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「では、やはり自然現象ではなかった、と?」
「そう報告があった」
目的地まではかなり近かったため、彼らはそのまま舟で下り、大河沿いという好立地にあるクラウド家の別邸に到着した。
別邸とはいえ、リトルセのサイロン家よりも広く、贅のかぎりを尽くした造りである。さすがにユティアも、もういちいち驚いていても仕方がないと納得することにした。住む世界が違う。
リトルセは隣室で休み、エンディーンが付き従っているが、ユティアたちは豪華絢爛な客室に通された。
「密兵の話によると、何もないところから突然巨大な竜巻が発生したと。ほぼ無風であったのに、まっすぐに北へ向かっていき、なすすべもなかったようだ」
クラウド家ほどの名家なら、多くの私兵を抱えていても不思議ではない。あの舟には最低限の使用人しか乗っていなかったが、隠密裏に行動していたのだろう。
「じゃあやっぱ魔道使いが動いてたってことか」
シオンですら明確な策を取れなかったほどの竜巻。それを魔道力で作り出すとなれば、並みの使い手ではないだろう。
だが、カディールの言葉に、ジュリアスは軽く首を横に振った。
「エヴァンの民が、ここ王都であれほどの魔道を使うことはないだろう」
「……どういうことですか?」
シオンも、そして自覚はないがユティアも魔道使いだ。
とくにユティアは、無意識に発動させてしまうことがある。なにか制限があるのなら、知らないままではいられなかった。
「魔道を使う者は魔道大国の手先だと……そう吹聴する団体がいる」
戦を回避するために、エヴァン王国はカストゥールの属国となる決断をした。だが、民の中には当然のように、他国の下に置かれることを受け入れられない者もいるのだ。
排魔、と彼らは勝手に名乗っている。
もともとエヴァン王国に魔道使いは少ない。だからといって差別されることは今までならなかったのだが、カストゥールの力を見せ付けられたあとでは、彼らも同族と思われても仕方がないのかもしれない。
しかも、問題は民だけではなく、国の中枢にも、はっきりと口にしないものの似た意見を持つ者がいるということだ。そのせいで具体的な対応ができず、野放しにされている。
だが、はじめは単なる嫌がらせ程度で済んでいたものが、ここ数年は殺傷事件にまで発展していた。
今では、魔道使いたちは、排魔という団体の妨害や反発を恐れて、王都を去るか、魔道使いであることを隠して生活しているのだという。
簡潔で淡々とした説明だったが、ユティアにもその重大さはわかった。ただでさえ追われる身である。余計な敵が増える可能性が高いということだ。
「リトルセはそんなこと言ってなかったぞっ」
「政にかかわらぬ娘には知らないことも多かろう。ましてや本人や周りは誰も、魔道使いではないのだ」
無表情にジュリアスは答えた。その正論に、カディールも口をつぐんだ。
「私の密兵にも魔道使いはいる。それほど気にすることでもあるまい」
「そうですね……」
シオンはまだ納得していない様子だ。
「でも、それより問題は―――」
「ジュリアス様……っ」
シオンの声を遮るようにして帷が開かれ、軽やかな薄紅の衣装が舞うようにジュリアスのもとへ駆け寄ってきた。立ち上がったジュリアスは、自然なしぐさでそれを受け止めていた。
「フィオラ。どうした、なぜここにいる?」
彼は突然のことにも焦りすら見せなかった。
「貴方が事故に遭ったと聞いて……」
「―――つけてきていたのか」
その独白は、誰の耳にも届かないほどわずかなものだった。わずかな魔道力で周囲を警戒していたシオンだけが、意図せずにそれに気づいた。
フィオラと呼ばれた女性は、ユティアたちがいることにすぐに気づき、恥ずかしそうにジュリアスの胸から顔を上げた。
ジュリアスとそう年の変わらない女性だったが、その瞳は儚く頼りなさそうに揺れている。それでもジュリアスと対等に話す客人を前に、礼節どおりに軽く腰をかがめた。
「こちら、妻のフィオラだ」
紹介もあっさりとして簡潔だった。余計なことは一言も口に出さない。妻だという彼女に対してすら、微笑むことはなかった。
