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翌日、ジュリアスは何があるかわからないと、護衛に密兵をつけてユティアたちをサイロン家まで送り届けてから登城していった。
あまりにも豪華すぎ、ユティアにまで何人もの使用人がつけられていたクラウド家別邸よりは、静かなサイロン家のほうがまだ落ち着いていてほっとする。あれほど豪華だと思っていたサイロン家も、クラウド家と比べてしまうとずいぶん質素に見えてしまうのが不思議だ。
緊張した面持ちでいたユティアが少しほぐれているのを感じ取ったカディールとシオンは、お互い顔を見合わせてうなずきあっていたのだが、ユティアは気づかなかった。
「カリス様は、まだ戻られていないの?」
「はい、本日もお忙しいようで、お帰りは夜になるとのご伝言を承っております」
屋敷の規模に比べてずいぶん少ないと感じる使用人たちが、リトルセを出迎えて丁寧に跪拝する。
リトルセが自分の客人と認め、貴人のように接しているせいか、使用人はユティアたちにも同様の姿勢を取る。それに戸惑っているのはユティアだけだったので、口を挟むことはしなかったが、これだけはいまだに居心地の悪さを拭い切れなかった。
そもそもユティアの態度が、彼らには身分ある女性のものには見えていないだろうことは明白だ。胡乱な視線を最初は向けられたものだが、リトルセやあのフィオナと自分を比べれば、その違いは一目瞭然だとあらためて思ってしまう。
けれど、そこにシオンがいるだけでなぜか、使用人たちの態度は一変した。容姿、物腰ともに文句のつけようのない貴公子で、リトルセがもてなすにふさわしい客人だと認識されたのだ。
「では、戻られたら伝えてくださいね」
「かしこまりました」
腰を深くかがめる使用人に一瞥だけを返し、リトルセは歩き出す。その背中を見ながらユティアは不思議そうに首をかしげた。
(でももう、しっかりした態度になるなんて……すごいなぁリトルセって)
昨日ジュリアスの腕の中で震えていた少女と、今ここで凛然と顔を上げて使用人と接する彼女が、同一人物とは思えないほどユティアには異なって見えたのだ。
リトルセは、カリスの婚約者という立場を完璧にこなしていた。
そして、貴族の子女は、それを求められる立場にある。リトルセの変貌は至極当然のことで、私情を挟むものではないのだが、ユティアにはまだ公私の相違というものがわからなかった。
夜中ずっと付き従っていたらしいエンディーンはすでに、リトルセから一歩下がって歩いている。彼もまた、立場を明確に理解して、そのとおりの行動を取っているのだ。
「残念ですね。カリス様がまだお仕事とは」
「ええ、たぶんまた王子殿下のことでしょうから……」
何気なく答えたリトルセに、シオンだけがわずかに顔色を変えたのだが、誰もそれに気づかなかった。
「ここエヴァン王国では、必ず第一王子に王位継承権があることになっているのですが、クラウド家の後見のある第二王子殿下に傾きかけているとかで……」
「リトルセ様」
エンディーンにたしなめられ、無意識のように質問に答えていたリトルセは、はっと言葉を飲み込んだ。
「すみません……エヴァン王国の醜聞など御見苦しいことを、お聞かせするべきではありませんでしたわ」
恥ずかしそうに瞳を伏せたリトルセは、エンディーンに促されて自室に戻っていった。
ユティアたちも一人ずつ部屋を割り当てられていたが、とりあえずシオンの部屋に向かった。
「どうすんだ」
部屋に入るなり、憮然とした表情でカディールが呟く。
「少し、厳しいね」
柔和な声とは裏腹に、言葉通りに厳しい表情を浮かべるシオンに、カディールは機嫌の悪そうな瞳を向けた。
そのやり取りの意味を理解できずに、ユティアは二人を交互に見つめた。
「サルナードにはあまり長く滞在できないかもしれないということです」
「……排魔、が、いるから?」
魔道使いというだけで迫害される王都サルナードでは、ユティアとシオンにいいことなどひとつもない。外見だけではわからないのだから、大人しくしていれば問題ないとも言えるが、追っ手がいる今、目立つ行動を起こしかねない不安はある。
「それも、ある。でも王家の混乱が一番の原因だな」
古今東西、どこにでもある継承者争い。
カディールとシオンも、旅をしながらエヴァン王国の内情を噂程度に聞いたことがあった。
身分の低い女性から生まれた第一王子と、ジュリアスの姉から生まれ、クラウド家の強い後見のある第二王子。だがすでにどちらも母は亡く、父王は病床についている。
「おそらく今は、クラウド家のご当主、つまりジュリアス様のお父上が、かろうじて国をまとめているのでしょうね」
クラウド家出身の娘が第二王子を産み、次期当主といわれているジュリアスは王妹を妻に持つ。だが、王や第一王子をないがしろにして一貴族が実権を握れば、当然のように他の貴族はいい顔をしない。
カイゼの一件をのぞけば、地方での混乱はほとんどなかった。だから、シオンたちも旅の途中でこの事態の可能性を考えなかった。今思えば、王都のこの政情のせいで、カイゼはあれほど長く放置されていたのかもしれない。
「エリシャ領に行くと言ったのを、覚えていますか?」
シオンに尋ねられ、ユティアは素直に頷いた。
「そこには、ユティアを守ってくれるひとたちがいます。かつての、王家との結びつきの強かった人々が、ユティアを助けてくれるはずです」
「うん」
追われるばかりの日々から何とか抜け出そうと、二人が懸命に考えてくれているのがわかっていた。それはたぶんうれしいことなのだろう。だから何も考えずにユティアはただ、もう一度頷いた。
「―――行きたくないのか?」
「え?」
カディールに端的に問われて、ユティアは返答に迷った。無神経に返事をしてしまったことに気づいた。
ユティアの故郷。
だが、懐古や歓喜も、憤りや怨恨も浮かんでこない。
行きたいとも、行きたくないとも思わない。
知らない、土地。
「……わからない」
正直に答える。
「まだあまり、エリシャのことを身近に思えなくて」
「当然のことですよね。住んでいた記憶もないのですし」
それでもユティアを待って、助けてくれる人々がそこにいるという。
(行っても、いいのかな……)
何が待っているのかもわからないのに。
こんな曖昧な心を、それでも大地は受け止めてくれるのだろうか。
なにか、応えを、与えてくれるのだろうか。
ここサルナードの南のはずれに、その国境はある。