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 ユティアは、掛ける言葉を見つけられないまま、エンディーンの部屋を出た。

『だから、生きて』

 強く、儚く、哀しいほどに熱い。

 その背中は、もう震えていなかった。それが、もう覚悟の表れのような気がして、ユティアは視線を足元に落としながら、上に向かう階段を登った。

(もう、五日……大丈夫、かな)

 ジェイドに言われた最長は、十日。

 だが、必ずその日というわけではないのは、誰もがわかっていた。

 それに、懸念はエンディーンよりもリトルセに、むしろあるかもしれない。

 あの状態のままでは、彼女のほうが先にどうにかなりそうだった。

 リトルセはほとんどエンディーンのそばを離れない。

 地下にあるその部屋は、不浄なものが入らないように配慮されているが、ひんやりと冷たい密室だ。寝ている者ならいいが、正常な感覚が狂わされやすい、神殿の聖域だった。

 さらに、リトルセはほとんど睡眠を取っておらず、眠ろうとしても悪夢ですぐに起きてしまう。また、食事を拒絶しているわけではないが、食べてもすぐに戻してしまう。それがさらに、リトルセの体力を奪っていた。

 ジュリアスが伝えたのか、カリスはあの日の翌日の早朝、神殿を訪れた。だが、リトルセの背中をしばらく見つめただけで、何も言わずに帰っていった。かける言葉が、彼ですら見つからなかったのだ。けれど、朝と夜、カリスは毎日リトルセの背中だけを見にやってきた。

(……どうしたら、いいんだろう)

 ユティアもずっと、考えていた。

 このままエンディーンがただ衰弱していくのを見ているしかないのだろうか。魔道による呪詛なら、魔道でなにかできないかと単純に考えてしまう。だが、シオンが何もできないでいるのに、ユティアが考えたところで無意味かもしれない。

(ほかの、方法を考えるしかない)

 たった一つの方法だけは、試すことができない。

 エンディーンのために、ほかの誰かを犠牲にできない。そうしたら、きっとリトルセはもっと深い傷を負う。

 ジェイドもあれから幾度となく、エンディーンの様子を見に来ている。ユティアはひそかにその手腕を期待していた。だが、彼は延命のための治癒を施しているようだったが、それでもエンディーンが目覚めることはなかった。

 階段を登りきったら、なにやら回廊で騒がしい声が聞こえてきた。

 厳かな雰囲気の神殿では珍しいことだ。

「こ、困りますっ! 勝手に奥へ行かれては……っ」

「離せ。ここにいる男に会いにきただけだ。呪詛持ちの男がいるだろうっ?」

 はっとユティアは顔を上げた。

 呪詛持ちの男―――そうそう多くいるはずがない。

 回廊を駆けて一つ角を曲がると、ひらひらとした長衣を着た男が、二人の神使いにつかまれた腕を振り解こうとしているところだった。

 シオンよりも年上だろうか、二十代後半の青年は、すっきりとした端正な面立ちをしていたが、その双眸は不機嫌だけを如実に示し、微笑すれば耽美なそれも、綺麗に押し隠されていた。

(リトルセかエンディーンの知り合い……かな)

 その傲然とした態度は、サイロン家の使用人という雰囲気にも見えない。

 声をかけようかどうしようかと悩んでいたところに、ユティアとは反対方向からカディールが姿を見せた。ユティアの姿をすぐに見つけて一つ頷いてから、その男たちに近づいていったから、そのそばまで行くことにした。

 だが、気配に気づいた男が振り返り、カディールを見た瞬間、ユティアにはまるで突風かなにかが発せられたような気がした。不可視の力に押されて、数歩後ずさってしまうほどに。

 不穏な空気を悟ったカディールも、軽く眉をしかめた。だが、それを口に出す前にはっと気づいて、別の言葉が紡がれた。

「―――お前、あんときエンディーンと一緒にいたやつだろ」

「……―――」

 カディールの指摘に、男は肯定も否定もしなかった。じっとカディールを、見極めるように見やった。睨みつけたといったほうがいいかもしれない、鋭利な視線。

「お客人の知り合いですか?」

 その空気をまったく察しない神使いが、安堵する表情で問いかける。エヴァン王国屈指の神殿には、泊まる客も多いし、末端の者たちにまで、最高位のジェイド自らが手をかけている患者がいるなどとは知らないだろう。

「ああ」

 知り合いではないのだが、カディールは簡潔にそう答える。ユティアたちが泊まる部屋は、ジェイドのための特別室だ。カディールの返答を疑問に思う余地はなく、神使いたちは男の手を離して下がっていった。

 男はじっと、カディールだけを見ていた。

 ユティアなど、まるで目に入らぬかのように。

(……こわい、ひとに、みえる)

 ジュリアスに感じた恐怖とは違う。彼のあの威厳は、ユティアの身に刺さって畏怖を与え、目を逸らしてしまうけれど、この青年はそれとは違った印象だ。

 その睨む視線に含まれているものは、一つしかない。

 隠すこともしない、憎悪。

 痛いほどに、強く。

(カディール、に?)

 お互い、会うのは初めてのようなのに、その激しい感情に、ユティアは少し首をかしげた。カディールもその様子に気づかないはずはない。

「エンディーンに会いに来たんだろ?」

 彼は呪詛のことを知っている。

 つまり、あの剣のことを知っているということだ。

「ああ、そうだ」

 彼はそっけないカディールの言葉に、不機嫌そのものの表情を返した。


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