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太陽が西に傾き、涼しくなってきて、リトルセは木に掛けていた外套のうち、小さいほうを羽織った。
ふと気づいてもうひとつの大きな外套を手に取りながら振り返ると、火のそばでなべをかき混ぜている青年の額にはうっすらと汗が見えたから、その手のものはもとの場所に戻しておく。
カディールとシオンが交代でまめまめしくユティアの看病をしていて、代わりにエンディーンが食事の支度のほとんどをしていた。
大きな馬車があるから、彼らは簡単な調理道具を持参してきていた。王都近くの正規の馬車道に行けば、旅人のための果樹も植えられているし、このあたりはウサギなどの小動物や山菜にも困らない地域だった。
リトルセは、手際よく調理していく彼の指先をじっと眺めた。近づいて、石に腰をかけて。
(私の自慢だもの)
彼女の護衛は、何でも出来る優秀な青年だ。誇りにすら思う。首飾りをそっと、握り締めた。
彼の心を封印する―――美しすぎる束縛の鍵。
「どうかしましたか? リトルセ様」
視線を感じたのか、エンディーンが顔を上げずに尋ねてきた。とても優しく、礼儀のある声で。
リトルセは、首飾りから手を離した。彼にその行動を見られたくなくて。
「ううん、なんでもないわ。美味しそうだなって」
サイロン家の娘として毅然とした態度を取る少女も、エンディーンの前では年相応の幼い笑みを返す。
「リトルセ様」
「なぁに」
神妙な声にも、リトルセはいたって普通に返事をした。彼の手は、止まっていないし、視線も向けられていなかった。
「私にまで、嘘をつくのですか?」
やっぱり悟られていることに、リトルセは驚かない。
むしろ、彼の言辞はあらかじめ予想できたことだった。だからこそ、彼女はいつものように微笑むことができる。
剣使いとして一流のエンディーンの手には小さなナイフが握られていて、高速で山菜を切り刻んでいた。
(ごめんなさい……)
これは心の中だけに留めておく。
本当は、謝りたい。
思い切り泣き叫びたい。
罵倒されるなら受け止める覚悟もする。
けれど、リトルセは笑顔だけを、彼に向けた。
「ありがとう。そうやって、私を気遣ってくれるのね」
エンディーンは、その手をやっと止めた。
顔をあげて、リトルセをじっと見つめる。
リトルセには自分が今、どんな表情をしているのかすらわからなかった。けれど、たとえ厳しい表情を浮かべたとしても、エンディーンにはその奥を悟られてしまう。それがわかっているから繕わなかった。
彼は、何も言わなかった。ただ、手放さずに腰に佩く二本の剣に視線を落とした。
伏せられた睫毛。
少しだけ震えていることに気づいてしまった。
(罪悪感なんて、抱く資格は私にはどこにもないのに……)
けれどリトルセは、気づいたら言うつもりのない言葉まで無意識に紡いでいた。
「だって、私のせいで、エンディーンは」
「私が貴女を守ると決めたのです」
エンディーンはリトルセの言葉を遮る。鞘にそっと手を置いて、彼は顔を上げた。いつもの穏やかな瞳だった。
「感謝も謝罪も要りません。剣を持ったのは、私のただの―――我が侭なのですから」
「じゃあ、私も私の我が侭で、ありがとうと言うことにするわ」
思わぬ切り返しに、さすがのエンディーンも反駁の言葉をなくした。珍しく、負けを認めたような、だが認めたくないような、複雑な表情でリトルセを見やった。
そんな表情を引き出したことで、リトルセはとりあえず満足することにした。
「ふふ、私少し、がんばったのかしら」
「リトルセ様……私をいじめて楽しんでらっしゃいますか?」
半ば本気の言葉のように、リトルセには聞こえた。
それが楽しくて楽しくて、彼女は心からの笑顔を向けた。