けれど、その外見は、まるで王とその妃のように、絵になる二人だとユティアは思う。
彼の黄金の波打つ髪や、それに縁取られた端正な顔立ち。泰然たる威厳をごく自然に纏う姿は、生まれながらにして上に立つことを強いられた者だけがもつ風格だ。
長いドレスを優美に着こなすフィオラという女性もまた、ジュリアスの美貌と並んでなんら遜色がない。ただ造形が美しいのではなく、その立ち振る舞いが洗練されている。
(でもやっぱり……こわいひとってかんじがする)
ジュリアスは妻と対峙していても、強い覇気は揺るがなかった。
ユティアには不思議だった。こんなに無愛想で恐ろしいとさえ思うのに、リトルセは舟が揺れていたとき彼のそばで安心していた。
(助けてもらったんだっけ……だから、信頼、してるのかな)
彼はただ、感情を外に出さないだけだとユティアもなんとなく気づいてきたが、それでも長く直視できずに目を逸らしてしまうというのに。
「失礼」
ジュリアスは軽く一礼し、フィオラの肩を抱いて部屋を出て行った。
「あいつ嫁がいたのか……」
ユティアが思って言えなかったことを、カディールが呟いた。
「まぁ、おかしなことではないでしょう」
名門クラウド家の次期当主。三十代という年齢を考えれば当然のことだった。
「でも、フィオラ姫のご登場にはあまり嬉しくなさそうだったね」
「おまえ、あの無表情で嬉しいとか怒ってるとかわかるのかよ?」
な、と同意を求められて、ユティアも頷いた。だが、シオンは笑顔でその質問をはぐらかした。
「それは置いといて……私たちが心配すべきことは、クラウド家の内情などではないから」
柔らかだったシオンの眼差しに、少しだけ真摯な色が光る。
「排魔、か……俺たちがエリシャだと知れたらやっかいだな」
そして二人は同時にユティアを見つめた。
自分では役に立ちそうもない話だと思っていたから油断していた。
「な、なに……?」
「あの男はなんなんだ。あんた知り合いじゃねーよな?」
誰のことを言っているのかさすがのユティアも即座に気づいて、おもいきり首を何度も横に振った。
「だったらなんで、急に嫁とかなんとか……っ」
白鷺と名乗った鳥男が目の前にいないのだから、こみ上げてくる怒りの矛先はなく、それがさらにカディールの憤りを増やしていた。
「ユティアが可愛かったからでしょう」
さらりととんでもないことを言われた気がして、ユティアは何度も瞬きする。言われ慣れていない科白だった。
「おまえが女装して嫁に行けばいいだろっ」
「残念だけど、私は女装していても男性が好きなわけではないし」
「問題ない! ユティアよりましだ」
「ましって……女性に対してひどい言い方だねまったく」
「ユティアはエリシャ王族だぞ! あんなやつ……」
「まるで父親のようだねぇ」
口を挟む余地などまるでない会話に、ユティアはただ唖然として二人を交互に見やった。
笑うことも憤ることもできないでいるユティアに、シオンが微苦笑を浮かべた。
「そんな顔しないでください、ユティア」
「そうだぞ、あんなやつのことなんか気にするな」
気にしているのはどう考えてもカディールのほうだったが、ユティアは言わないでおくことにした。
「それより私が気になるのは、あの木箱……」
「空飛んでたことより、あの箱か」
「まぁ両方だけど」
ユティアはまだ、他人の発する魔道力というものに気づくだけの経験がない。けれどシオンは気づいてしまう。あの木箱から発せられた、信じられないほどの魔道力。それが竜巻を一瞬にして打ち消してしまったのだ。
空を飛んでいた袋も不思議ではあったが、それはむしろわずかな魔道力しか感じなかったことに対する疑問だった。通常空を飛ぶとなれば、シオンですら相当の集中力を必要とするものだ。一定の魔道力放出を持続しなければならず、一瞬の気の緩みが墜落という結果になるからだ。けれどそんな集中力は、彼からまるで感じなかった。
彼は、すべてにおいて不審人物だった。
そして最大の疑問は、あの竜巻は誰を狙ったものだったのかということだ。
クラウド家か、エリシャ王家のユティアか……それとも、単なる無差別だったのか……。