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豪奢な長い回廊を、その青年はおっとりとした速度で進んでいた。
すれ違う人々に丁寧に挨拶をしていると、それはさらに遅くなる。
毎日の重臣会議も終わって、特に急ぐ用もない。
王の御前にあったために纏った正装は重々しい雰囲気であるのだが、童顔で笑顔を振りまく彼が、まだ十代の少年にも見えてしまうために、似合っていないとは言わないが、着られているという印象はぬぐえなかった。
まだ年若く、経験も浅い彼が、それでも重臣会議に借り出されるのは、落ちぶれたとはいえ名門という形容詞のつく家の当主になってしまったからだ。
「カリス殿」
その歩みを止める声に、カリス=サイロンは振り返った。
黒の正装を適度に着くずし、しかもそれを許される立場にある、無愛想な中にも威厳をのぞかせる三十代前半の男だった。
カリスに対しては明らかに一応の礼儀程度に頭を下げていた回廊の下級の者たちも、この青年の登場にはあわてて型どおりの跪拝の姿勢をとった。それは畏怖というよりも―――ただの恐怖に近い。
若輩者とはいえ名門貴族の当主であるカリスは、膝を折ることこそしなかったが、胸に手をあてていっそう丁寧に挨拶をする。
「ジュリアス様、ご機嫌いかがですか」
「ああ」
隣に並んで、歩く。ジュリアスの歩幅は、のんびりとしたカリスにはついていくのでやっとだった。
エヴァン王国随一の名門クラウド家の次期当主と言われている彼は、その冷徹な美貌で『氷華』の異名をとる。
その青年が自ら、忘れ去られそうな名門出身で、ともすれば鈍いと言われかねないおっとりとした性格のカリスに声をかけていることに、周囲からは無言で疑問の視線が投げられていた。だが、面と向かってそれを尋ねる敢行は誰にもできず、ただ目を合わせないようにして彼らが遠ざかるのを待った。
「奥方が二十日以上、王都を離れているとか?」
「ええ、そうなんです」
唐突な問いにも、カリスの笑顔は崩れなかった。
「というか、まだ奥方じゃありませんって。婚約者です」
「別邸にて養生していると聞いたが―――どこの別邸だ」
カリスの指摘は、あっさりと聞かなかったことにされた。そうして尋ねられた簡潔な一言にも、一呼吸の無駄な間も置かずにカリスは言葉を返した。
「あはは、さすがジュリアス様です」
サイロン家の内情など、今となっては噂に上ることもない。もちろんカリスもあえて口に出したりしない。それでも彼は情報をつかんできた。
「リトルセが病気になど簡単になるわけがない」
回廊の角を曲がり、ジュリアスは不機嫌そうな、けれど少しだけ砕けた調子に声色を変えた。
「ジュリアス様自ら助けていただいたリトルセ殿のお命ですもんね」
かつてリトルセの父は、密輸が発覚して極刑の判決が下り、自害した。そのとき、すべての子供も極刑か流罪という形で処罰されることが確定したのだが、ジュリアスが当時八歳だった少女をかばい、クラウド家の権力もあって、彼女だけが処罰を免れ、一時ジュリアスが保護していたことすらある。
「筆頭貴族として、家の存続を守るのは仕事のひとつだ」
「ええ、もちろんです」
何度目かわからないジュリアスの科白は、あいかわらず感情がこもっていなかった。そして、それに対するカリスの笑顔も普段となんら変わらないものだった。