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「うみ?」
初めて聞くことばに、少女は小さな首を少しかしげた。
海。
「そう、とても大きな水のかたまりがあるところだよ」
「お庭のお池みたいに?」
「もっとずっと」
少年は、小さな手をめいっぱい広げた。
「全部を見ることができないくらいに大きいんだよ」
新しく持ってきてくれた絵本と、少年の両手を交互に見つめる。
「おにいさまは、見たことある?」
「あるよ」
兄と呼ばれたその少年は、あっさりと答えて少女の機嫌を損ねた。
「ずるいっ。どうして連れていってくれなかったのー?」
「だ、だってそのときまだ、おまえは生まれてなかったし」
けれど、そんな理論は通じない。
ぼろぼろと大粒の涙を流す少女の前で、少年の手はおろおろと彷徨う。
「えっと、ね。泣かないで。ほら、彼を見てよ」
少女は顔を上げる。
兄とは雰囲気の違う、もう一人の少年。けれど、涙で揺れて、あまりよく見えなかった。
「海はね、大きくてそれで……の目みたいな色をしているんだよ」
ほらと指差す双眸は、深い深い青のいろ。
空とも池とも違ういろ。
それはなんて神秘なのだろう。
「綺麗ね」
「そうだろう? いつか連れてってあげるよ」
機嫌は直った。涙も乾いた。
「ほんとう?」
「うん、約束」
兄は持てる限りの優しさと暖かさをこめて、微笑んだ。