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 何があったかと問うまでもなかった。

「……なぜこの時期に、しかも大河の上でなどありえない」

 この街を良く知るであろうエンディーンの呟きに、カディールは眼前に鋭い眼差しを向けた。

 たくさんの小さな渡し舟が、水や魚とともに高く巻き上げられて、地面や水に叩き落されている。運良く竜巻を逃れる位置にいた人々も、落ちてくる残骸で少なからず被害を受けているところも多かった。

 岸に停泊していた他の貴族のものらしき比較的大きな舟も、布かなにかのように簡単に空中に浮いて粉々に砕ける。

 そんな状況を目の当たりにしても、カディールにはなすすべもなかった。それどころか、この舟もその惨劇に確実に近づいている。

 ―――竜巻。

 今はまだ、遠い。舟は揺れ始めているが、甲板で立っていられないほどではなかった。甲板にいたほかの使用人たちはすべて、中に避難していた。

「引き返せねえのか、この舟」

「そんな無茶な」

 エンディーンは首を横に振る。

「この人員では、南へ向かう流れに逆らって舟を進ませられるはずがありません」

 この舟の動力は魔道でもなんでもなく、人の手によるものだ。ほとんどを緩やかな大河の流れにまかせているだけの舟ではこぎ手も少なく、とうてい河をさかのぼることなどできる力には及ばない。

「シオンっ」

 うしろから追いかけてきた魔道使いに、最後の頼みとばかりにカディールは叫ぶ。

「……河をさかのぼることは可能だけど……向こうが追いつくほうが速いよ。この舟は重すぎる」

 舟は大河のほぼ中央を優雅に進んでいた。対岸に逃げるにしても、東西のどちらにも遠い。

「このままだとどれほど舟が大きくても、あっという間に壊されてしまう」

 シオンは指輪を杖に変化させて、それを高くかかげた。

 何もしないで流されるよりは少しでも遠ざかろうと、シオンは風を操って舟を比較的近いと思われる東のほうへ向けた。

「舟じゃなくて、あれをなんとかできねぇのかよ」

「……同じ大きさの竜巻を作ってぶつけるというのが理論的ではあるけれど」

「じゃあ」

 遠目でもわかる巨大な竜巻だったが、シオンなら同等の力を操ることも可能だろうとカディールは疑わなかった。シオンが可能だと口に出した以上、可能なのだ……理論上は。

「ここでその竜巻を作ったら、結局舟が巻き込まれるよ。この舟を保護しながら竜巻を作るなんてことは、さすがに私もできない」

 今度ははっきりと不可能を告げられた。

「どうすんだよっ!」

「逃げ切れることを祈っていて」

「祈るっ? なんだそれはっ」

 珍しくシオンの非生産的な言葉を聞いて、カディールはいよいよ打つ手がないのかもしれないとこぶしを握り締めた。

 祈ってもなにも変えられない……そんなことはもう十分知っているのに。

 シオンが舟を竜巻から遠ざけているはずなのに、舟の揺れは収まるどころかどんどんひどくなっていった。カディールとエンディーンも手すりにつかまっていなければ立っていられないほどにまでなった。

 ときおり大きな水しぶきが上がり、カディールたちを濡らす。

 このままでは竜巻に飲まれる前に舟が沈んでしまう可能性まで出てきた。

 シオンは一人、軽くまぶたを閉じて、甲板の中央で、まるで揺れなど感じていないかのように静かに立っていた。珍しく、全神経を集中しているようだった。

 たしかに舟は、河や風の流れに逆らって進み始めている。

 それでも、竜巻は間近に迫っていた。

 この舟が壊れたときのことを想像し、ユティアのそばにいて守ろうと決心して部屋に戻ろうと思い立ったそのとき、エンディーンが呆然と空を見上げていることに気づいた。

「なんだ、どうした?」

「……あれ、人に見えませんか」

 エンディーンが手すりにつかまりながら視線だけで示した先には、たしかに何かが浮かんでいた。

 空中。

 それほど高いところではない。

 鳥ではないことはわかる。認識できる距離だ。

 視力には自信のあるカディールにも、それは人間に見えた。まだ若い、男だ。

「本当に人か? でも空飛んでるぞ」

 そう、人が空を飛べるはずはない。魔道でしばらく空中に浮くことはできるとシオンに聞いたことはあるが、鳥のように空を滑空できるわけではない。できるとしたらそれは、そうとう高度な魔道力の持ち主だろう。

「あの手に持ってるのはなんだ?」

 その鳥男は、手に人間の入りそうなほど大きな袋を持っていた。それが膨らんで空に浮いて、鳥男はそこにぶら下がっているだけのようにも見えた。

 そして右の脇で木箱のようなものを抱えていた。

「ちょっと待ってろ~っ! おれが今行くぞ~っ」

 誰に言ったのかわからない。

 だが鳥男は、まっすぐに竜巻へ向かっていた。

「お、おいっ。危ねぇぞっ!」

 カディールの声が届いたのか、彼は少しだけ視線をこちらに向けた。だが、相変わらず進行方向は竜巻へ一直線。

 鳥男は、巻き込まれるぎりぎりのところで、歯を使って木箱をこじ開ける。その瞬間、シオンが集中状態から、突然はっと顔を上げた。同時にカディールと同じものを視界に入れて、首をかしげる。

「……あの、中身―――」

 シオンが口走り、カディールが肩ごしに振り返った。

 鳥男は、木箱をそのまま竜巻に向かって投げつけた。

「何を―――」

 カディールたちは同時に息を呑んだ。

 竜巻に当たって当然のように木箱ははじけ飛んだのだが、それと同時に竜巻が急速に弱まったのだ。

 収束されて、やがて水の中に溶けるようにして消えた。

 一呼吸分にも満たないような、あっという間の出来事だった。

「なんだあいつ……」

 竜巻から人々を救った英雄であるはずの鳥男だったが、カディールたちの不審な眼差しをぬぐうことはできなかった。

 相変わらず袋を浮かせて飛んでいたのだが、竜巻に飲み込まれていた木の破片が彼の上に……袋の上に直角に落ちてきた。

 ずぶっという嫌な音が響いて、その袋はしぼんでしまった。

「う、うわぁぁぁ~っ」

 袋を失って、鳥だった男は当然のように大河に落下した。



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