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「もう馬車まで用意してある、とか」

 食後に一人になったミントの部屋を、シオンは訪れた。

 窓際の卓子の上に足を組んで座っていたミントは、棘はなく穏やかだが好意的でもないシオンの言葉にも笑みを浮かべて振り返る。空の器を指でくるくると回していた。

 このあたりの領主になったというのに、服装だけでなく自室も相変わらず簡素なままだった。

「ああ、まあね。……といってもお嬢の馬車でしょ。大きめのやつ」

 リトルセ嬢だけならば必要のない大きさだ。だが彼は、隠すでもなくすぐに認めた。

「やっぱり理由を聞きに来た?」

「ええ。貴方は自分の利益にならない事柄には興味がなさそうなので」

「そりゃあ、僕だけじゃないよ」

 誰もが自分のために動いているのだからと彼は付け加えた。

 そのとおりだろうと思っても、シオンは肯定しなかった。

 勧められて椅子に腰掛ける。ワインが樽ごと、床に置いてあった。

「ああ、それね、カストゥールのワインだよ」

 彼は卓子から飛び降りて、空いている器にそれを並々と注いでシオンに手渡した。自分の空の器にも同じだけ注ぐ。安いものではないのに、惜しげもなく飲んでいるようだ。

「単純に言うとさぁ、君らがいるとカイゼの街が危なくなるんだよ」

 ワインを一口だけ飲んでから、その感想であるかのような口調で、ミントはぽつりとそう告げた。

「追っ手をかなり倒してきたようだけど、君らの居場所はとうにばれてるし」

「王都からの協力者、ですか」

 そう表現していたのはトゥリードだった。カディールが声だけを聞いていることはシオンも知っている。若い女らしい。その女が、ジュラにユティアを誘拐させた。

「名前も顔も僕は知らない。これは本当だよ。父を問い詰めてもいいけど、自分の命にかかわることだから口を割らないと思うし」

 ジュラが倒れ、クイードが領主の座を降りてから、彼女はこの屋敷に姿を見せなくなったらしい。

「だからユティアとサイロン家を合わせたのですか。保護させるために?」

 前当主の不祥事のせいで、エヴァン王国名門のサイロン家の権力も地に落ちた。だがそれでも名門は名門。ミントにさまざまな情報を提供できるその情報網だけでも、その家の名前には価値があると思わせるには十分な証だ。

 わずか十二歳という年齢で、シオンに啖呵を切った少女も興味深い。

『我がサイロン家の協力を得ることは、そちらにとっても悪いお話ではありませんでしょう? 利用できるものはしておきたいのではありません?』

 幼さを残す双眸からは、聡明さもあふれていた。

 一方で、そんな理屈がカディールに通らないだろうこともわかっている。彼はユティアとその母に、このような仕打ちをした彼らをけっして許さないだろう。

「サイロン家なら、ある意味で好都合だろ。誰もそこに保護されてるとは思わない」

「……たしかに」

 サイロン家にかつて裏切られたことを、追っ手も当然知っているだろう。となれば、いまさらそこに助けを求めることなどないと考えるのが普通だ。

「ま、カリスも悪いやつじゃないよ。まだ若いから頼りないかもしんないけど」

「―――現在の当主、でしたね」

 ミントに説明されるまでもなく、会ったことはなくとも前当主の甥にして現当主、カリス=サイロンの名は知っている。

 サイロン家の問題が起こったとき、当主には何人もの息子がいたらしい。リトルセの兄にあたる彼らは、その問題に関与したということで流罪になり、権力を失った。

 末の一人娘は幼いことで処罰を免れ、当主の弟の采配により、その息子と婚約して血族を正当化した。それがカリスだ。リトルセの従兄にあたる。事件は五年近く前だが、当主を継いだ彼も今まだ二十歳ほどのはずだ。

「かつてエリシャ王国と縁のあったサイロン家だからこそ入る情報もある。むこうから保護したいって言ってくれてんだから」

「そうですね……」

 長く滞在することはできないが、少なくともここより危険は少なく、ユティアに快適な生活を提供できるだろう。カディールを納得させるのだけが手間かもしれないが、彼もあの幼いリトルセや現当主のカリスが、ユティアたちを裏切ったわけではないとわかっているはずだ。家の名と個人は、同じように見られるが違うのだから。

「君らを狙ってるのは思ったより多いみたいだけど」

「そうですか……」

「へぇー、驚かないんだ? なんで?」

 ミントは覗き込むような視線を向けてくる。シオンよりも年上で、シオンよりも長い旅を経験している彼は、老成した光を隠すように、無邪気な笑みを浮かべた。

「サイロン家は、ラタの町にいたユティアを助けようとはしなかったのですか?」

 シオンは質問には答えず、ミントを見上げた。

「ああ、それは簡単」

 ミントは表裏なく答えた。

「第一に、サイロン家は姫に信頼される要素がひとつもなかったから。第二に、貴族という身分で奴隷と接触するのは好ましくないから。第三に……ってこれはまぁいいや」

「……」

 あえてつぐんだその言葉の先を、シオンはなんとなく想像できた。

 いまさら表舞台に出る必要のない存在、それがユティアの身分だった。奴隷のまま埋もれているほうが国を平穏に保てる―――ミントが為政者の立場でそう思ったとしても仕方のないことだ。誰にでも守るべきものはある。一方通行の正義ではない。

「利用したいのならそれもかまいません。あのリトルセ嬢もお互い様だという意味でおっしゃったのでしょうから」

 シオンの笑みは、普段ユティアに向けるものとまったく変わらない、慈愛に満ちているように見えた。


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