけに軽く視線を投げた。だが、それだけだった。
(……エンディーンの、友達、だったのかな)
ユティアはそう想像していた。
きっと、呪詛のことを知って最期の別れにきたのだろうと。
(―――さいご、の)
考えたくなかったけれど、それが現実だった。
カディールと交錯する視線。
先ほどと同じ、嵐のような大気をユティアは感じた。その視線だけでカディールを射殺してしまいそうな、そんな危うさや鋭さを秘めている。
それに気を取られすぎて、シオンがわずかに眉をひそめたことには誰も気づかなかった。
びりっと何かが破れるような音を、耳ではないどこかで聞いた。
ユティアがはっと気づいたときには、カディールの前にシオンが立ち、男がにやりと不敵な笑みを余韻に残していた。
男の歩みは、何も止まっていないのに。
(……なに、が、起こったの?)
魔道、だったのだろうと思う。シオンが、だから動いた。だが、ユティアにはまるで視えなかった。
言葉は何も、なかった。
何事もなかったかのように彼らの前を素通りする男の背中をぼんやりと眺めるユティアの視界に、よろよろと歩くリトルセの姿が映った。
「リ、リトルセ……っ」
条件反射のように地下に向かう、おぼつかない足取り。
それを止めることはできないとこの五日で十分わかってしまった。カディールが、一つため息をついて、階段を落ちないようにリトルセを支えながら部屋に連れて行き、ユティアとシオンもそれに続いた。
いつもと変わらない彼が眠っているはずだった。
けれど、部屋に入った瞬間、シオンがあからさまに足を止めた。
「どうした?」
振り返って尋ねるカディールにも、シオンは答えない。
「……そんな、はずは」
その呟きは、近くにいたユティアだけが聞いた。
カディールはリトルセを座らせて、エンディーンが寝ていることをちらりと確かめ、怪訝そうな表情を浮かべた。
エンディーンの頬にそっと手の甲を当てる。こんな風に自分から触れるのは珍しいことだった。太刀筋を見たことがあると言ってから、彼はどことなくエンディーンを警戒していたから。
(……まさか、もう―――)
すべては、終わって……しまったのだろうか。
彼の顔色にはまるで変化がないけれど。
どこかで焦燥感が、広がっていく。
どくん、と鼓動がひときわ大きく聞こえた。
人の死なんて、慣れていると思っていたのに。
(だれかの、たいせつな、ひと)
ユティアには何もなかった。
母がいなくなってから、大切な人も大切な物も、何一つこの手になかったから。
初めて、死というものが哀しく辛い出来事なのだと気づいた。そして、誰もが逃れられないものなのだと、知った。
リトルセはじっと、エンディーンの顔を見つめている。
何があっても揺るがない約束だけを、その手に持って。
「……ユティア」
いつのまにかシオンもすぐ後ろに来ていて一つ頷くと、エンディーンの手首を取った。少し強く握って、何かを確認したようだった。
沈黙が落ちる中、はっと突然リトルセが腰を浮かせた。
「―――あ」
小さな声を上げる。
ユティアも、エンディーンの顔をじっと見つめた。
(……目が)
睫毛が少しだけ、揺れた。
(生きて、る……)
ユティアは、彼の双眸がゆっくりと開かれる一部始終を、呼吸も忘れて見守っていた。
その瞬間、はっと立ち上がったリトルセが、すべての緊張から解き放たれて意識を失う。倒れこむ身体を、シオンが後ろからそっと支えた。
彼が、生きている。
それと同時に、ユティアも理解した。
あの男がこの部屋を訪れた理由、シオンがエンディーンを見て立ち止まった理由。
……呪詛は、雲散したわけではなかった。