表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/92

「用事は済んだのか?」

「―――ああ」

 神殿の大きな円柱に寄りかかる男に、唐突に声を掛けられてもエンディーンは冷静だった。

 二人は並んで、人の中を歩いて神殿の丘を降りていく。男がさりげなく手を揺らしたときの淡い光を、エンディーンだけが確認した。軽やかな風が通り過ぎ、男の少し癖のある黒髪を靡かせる。

 彼らの会話は続いているのに、その内容は誰の耳にも届かなかった。

「あとはイデアを殺るだけだ」

 人を殺すためだけに生きているような、少年。

 イデア、という皮肉な呼称をつけたのは、彼の両親ではない。

 心臓を一突きなどという繊細なことはせず、ただ首を落として殺す術だけを知る無類の暗殺者。

 エンディーンがイデアを知ったのは、いまから五年前。当時彼はたったの七歳であったのに、すでにそんな噂が流れていた。

「ようやく目的が一致したな、セイン」

 エンディーンの傍らで、男―――セインは静謐の眼差しをただ前に向けていた。

 その存在を知る誰もが、目にすることすら何より厭う。

 イデアにとって、敵や味方という感覚はない。現在も、『味方』であるはずの仲間たちを何人も手にかけていることを、エンディーンも知っていた。

 人殺しを、一呼吸としか思っていないのだ。

 危険としか思えない少年に、近づこうとしている。

「馬鹿だな、お前」

 はっきりと無謀を告げられ、エンディーンは口元を軽くゆがませて笑おうとしたが、上手くできなかった。

 嘲笑の仕方など、自分には不相応な長すぎる平和の中で、もう忘れてしまったのかもしれない。

「だが、だから俺を必要としたんだろう」

「純粋に、お前に会いたいという気持ちも、あった……」

 セインになら利用されてもエンディーンはかまわなかった。

 だが、同い年のこの青年を動かしているのは、再会した一年前から今までも、ただ憎悪だけなのだと、エンディーンは改めて気づかされた。

「『朝陽』は、リンの形見ではないのだぞ、セイン」

「わかっている。だが、リンが王から預かった宝剣だ。でも奴がまだ、性懲りもなく『黄昏』を探していてくれてよかった」

 セインは殺人鬼イデアが持つと言われているそれを手に入れて、再び王に返還するためだけに国を出て旅を続けていた。

 宝剣は二振り。

 鮮やかな金色の『朝陽』と、冴えた銀色の『黄昏』。

「お前はカストゥールに帰るつもりなどないのだろうが、俺は違う」

「セイン」

「リンは祖国できっと、弟のお前を待っているんだぞ」

 だが、何を言われてもエンディーンは心を揺さぶられることはなかった。しばらく無言だったセインもそれに気づいて溜息をつく。

「……イデアを探す前にひとつ聞く。リース」

「その名で呼ぶな」

 不機嫌を全面に出して、エンディーンは答えたが、セインは気にしなかった。

 彼は、リトルセと出会って捨ててきたエンディーンのすべての過去を知る、唯一の男。

「お前はもう、リンを忘れたのか」

「―――ああ」

 セインに視線を向けず、前だけを見据えてエンディーンは答えた。だが、いつもの穏やかな眼差しは影を潜めていた。

 神殿の丘を降りてきた二人は、示し合わせるでもなく、人気のない路地に入っていく。

「もうエリシャ王国への憎悪など、考えていない」

「―――だが、俺はリンを殺したあの国が今でも許せない……っ!」

 それは理屈や理性で抑えることなどできない、激しい思い。

 エンディーンの中にも、そんな感情が渦巻いていたときが、たしかにあった。だからセインの色褪せない憎悪が手に取るように理解できる。

「あの情報を、読んだのだろう?」

「ああ」

 エンディーンは、ゆっくりと呼吸した。

 子供のように無様に、叫び出してしまわないために。

「それでもまだ、あの家にとどまって、その男と同じ食卓につくお前が、俺には理解できん」

「……俺はもう、リトルセ様のためにしか動かない。姉も国も、俺にはない」

 エリシャへの憎悪や、リンのための復讐や、国への忠誠心。

 それらすら、両親につけられた名前とともに、エンディーンは捨ててきた。

「リース」

「その名で呼ぶなと言っただろう」

 愛されて、名づけられた双子―――リンとリース。

 けれど、エンディーンはもう、その双子剣使いではない。リトルセのためにしか生きられない、不自由な男に成り下がった。

(あの名前はいらない)

 姉の敵討ちすらしてやれない弟が、両親に愛される資格など、もうどこにも残っていないのだから。

 けれど自由のない今のほうが、なぜかはるかに幸せに思う自分がどこかにいる。

 不謹慎だと諌めても、止まらない思い。

 リトルセの笑顔ひとつで、何故か、堕ちていた暗闇から一歩ずつ階段を登っていけるのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