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神殿よりも大きな建物だったから、ユティアはぽかんとそれを見上げた。
こんな建物の中になら、百人は住める気がする。
「早くおいで」
「は、はいっ!」
ミントにうながされ、レクトの後ろをユティアは少し早歩きで追いかけた。
神殿のような美しい装飾はなかったが、広さだけは十分すぎるくらいにあった。
馬車が余裕で通れる広さの廊下の先には、磨き上げられた石でできた階段があり、そこを上っていく。
「ユティアっ!」
「―――え」
名前を呼ばれて顔を上げた。階段の上にいたのは、カディールだった。
(どうして……)
いないといったのに。
「嘘つき……」
「言ったでしょ、僕の役に立たない嘘はつかないって」
彼はしれっとした顔をしていた。
ユティアは、途中まで上ってきた階段を駆け下りようとした。けれど、カディールがすぐに追いかけてきて、その腕をつかむ。
「あ、わ……わたし……」
「ばかかあんたはっ!」
すごい剣幕で怒鳴られた。そのまま殴られるのではないかという勢いだった。
「命狙われてるってのに一人でどっか行きやがってっ!」
「カディール」
いつのまにか近くにシオンもいて、カディールの腕をつかんでいた。それでやっと冷静になったのか、カディールもユティアの腕を離した。
カディールは優しい。みにくい自分にはまぶしすぎてつらくなる。目をそらすようにしてうつむいたユティアのあごに手をかけて、カディールはむりやり上を向かせた。
その青い双眸に、自分のゆがんだ表情が映る。
「もう泣くな」
彼の指がユティアの頬に触れた。
少しがさがさした感触。そこに視線を向けると、カディールの手のひらが赤茶色に変色していた。火傷のあとだとすぐに気づいた。
(わたしの、せい、で)
あのときカディールは、ユティアに触れようとしてその前に不可視の力にはじかれていた。
気づかずに放出してしまう魔道力。
ユティアの視線に気づいたカディールが、その手を引いた。
「悪かったよ。俺のせいで」
「……?」
カディールは静かな声で、そう謝罪した。
謝らなくてはならないと思ったのはユティアのほうだったのに、先手を打たれて告げるべきひとことを失った。
それでは意味がない。
ユティアは口を開く。
「カディのせいじゃ、ない……」
そう。
(ちゃんと言わないと)
伝わらない。
「わたしのせいで、怪我させて……ごめん、なさい」
「こんなの怪我のうちにはいらねーよ。それに俺がむりやりあんたの注意を引こうとしたから」
「……」
でもあのときカディールは、なんのためらいもなくユティアに近づいていた。
自分でも止められなかった、あの力を見ても。
「あんたの過去は変えられねぇけど、未来なら変えてやるから」
カディールは引いた手をもう一度、ユティアに伸ばしてその濡れた頬に触れた。暖かい体温に顔をあげる。
言われた意味が、よくわからなくて……。
(だってそんなことば……)
ユティアは一度も聞いたことがなかったから。
未来なんて、どこにもなくて。
何かを望むことすら、許されていない気がして。
(……いままで誰も、そんなことを言ってくれなかったのに)
いつまでも抜けられない無限の輪の中にいて、それは一生、いつか飢えて動けなくなるまで変わらないのだと思っていた。それを遠い昔に思えてしまうほど、いまのカディールを身近に感じた。
「ユティア。あんたが過去のことで悩む必要はもうない。俺が終わらせてやる。だから未来だけ見てればいい」
涙だけが溢れた。
嬉しくても泣けるのだといったシオンの言葉が、いまようやくわかった。
透明な気持ちが、枯れた世界を潤していく。
迷わずに、ユティアは頷いた。
根拠のない言葉だと思うのに、なぜだろう、カディールに言われると信じられる気がする。
「もう泣くなよ、笑え」
ぞんざいな命令口調だったけれど、ユティアは無理やり笑顔を作ってみた。成功しなかったけれど、カディールはよしと言って頭をなぜてくれた。