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「―――レクトは、強いね」

「何度目だよそれ言うの」

「うん」

 でも何度でもそう思うのだから仕方ない。

「よかったのかよ、これで」

「うん、よかったんだよ」

 後悔はしない。そう決めた。

「やさしくしてくれた、けど」

 嬉しかった。

 すべてが初めての、輝く世界だった。

「でももう、夢は見ない」

 ちゃんと自分の場所に戻らないと、ずるずると引きずられてしまうから。

「貧しいってみにくい……」

 それをやっと自覚できた。もう会いたくない。

 こっちのほうが落ち着くから。

「だったらなんで」

 その先を言わないで。

 後悔して、しまうから。

 このココロが、小さくなって消えてしまうから。

「なんで、ずっと泣いてるんだよ」




      *   *   *




 レクトは強い。

 ジュラがいなくなっても、それどころかジュラという人格が初めからいない存在だったとわかっても、泣かないで生きている。

「だってジュラさまのおかげでこうしてるわけじゃん」

「裏切られたとか、思わないんだね」

 レクトはいつも市場に行っていたから、その残飯がどこに捨てられるのかも知っていて、それを拾って二人は生活を始めた。

 冷たい石の壁の中。

 もう使われていない古い民家だが、地面より少し低いところに貯蔵庫のような部屋があり、それを知っている住人はあまり多くない。カイゼに来たばかりのカディールたちは当然知る由もないといって、レクトに連れてこられた場所だった。

 崩れかけた塀が唯一の小さな入り口。地下だから、夜は本当に真っ暗になる。近くにいるはずのレクトの顔も見えないほど。

「嘘つかれてたって思うといやだけどさ、少なくとも奴隷じゃなくなったんだから、別に裏切りじゃねーよ」

「そうか……そう、だね」

 五日が過ぎて、長男のミントが領主になったと道端で誰かが話しているのを聞いた。トゥリードはそれから姿を見せていないようで、レクトもその行方を知らない。

「でもさ、おまえこれからどうすんの?」

「え?」

「だいたいなんで、おれについてきたんだよ」

「……」

「あの男に怒られるのやだからなおれ」

 本当はラタの町に帰りたかった。いやな思い出しかないけれど、そこが唯一ユティアの知っている小さな世界。

 けれど、馬で何日も駆けてきた距離を一人で戻れるとは思えなかった。

「ばっかじゃねーの」

 レクトの質問に何も答えられなくて下を向いてしまったユティアには、返す言葉もなかった。

(本当にわたしはばかだ)

(なにも、考えてなかった……レクトが迷惑だってこと)

 どこかで甘えていた。

 でも、どこにも逃げる場所なんてないと、とっくに気づいていたのに。

「あ~、やっぱりここにいたねぇ」

 別の声が突然、頭上から降ってきて、ユティアとレクトは同時に顔を上げた。

 この地下から地上への小さな出入り口から、灯篭を片手に顔をのぞかせていたのは、ミントと呼ばれる青年だった。もう領主になったはずの……。

「どうしてここ……」

「君たちだけの隠れ家とでも思ってたかい? 残念。僕は君たちよりよほど長く生きてるし、長くこの街に住んでる」

 だが彼は領主の息子だ。立派な家がある。このような場所を知る必要もない立場にあるはずだった。

 ミントは狭い入り口にまず両足を入れて、その長身を通そうとした。もともと崩れていた塀の土がばらばらと落ちたが、ミントは土まみれになりながらも地下に足をつけた。

 二人の前に立つ。

「探してたんだ」

 ぱたぱたと服の埃をはたきながら、どうでもいいことのように彼はそう告げた。

 ユティアはその言葉にぴくりと肩を震わせた。長い前髪からのぞく瞳は、じっとこちらを見た。

「そんなおびえなくても大丈夫。君を探してるあのひとたちには言ってないし、言う義理もないし」

 でもね、と彼は続ける。

「僕が探してたのはレクトなんだけど」

「え?」

「君、だってもう無職じゃん。だから、ジュラのかわりに僕が雇ってあげるよ。あの屋敷で働いてたひとみんな、僕が雇う予定だから」

「ほ、本当にっ?」

「僕は、僕の役に立たない嘘はつかないよ」

「―――あの……ジュラさま、は?」

 レクトは今でもジュラを尊敬している。トゥリードとは呼ばずに。

 何があっても変わらない気持ちなのだろうか。

「死んだよ。自殺」

 けれど、ミントは自分の弟だというのにあっさりとそう告げた。目を大きく見開いたレクトに、ミントは薄く笑ったようだった。

「ジュラとトゥリードはもう死んだ。けれど悲しんでもらえる死だったのなら、僕も兄として喜ぶべきかもしれない」

 強いと思っていたレクトが、ユティアの隣で大粒の涙を流した。

 声を殺して、肩だけを震わせて。

 ミントがその肩を軽く抱きしめた。

(悲しんでもらえる、なら……いい、の?)

 けれど、あのとき冷たくなっていったミトや、顔しか知らなかった多くの子供たちは、助けてほしかったはずだった。そういう目で見ていた。

 ユティアがミントのほうを見上げると、彼もまたこちらを見た。灯篭の明かりだけでは暗くてよく見えない表情。

「君ももう、居場所なんてないんでしょ」

 言われて、事実だったからおもむろにうなずいた。

 彼は空いているほうの手を、ユティアに差し伸べてきた。

「じゃあ、来たらいい。別に慈善事業じゃない。役に立たなければ捨てる。それだけだよ」


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