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深夜になってしとしとと降り出した細雨の湿気に、わずかな緊張感が混じる大気。
通常より増やした密兵の動く気配は、さすがのジュリアスでもほとんど感じない。それでもどこか違和感を覚えて、閉じていた瞳をそっと開いた。
眠れない原因は、そんな些細な変化などではないとわかっていた。
ランプの明かりだけが、小さく揺れている。曇天に覆われた暗い夜。
腕に抱いていたフィオナから離れ、上半身を起こした。彼女は少し身じろぎしたが、キルトに顔をうずめたまま起きる様子はなかった。
クラウド家という王家に次ぐ権力があれば、当然のように反感も多く買う。命を狙われることは、日常茶飯事とは言わないが、ジュリアスもある程度は慣れていた。
だが、昼間のように、あれほど大胆に、事を起こされたのは初めてだ。
(狙われているのは俺ではない……あれほどの竜巻なのだから、カストゥールの魔道使いだろうか)
そうなれば、リトルセの客人―――エリシャ王族のユティアを狙う刺客と予想するのが妥当だった。
だが、それにもジュリアスはどこか納得できない。
明白な理由があるわけではなかった。そもそも彼らの事情に、ジュリアスはそこまで詳しくない。あえて、踏み込もうとしていないといったほうが正しい。
ユティアの刺客も隠密行動を好むはずだと想像するが、あれは目立ちすぎる行動だった。あえてそうして、様子見……そうジュリアスは考えた。だが何のために。
(俺が考えるべきことではないな)
理性ではそう結論づけて思考を止めることもできたが、彼らはリトルセの客人としてサイロン家に滞在している。彼女が巻き込まれないという保証は皆無だった。
その焦燥感が、ジュリアスを眠らせない。
無意識のうちにそっと嘆息した。冷徹で知られる自分が、今はきっと、情けない表情をしているのだろうと思うと自嘲すら覚える。
ジュリアスは、近くにあった適当な布を裸体の肩に羽織って立ち上がろうとした。
けれど、小さな力に引きとめられるのを感じて振り返る。
細い指が、遠慮がちに布に手をかけていた。
「あの……どちらに行ってしまわれるの……?」
「眠れぬので酒をと思っただけだ」
寝台を離れようとした理由を、あらかじめ考えていたわけでもなかったのだが、一呼吸の間も置かずに澱みなく答えていた。
(……寝たふりを、していたのか)
この女性の本性だけは、ジュリアスにもわからない。
大人しそうでひ弱な印象すら抱かせる、華奢な女性だった。
だが、私的な外出の際には後をつけてくることも多かったが、ジュリアスもあえて不快な顔をしないせいかそれを悪びれない。
寝たふりをしていることを、ジュリアスにすら気づかせない完璧な演技を見せるのも、今夜に限ったことではなかった。
露わになった白い肢体を布で懸命に隠して恥らう姿は、世間知らずの深窓の姫君にしか見えないというのに。
王家の出身である彼女を娶り愛することも、子を成して後継者を育てるのも、ジュリアスにとっては登城して政務をこなすのと同じほどの価値だった。課せられた仕事であり、義務だ。
「寝ていろ」
先王の末姫とはいえ、今はジュリアスのものだ。彼女に行動の指図や制限をされることは、彼の矜持が許さない。
「リトルセ様のことを心配しているの……?」
「カリス殿から預かった他家の令嬢だ。心配も当然だと思うが」
いまさら彼女の嫉妬を、醜いとも煩わしいとも思わない。瞳を潤ませて見上げてくる視線を、罪悪感なく正面から受け止める。
「……わたくしのことも、同じように……心配してくださるの、かしら」
「無論」
ジュリアスは、欠片の躊躇もなく答えた。実際、こういう事態になったら心配するだろうなどとは想像しなかったが、答えは決まっていた。
「それは、わたくしが妻であるから? 三人の子供の母であるから? 王の妹であるから?」
どれも的を射ていない。そう思ったが、ジュリアスは否定せずに沈黙だけを返した。
これ以上引き止めても無駄と思ったのか、フィオナはそっと布から手を離した。
近くにいる密兵にリトルセの様子を尋ねようと思っていたジュリアスだったが、そんな気分もなくなって彼女を見下ろす。
彼女が掻き抱いていた布を無理やり剥がし、その首筋に少し乱暴な口付けを落とした。