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「そうそう、いいこと教えてあげるよ」
ミントは唐突にそう切り出した。
翌日の昼、食事に招かれた席でのことだった。
屋敷の中の様々な装飾もここでの食事も、いままで見たこともない豪華なものだったけれど、シオンは領主にしては質素だよと言って苦笑していた。ミントは派手なものをあまり好まないようで、この屋敷にいても相変わらず旅人のような格好のままで、使用人たちとも気さくに話している。
領主クイードに奴隷として働かされていた人々は、ジュラの仲間となり、いまではミントの正式な使用人として賃金をもらっている。レクトもさっそく仕事を与えられたようで、それからユティアは会っていなかった。
ユティアもここに連れてこられたが、雇うなんて言ってないよとさらりと流された。たしかに言われてみれば、ついてこいと言われただけのような気もする。いろいろはぐらかされている。
今の立場は、カディールとシオンとともに、新領主となったミントの客人だ。
「僕ってけっこう王都にも行っててさ、重要なコネクションあったりするんだけど」
「おまえ領主の息子なんだから当然じゃないのか?」
「そんなこと、ほとんどのひとには言ってないって」
通常は一介の旅人として振舞っているらしい。カディールと知り合った夜も、名前を名乗らずに酒場で飲んでいた。
「サイロン家は……もちろん知ってるよね」
さっと一瞬で顔色を変えた二人を、ユティアは交互に見た。食事の手が完全に止まっていた。ユティアもなんとなく、スプーンを置いた。大切な、話だと思った。
「てめえ、なんでそれをっ」
この席には四人のほかに給仕の女性たちがいたが、ミントは手を上げて彼女らを下がらせた。
「ふうん、じゃあエリシャ王家の生き残りがいるっていうのは本当だったんだ」
「―――サイロン家に、聞いたのですか?」
「そうだよ」
彼はあっさりと認めた。
「カイゼの領主は代々、サイロン家と縁が深いんだよね。父は疎遠にしてたけどさ。このあたりにサイロン家の荘園が広がってるから」
「……サイロン家って?」
ユティアの質問に、カディールは躊躇したように唇を引き結んでいたが、しばらく考えて言葉を発した。
「―――エリシャ王国とつながりがあった貴族で、あんたと母親を保護してくれる手はずになってた」
淡々と、なるべく感情を出さないように告げられた事実。
以前少しだけそんな話をしていたことを、ユティアも思い出した。
(そっか……見捨てられたんだっけ……)
エヴァン王国もカストゥールの従属となり、エリシャ王家を秘密裏にとはいえ匿うのが難しくなったのだろう。保身のためならばしかたないかもしれない。だが、なぜいまになって彼らがユティアの存在をミントに知らせたりするのだろうか。
「いまさらサイロン家に用などない」
カディールの憤りはきっともっともなのだろうけれど、当事者のユティアには何の感慨もなかった。厭うほどの情報が彼女にはないからだ。
「まあそういうなって。サイロン家も昔とは違うんだ。そのころ先のエリシャ王に頼まれていた当主は、クリス聖王国からの密輸がばれて自殺した。今はその甥にサイロン家当主の座は移ってる」
「だからなんだっていうんだ?」
「その新しいサイロン家がさ、今度こそエリシャ王家を助けたいと言って探しているんだよ。だから放浪してる僕に情報を求めたってわけ」
もう昔のサイロン家とは違うということだろう。だが、カディールは納得していない様子だった。
世間ではもう、エリシャ王族は一人も生き残っていないことになっている。最後の王であるルーフェイザの異母妹リディアーナ姫は、存在こそ知られていたが、元エリシャの民だけが一縷の望みとして生存を信じているだけで、現実的にはもう殺されているに違いないと思われている。
その姫の生存を知り保護したいというのは、危険が増すだけでサイロン家に利益があるとは思いにくい。
「とりあえずさ、一度でもいいから会ってやったら? 一度裏切られたんだったら、もうそれ以上悪くはならないだろ」
あまり嬉しくない展開を、彼はあっけらかんとして告げる。だが、確かにそのとおりだとわずかにシオンもうなずいた。
「悪くなんて、させませんわ」
部屋の中に凛とした声が響き、その場にいた全員が、一斉に振り返った。
その声の雰囲気を裏切らない、可愛らしい少女が立っていた。
「……お嬢、やっぱり来ちゃったかぁ」
ミントはあらかじめ予想していたようで、呆れたようなため息を一つこぼしただけで終わった。
ユティアよりずっと幼い、十歳を少し超えただけの少女に見える。けれど、凛とした強い眼差しでこちらを見ていた。
「……リディアーナ殿下?」
彼女が近づいてきた。その迫力に圧倒されて少し身を引くけれど、聞きなれない名前を呼ばれたが、たしかに自分の名前だったことを思い出したから戸惑いながらも軽くうなずいた。
すると彼女はすっとその場に両膝をついた。鍵の形をした首飾りが、シャランと静かな音を立てる。
「わたくし、サイロン家のリトルセと申します。父の所業は聞いております。なんとお詫びしてよいか……」
「……え、えぇっと」
困惑してカディールとシオンのほうを見やったけれど、カディールは同様の驚きで瞠目し、シオンは肩をすくめただけだった。
「この子は前サイロン家当主の一人娘だよ」
ユティアと母を裏切って約束を反故にした張本人の、娘だ。
小さな少女。その裏切りのころ、彼女はきっと生まれて間もないころだったろうに。
「……あの、わたし、別になにもそんなことしてもらわなくても」
誰かに謝ってもらいたいわけではない。しかもこんな、知らない少女に。
ユティアの纏うものよりも上質の布にその身を包んだ、物語に出てきそうな美しい姫君だった。
長い袖からわずかに見える細い指が視界に止まる。日に焼けて荒れた自分の手と比べて、ユティアはそっと腕を後ろにまわした。
こんなかわいらしい少女に頭を下げられるような人間ではない、のに。