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神使いである彼は、ジェイドと正式に名乗って、神殿の最奥にある一室にエンディーンを寝かせた。
リトルセだけがジェイドについていき、ユティアたちは別室で待たされることになった。
ユティアはとりあえず長いすの隅のほうにちょこんと座って落ち着こうとしたのだが、カディールは腕を組んでぐるぐると部屋を回っている。その理由が、エンディーンに対する心配のみではないだろうことは、ユティアでも想像できた。
「あいつ、偉いやつなのか?」
いらいらとした態度を隠さずに、ぶっきらぼうにカディールは呟く。
ジェイドは呆けている顔つきというわけではないが、どことなくのんびりとしていて、頼りがいがあるという雰囲気はなく、上に立つ人間には見えなかった。
だが、通常はいくら重傷患者の治癒とはいえ、ここまで奥には入れないとカディールは言う。だが、ジェイドを先頭にして歩いていたら、すべての神使いたちが恭しい態度で道を譲り、神殿の関係者でもないユティアたちがぞろぞろと後についていっても、誰にも咎められなかったのだ。
「……カディール、君が今まで知らなかったのは驚きだけれど」
「何が?」
彼の無知は今に始まったことではないと、シオンは呆れた声を隠さずに言葉を続けた。
「あの肩掛け、金糸のものは最高位の証なんだよ。つまり、能力も権力も最もあるということ。しかも王都の神殿でね」
それは、エヴァン王国随一の神使いたる証ともいえる。クラウド家という権力のあるジュリアスだからこそ、彼に直接頼みごとをできたのかもしれない。二人の関係を知らないシオンは、そう推測していた。
「でも、それならエンディーンは大丈夫ってこと?」
彼が治癒できないのなら、エヴァン王国ではほかの誰にも治癒できないだろう。だが、ユティアの簡潔な問いにも、シオンは真摯な眼差しを向けただけで是とは答えなかった。
「……私たちは、待つしかありません」
「でも、そんなに重傷には見えなかったのにな」
「―――あの、剣のせい?」
思いついたままに言ってみたユティアだったが、はっとカディールは足を止めた。用意されてあった飲み物を三つの杯に入れていたシオンの手は止まらなかったが、少しだけ視線をユティアに向けているのがわかった。
(たしかに、おかしかった)
そうとしか言えない。
剣術のことはまるっきりわからないユティアだが、あの剣がどこか不自然なことはわかった。目で追いかけられる速度ではない二人の動きよりも、その剣そのもの。
(呪われた剣ってリトルセが言ってた)
闇にあって、あれは鞘も剣も光っていた。
アスティード王子が近づいていったときには、それはさらに輝きを増した。
そのとき、ユティアはたしかに感じたのだ。
「剣に、声がある、みたいだった」
「―――ユティア」
飲み物を二人に手渡し、シオンは隣に腰を下ろした。
「聞こえたのですか?」
「……わからない」
剣に声があるというのは、実際に人間と同じ言葉を聴いたからではなかった。何か、伝えたいことがあるような気がしただけだ。
「エンディーンの意思で動いてなかっただろ、あれ。俺でも目で追うのがやっとっていう動きだったぞ」
二人の間を見て、正確に棒切れを投げつけたカディール。だが、あの程度のことに、一か八かと思えるほど慎重にならざるを得なかったのは初めてだった。
「……たしかにあれには強い魔道力を感じます。呪の剣……抜けば生命を吸い取られるということです」
「おい、それって……」
「外傷がなくとも、その剣を抜いた時点で致命傷になりかねない」
淡々と告げるシオンの言葉は、ひどく冷たくユティアには聞こえた。
(……ちがう、シオンが冷たいんじゃない)
それを聞くユティアの心が。
どうやって受け入れたらいいのかわからないから。
だって、身近な死なんて、いつでもどこにでもあったのに。
初めてユティアは、誰かが悲しむかもしれないことに気づいた。
今もエンディーンに付き添っているだろう、リトルセ。ここに来るまでも、片時もそばを離れなかった。いつか乾いていた涙は、リトルセのその横顔から潤いも消した。
「……エンディーンは、それを知ってて、あれを使ったのか」
「そうでなければイデアに勝てないと思ったんだろうね」
だが、あの剣を使ってもイデアとは互角だった。いや、あの少年はカディールが目でやっと追えるほどの速度で動きながら、息一つ乱していなかった。互角なわけではないのだろう。
「―――何も、できないの?」
どんなに願っても願っても、願い続けても、叶わないものなんてこの世界にはたくさんある。
理不尽でも、不平等でも。
(でも、諦めたくない……)
仕方ない、なんてもう思えない。
リトルセの表情を見てしまったとき、はじめてユティアは人の死の悲しみを知った。
馬車に轢かれた息子を抱いて嗚咽する母親や、声なく涙を流していたレクトの気持ちが、やっとユティアにも現実として認識できた気がする。
でもエンディーンはまだ生きている。
それならばできることがあるかもしれない。
縋るような思いで、ユティアはシオンを見上げた。
「……そう、ですね」
シオンはユティアのほうを向かずに、手の中の杯に少し口をつけた。何を考えているのかはまったく読めず、少しの沈黙が落ちる。
それにすぐ耐え切れなくなったカディールが口を開こうとしたとき、回廊で誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
「失礼いたします。ジェイド様より、容態が安定しましたのでご案内せよとのことです」
純白の長衣を纏った若い神使いが現れて、生真面目な顔でそう告げた。