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サイロン家の中庭は、見られるほどには手入れされているが、その優美さや広大さはクラウド家のものには遠くおよばなかった。
そこで一人散歩をするユティアを、シオンは隅のほうでそっと眺めた。
穏やかな風、花の香り、適度な静寂。
近くには厨房もあり、夕食の支度をしているのか、すでによい匂いがここまで届いてきていた。
ふと立ち止まった彼女は、手を少し上げて目を閉じた。
瑞々しい草木。
そこから落ちる雫の欠片。
そんな美しいものたちを、想像しているのだろうと思わせる、自然な表情で。
やがて、ユティアの指先から、いくつもの水が玉になってこぼれ落ちていく。
透明な宝珠。
優しげな笑みも、その表情からこぼれた。
(まったく、カディールは……)
この黄昏では女性と間違えてもおかしくないほど端正な美貌は、そっと苦笑を浮かべた。見るものがあれば、それすら至高の芸術のように整っていると思っただろう。
ユティアのそばに近づいて、椅子に腰を下ろしたが、まだ懸命に集中しているユティアは気づかない。
先日の早朝、カディールと出かけたことはシオンも知っている。彼がついているのだから、それほどの危険もないだろうと行き先も尋ねなかった。
けれど、その日からユティアの表情にわずかながら変化が見えてきたことに、シオンはすぐに気づいた。
海の絵を見た、と言っていたが……。
(いったいどんな秘術を使ったのやら)
ユティアは集中力を切らして顔を上げた。すぐにシオンの姿を見つけて、驚いた表情を浮かべる。
「上達しましたね、ユティア」
世辞や贔屓目ではなく、ここにいてユティアは魔道をずいぶん操れるようになっていた。物心つくかどうかのときにはすでに魔道というものに触れていたシオンも、たしかに自分の上達も早かったと自覚しているが、ユティアの年齢では珍しいことだ。
(やはり血、かな)
だが、もちろんユティアの努力も大きいのだろう。シオンはそちらを評価する。
「あ、ありがとう。でもまだシオンみたいには」
「習い始めて一月で追い抜かれてしまっては、さすがの私も困ってしまいますよ」
冗談のように言うと、ユティアも笑った。作られた笑みではなく、自然に。
どこかずっと、堅い面持ちだったユティア。そして夜になると、怯えた様子を見せることも多かった。そして、ユティアはそれらを決して悟られないように必死だった。甘えたり縋ったり、そんな子供らしいことを何一つしてこなかった彼女は、その方法すら知らないのだろう。
だがシオンは、彼女をただ甘やかすつもりはなかった。実際、シオンは師として適度な厳しさを持って接している。
「……シオンはいつも、わたしのいる場所がわかるの?」
「え?」
「だって、いつも見つけてくれるでしょ」
笑顔を取り戻したユティアは、鮮やかな色を振りまくように可愛らしい。あまたの美女を容易に手にできる美貌を持つシオンも、その荒削りな愛らしさには縁がなく、軽く首をかしげるそのしぐさに思わず本心からの微笑を返した。
「ユティアの表情や日ごろの考え方などで、推測するんです。魔道使いは状況に応じて様々な働きをしますから、こういうのも大切ですよ」
「そ、そうなの……?」
まったく考えてもみなかった新しい課題に、ユティアの瞳は少しだけ曇る。
「あとは、魔道でも、他人の居場所がわかることがありますよ」
立ち上がり、ユティアの手を軽く取った。
「カディールがどこにいるか、わかりますか?」
「え? ううん……わからない」
屋敷のあらゆるところを常に警戒しているシオンには、カディールが当てられた自室で豪快に昼寝どころか夕寝をしている姿が鮮明に視えてくる。
これほど熟睡していても有事には瞬時に目が覚める野性は、シオンも舌を巻く特技なのだった。
「ひとにはそれぞれ、個性のある気配がします。それを思い出して辿るのですよ」
「気配……」
カディールと直に接していたときにすらそんなことを感じていなかったユティアは、シオンの言葉に首をかしげて複雑な表情をした。
高度な魔道だ。すぐにユティアが会得できるものではない。
それを知りつつシオンは、なぜかユティアに教えてみたいと思った。
いつか自分を、遥かに超える魔道使いになるかもしれない、そんな資質を持つ少女に。