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二人の姿が壷の中に消えてしまっても、もうシオンは驚かなかった。
彼の持っていたあの木箱や壷からは、魔道使い一人が持てる魔道力とはかけ離れた、強すぎる力を感じる。できないことなど何もないだろうと、シオンにすら思わせてしまうほどに。
これほど間近に対峙していても、その魔道力がどこで作られたものなのかはまるでわからない。あの奇妙な少年からも多少の魔道力は感じるが、とうてい足りない。おそらく協力者の魔道力を使っているのだろうとシオンは推測した。
彼らが突然消えてしまったことに動揺を見せた剣使いたちも、初めに口を開いた男が剣を鞘に戻す音を聞いたときには、冷静さを取り戻してざわめきも消えた。それぞれも剣を収めて円陣を解いた。
話をするつもりがあるという意思表示だろう。それならばとシオンは自ら先に口を開く。
「私たちがサルナードに来てからは、不思議と排魔の横暴はなくなっていたようですね」
それは目的のものを見つけたから。
相変わらず扇動するような演説だけは行い、使い捨てできる仲間を集めていたようだが、ここにいる者たちはみな、当初の目的を知っている。
「……なるほど。私たちに……いや、海色の友人にすら気づかれずに情報集めをしていたとはおさすがです」
余裕と取れるような笑みすら浮かべて、男はシオンの翡翠のような双眸をまっすぐに見据えたが、シオンには皮肉にしか聞こえなかった。
「シオン様、と今の御名をお呼びしたほうがよろしいのでしょうか」
「どのような名も貴方が口にする必要はありません」
すべての感情を綺麗に押し隠した怜悧な一言にも、男の表情は揺るがなかった。
「冷たいお言葉ですね。このセトをお忘れではないでしょうに」
「他国の治安をいたずらにかき乱してまで、再会を望んでいたのですか」
「ええ、それはもう」
まるで愛しい恋人に縋るかのような、甘く、切なさすら孕む声。
シオンはふっとその顔に少しだけ感情を見せた。他人が見れば、恍惚のため息を漏らすほど優美な微笑だった。
(まだ、変わっているものなんて何もなかった)
あのころと同じなのだと気づかされて。
このセトという男は、人間を厭うことでしか生きていけない。
それが唯一の糧であるかのように。
「貴族のお屋敷などに匿われて、貴方はもう二度と会ってくださらないのかと思っていたのですが、本当によかった」
王都サルナードでしか活動していない排魔の存在は、さすがにシオンも知らなかった。だが、リトルセの申し出は、思いもよらないところで効を発揮したことになる。おかげでしばらくは彼らと関わらずに済んだ。
「そちらもどなたかが後ろについているようですね」
サイロン家などよりも遥かに巨大ななにか。おそらくカイゼの前領主クイードと会っていた女なのだろうとは推測できるが、それ以上の情報はシオンでもつかめなかった。だが、一地域の領主が頭を下げるだけの地位を持っていることだけはたしかである。
シオンの指摘にも、セトは動じなかった。
「しかし、残念ですね。私が会いたかったのは貴方だけではなかったのに」
もう一つの、星。
カディールが向かった先に、きっといる。あの少年の正体はシオンもわからないが、このセトが追わなかったのだから只者ではないのだろう。
「その強運に免じて教えてさしあげましょう。あの少年の本名は、アスティード、というのですよ」
「………………」
さすがのシオンも予想していない答えに、ゆっくりと息を呑んだ。一方で予想通りの反応を得られたセトは、満足そうに頷いていた。
(……これも、強運のひとつになりうるか、カディール次第ということ、かな)
あの奇行を平然とやってのける少年だ。行動の予測や事前の対策などは無意味だろう。そういう対応はカディールの直感に任せるほうがいい。
「……さて」
セトはどうでもいいことのように付け加える。
「大人しくこちらに来てはいただけませんか」
ユティアのそばに誰もいないのであれば、シオンも是と言わざるを得なかっただろう。だが今は、カディールがいる。セトに従う必要はなかった。
シオンは何も答えなかったが、その無表情からセトは悟ってわざとらしく嘆息した。
「なるほど」
目に見える合図は何もなかったが、彼の近くに無表情で控えていた六人が一斉に剣に手をかけた。だが、シオンは顔色一つ変えなかった。
息のあった動作で地面を蹴る彼らは、卓越した運動能力を秘めていた。ゆったりと立ち、構えているようにも見えず、魔道の詠唱をするでもないシオンは、無の双眸でセトを一瞥した。
兆候は、何一つなかった。
「……ひっ」
その次の瞬間に上がった短い悲鳴。
シオンを囲むようにしてできた円柱状の青白い炎は、一呼吸の間に何事もなかったかのように周りの剣使いたちとともに消えていた。
シオンとセトの頭上に、まるで花びらのように灰が舞う。
この場だけ見たら、誰もがその幻想的な光景に心奪われただろう。
「なるほど」
先ほどとまったく同じ語調で、セトは呟いた。
「指輪を、はずして来ましたか。それが意思表示ですね」
「このままカストゥールに帰国するのであれば、私も誰の采配で動いているのかは聞かないことにしますよ」
シオンの指輪は、ユティアの腕輪と同じ。
その溢れる魔道力を抑制するための、自分の身に対する防御策。あれがなければ、シオンは手加減することができない。
「すでにご存知でしょうに、ずいぶんと不利な条件を出しますねぇ……いいでしょう。今日のところは諦めることにします」
あっさりと彼は踵を返した。あまりにも潔い態度だったが、シオンはそれを追うことはもう、できなかった。
残してきた指輪の力をたどり、空間を瞬時に移動した。