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あれから、いくつの朝を迎えたのかわからなくなっていた。
変わらない日々。
眉一つ動かさないエンディーンを、リトルセは来る日も来る日も、飽きることなくじっと見つめていた。
ぬくもりのなくなった冷たい手を握り続けたら、いつしかリトルセの体温と同じになった。それに気づいてから毎日何度も、頬に触れて、首に触れた。少しずつリトルセの暖かさを、生きている証を、分け与えるかのように。
それでも彼は、瞼を揺らすことすらなかったけれど。
かろうじて生きているが、何も食べていない彼は、日に日に衰弱しているのがリトルセでもわかった。
見ているだけなのは、苦しくて。
けれど、リトルセだけは、逃げるわけにはいかなかった。
「嘘、だったの……? 貴方の命は私のものだと、そう言ったじゃない」
話しかけて、答えなかったことなど今までなかったのに。
もう、彼から言葉は、返らない。
あの優しかった声を、聞けない。
「貴方だけが、私と同じだった……」
似たもの同士。
だから、安心できた。持っているものも足りないものも同じで、二人で埋め合えるものは、孤独以外何一つなかったけれど。
傷を分かち合って。
流れる血を、一緒に拭った。
お互いでは癒しあうことができないとわかっていたから、せめてその耐えられないほどの痛みを共有した。
その手にもう何も残っていなくて。
ただ身ひとつで立って。
過去というしがらみに囚われたまま、お互いの手を握ったとき、もうそれしか持っていない二人。
エンディーンだけが、リトルセを一人にしなかったのだ。
ジュリアスやカリスは優しく、そこに安らぎはたしかにある。けれど、彼らにはリトルセのほかに大切な家族がいる。いつもリトルセひとりに関わっていられないのはわかっているし、そんな贅沢な我が侭は言えなかった。
(でも、寂しい……)
口には、出せない。
エンディーンにも、それだけは言えなかった。
「あのとき……貴方が、私を、救ってくれたわ」
どこかで納得しようとしていた婚約。けれど、どうしても実感がなくて。
ジュリアスがどんどんと話だけを進めていくことが怖かった。けれど、それを彼には言えなくて、悟られたくなくて。強引なそれすら、リトルセのためだとわかっているから、拒否はできなかった。
逆らえずに、呑まれていく日々。
衝動的に家出をして、森の中深く入り、やっぱり一人なのだと実感したときに、彼がいた。
血だらけで。
恐ろしかった。
ふと、父を思い出した。
自害したという彼を、リトルセは見ていないけれど、どこかで想像してしまう。血だまりの中に倒れる家族たちの姿を。
けれど、震える手で倒れている青年に触れたら、まだ暖かかったのだ。
『死な、ない、で』
一人に、しないで。
初めて会った、見知らぬ男に、リトルセはそう言った。
それが最初の、願い。
我が侭で、引き止めた、道のりの一歩だった。
数え切れないほどの望みを、すべてリトルセのために叶えてくれた。そんな彼が、リトルセに祈ったのは、たった一つだけだった。
ほとんど意識のない状態で。
血だらけの手をのばして、リトルセの腕に触れた。
ぬるりとした感触も、弱い鼓動も、甘い声も、すべて覚えている。まるで昨日のことのように。
『―――泣、か、ない……で』
そう言われたから、顔を上げることができた。
少しだけ晴れた視界で、未来を見据えることができた。
「いつも、そばに……いて、くれたじゃない……」
掠れる声。
それでも伝えることがある。
彼がいたから、前を向いて婚約も決めた。自分の運命を受け入れて、生きることにした。そのせいで彼がすべてを犠牲にして微笑んでくれたことを知りながら、笑顔一つで見ないふりをしてきた。
「……でも、もう……返すから。ねえ、貴方の過去も、奪ったりしない……そばに、も、いてくれなくても、いい」
過去を封印させて。でもまた剣を持たせて。
結婚するリトルセについていくことで、未来をも捨てさせた。
「だから、生きて」
何処でもいい。
ただ、生きていてくれるなら。
「……もうそれしか、望まない、から」
最後の、願い。
たくさん、たくさん、数え切れないほどの願いを、エンディーンはリトルセのために叶えてきたけれど。
もう、終わりにする。
この一つさえ、叶えてくれるのなら、ほかはすべて捨ててもいい。
そう思っているのに。
―――けれどそれさえまだ、彼は聞いてくれない。