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それは、大きいが簡素な屋敷だった。
王都でもない街の領主など、この程度のものなのかとカディールは思う。警備がほとんどないことに拍子抜けした。
罠だろうか……その可能性を考える。
だが、カディールの侵入は予想外のはずだ。事前に計画が漏れていたこともない。そもそもそんな計画をしていなかったのだから。
人気のほとんど感じられない屋敷の二階に上がってきたところで、ようやく人の話し声が聞こえて立ち止まった。
声の聞こえる部屋の隣の部屋で、壁に寄りかかった。さすがというべきか、やはり薄い壁ではなかったが、それでも耳をすませば聞こえないほどではない。
「本当だろうな。先日も子供を殺したとかで、民は怒ってるのだぞ」
「ええ、ジュラに任せておけばすべてうまくいくと思います。王都も私がいれば介入しません」
少し切羽詰った声に対して、あくまでゆったりとした返答。
「……ジュラ、か。あいつはやりすぎる。民の怒りがわしに向かうようでは困るのだがな」
一方は領主クイードだとわかったが、その話し相手はわからない。王都から来ているのだろうということだけは想像できる。声は若い女のものだった。
昨日トゥリードから聞いた、王都からの協力者だろうか。
「ジュラになにか、よからぬことを頼んだそうだな。少女の誘拐、とか」
「……けれどそれは、カイゼの街とは何の関係もありません」
ユティアのことだとすぐに気づいた。そのままここから飛び出して切り捨ててやりたいと思ったが、ぎりぎりの理性でとりあえず我慢する。
「まぁいい。最近はトゥリードも邪魔をしなくなっているしな。正義感で民衆の支持を得るよりも、ジュラの言うことをきいておけば楽でいいものを」
「彼にも立場というものがあります」
女の声はあくまで柔らかい。育ちのよさと教養の深さを思わせる、澱みのない発音。けれどそれが、逆にひどく冷たい印象を与えた。自分には関係ないと思っているからかもしれない。
「まだジュラと会っていないのだけが救いだな」
「二人が会う必要は、ありません」
「ジュラはどこに行った?」
「今頃は神殿に」
「なに?」
そう思ったのはクイードだけではなかった。
(なぜ神殿なんかにっ。ユティアがいるのに……)
カディールはそっとこぶしを握り締めた。シオンがいるのだから心配する必要はないと思いながらも、焦燥感は消えなかった。
「この屋敷と神殿、二つがあればカイゼの街は完全にあなたのものになります」
「……神殿は独立したもの。領主が関わったとなれば国も黙っていないだろうに、恐ろしいことを言ってくれる」
「知られなければ、いいのです」
この女はどこか大きな組織の一員だ……カディールはそう感じた。国の情報隠蔽を左右できるほどの力。
そのとき、誰もいないはずのこの部屋で違和感を覚えたのは、直感以外のなにものでもなかった。
「ようこそ、領主の館へ」
耳元の小声。
背後に、人の影……。
ここまで人の気配を感じなかったのは初めてだった。