2
いつのまにか揺れは収まっていて、震えているのは自分自身なのだとリトルセは気づいた。
暖かい体温に包まれていて、心が落ち着いてくる。
その瞬間、自分がどこにいるのかはっと思い出して顔を上げたら、すぐ近くに長い睫毛に縁取られた切れ長の双眸があった。
「もう、大丈夫か」
「……あ……やだ―――」
リトルセは必死に逃れようとしたが、ジュリアスの力強い腕が彼女を捕らえて離さなかった。少女の力で振り切れるものではない。
「嫌だ、か……女性に優しくして断られたのは初めてだな」
本気とも冗談とも区別のつかない口調で、彼は少し力を緩めた。はっとリトルセが抵抗をやめた。
「そ、そんな意味で、は……」
腕の中でおとなしくなったリトルセの髪を、ジュリアスの指が少しだけ絡み取る。うつむいていたリトルセは、それに気づかなかった。
「リトルセ」
心配されていることはわかっていた。
だから、名前を呼ばれても、何も言えなくて、顔を上げられなかった。
呼び捨てにされると少しだけ、彼を近くに感じるけれど。
「最近元気がないとカリス殿から聞いたが」
リトルセとの付き合いは、カリスよりもジュリアスのほうが長い。ときおり相談を受けて、今日は気晴らしに舟遊びを計画したのだが、とんだ一日になってしまった。
「あの者たちがどこの誰であるのか、私は知らぬ。だが、この私が調べようとすればすぐに調べられるのだぞ」
「……あ」
王家に次ぐ権力を掌握するクラウド家ならば、エヴァン王国内において知りえない情報などほとんどない。
ジュリアスはおそらくすでに彼らのことを知っていると、リトルセは確信した。
けれど、クラウド家次期当主として知ったわけではないと言外に匂わせている。エリシャ王家の生き残りは、カストゥール王国の従属となったエヴァン王国からしてみれば危険分子でしかなく、クラウド家の立場としてはエヴァン王に進言しカストゥールに引き渡す以外の策を取れないからだ。
硬く唇を引き結んでうつむくリトルセに、彼の諦めにも似た吐息が落ちる。
「俺はお前にそんな顔はさせられぬ」
「―――私、ジュリアス様にご迷惑を……」
六年前、父は自殺して兄たちは流刑にされた。流刑とは名ばかりで、王都から遠く離れた地へ赴く途中の『事故』で今は誰も生きていない。ジュリアスから直接聞いたわけではないが、そういう噂を聞いてしまった。
リトルセだけが、カリスと婚約することでここに残された。それを強く進言したのがジュリアスだ。
「お前は変わらぬ。我が屋敷にいたときから、迷惑だけはかけぬというのが口癖であったな」
母は昔に病死していたから、父兄弟がいなくなって独りになったリトルセを、ジュリアスが別邸に招いた。カリスが選ばれるまでの二年間、そこで生活した。
ジュリアスはすでに妻子ある身であったから、他家の娘と一緒に住むことはできなかったが、彼はほぼ毎日かかさず顔を出してくれたし、不自由ない生活を送れるように口の堅い使用人たちを厳選してくれた。
「ごめんなさい……」
やっぱりあのころから迷惑をかけてばかりだった。
本当は恩返しをしたい、のに。
「これも変わらぬ」
ジュリアスは、リトルセの頬に優しく触れた。
涙で濡れた頬。
「迷惑など何もない。謝罪もいらぬ。俺はお前が泣くのを見るために、あのとき助けたのではないのだぞ」
リトルセは素直にうなずく。
思慕や敬慕といった……そんな単純な思いではないけれど、リトルセはジュリアスにだけは簡単に甘えてしまう。
駆け足で大人への階を昇らされた十二歳の少女が、唯一、年相応の子供に戻れる場所。
彼の大きな手がリトルセの頭を撫ぜる。その手に少し強く抱きしめられた。
「ほかの者の前では無理をしているのであろう。笑いたいときに笑い、泣きたいときに泣けばいい」
だが、とジュリアスは続ける。
「泣きたいとき、というのが減るように、俺も努力してみよう」
「―――ジュリアス、様」
そんなもったいない一言を言わせてしまって、リトルセはますます涙が止まらなくなっていた。
そんなリトルセをいとしく思うことこそあれ、迷惑などとは欠片も思わないジュリアスは、リトルセのことで精一杯だったため、部屋の外に立っていた青年の気配など、珍しいことにまるで気づかなかった。