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「レクトっ」

 市場の中に小さな背中を見つけて、ユティアは声をかけた。

 彼はすぐに気づいて振り返ったが、その後ろにカディールの姿があったせいか、顔をゆがめた。露骨な警戒感。その様子にシオンがあきれた声でカディールを責める。

「……カディール。こんな小さな少年にまで暴力を振るってたのですか?」

「するか、んなこと! ガキ相手に」

 いつもの軽口を聞きながら、ユティアはレクトに走り寄った。

 かごにたくさんの野菜を入れているのを見て、ユティアは首をかしげる。とても数人分どころではない。なにより、これらは残飯を盗んできたものではなく、買ってきたものだったのだ。

 ユティアは市場にいるといっていたレクトが、以前のように残り物を探して生活しているのだと勝手に想像していた。

「レクト。いまはどこにいるの?」

 以前ははっきりと尋ねることができなかった。ただ、仲間といるとだけ聞いていた。

「どうしたんだよ、急に。仲間になりたくなったわけでもないだろ」

「―――ジュラの、ところに……いるんじゃ、ない、よね」

 今朝の説明では、カディールはもう確信しているようだったけれど、ユティアは信じたくなかった。

(ジュラは人殺し、なんだから)

 関わりたくないし、関わってほしくない。

 だが、レクトはユティアの口からジュラの名前を聞いて少し驚いた表情になった。

 すぐに言いにくそうに目を逸らすのを見て、カディールが何かを言いかけたがシオンに止められる。彼に促されて、ユティアは再び口を開いた。

「なんで? レクト、悪いひとのところに、いるの」

「ジュラさまのこと知らないくせに何言ってんだよ。あのひとはおれたちをあの領主から助けてくれたんだっ」

 殴られたり蹴られたり鞭で打たれたり……。

 ユティアを買った屋敷の人々と同じ扱い。

 そんな状況から救ってくれたジュラを、レクトが崇拝するのは当然の成り行きだ。

(そこから助けてくれるなら、誰でもよかった?)

 悪人でも、人殺しでも。

 差し伸べてくれる手はすべて、真っ白な未来に見えるから。

(わたしは……運が良かったんだ)

 カディールもシオンも本当にいい人だ。

 けれど、ジュラのような男でもユティアはついていったかもしれない。あの牢獄より悪い場所はどこにもないから。ほんの少しでもましな世界に連れて行ってくれる手が、どれほど血にまみれていても……。

「ジュラさまはこの街を変えようとしてるんだ。それがいやなら出てけばいいだろ」

「どうして、そんなこと……言うの」

 たしかに奴隷たちにとって、ジュラは救世主かもしれない。

 だが一方で、脅されて無理矢理働かされている住民もいるのだ。

「なんだよ! おまえだってミトが目の前で轢かれて死んだの見ただろっ。それとおんなじじゃんか。なんで助けようとすんだよ。……ミトは……誰にも助けてもらえなかったのに……!」

 たしかにユティアも、カディールが助けようとした少年が死んでしまっても、同情することはできなかった。

 あのときミトを、誰も助けてくれなかったことを思い出してしまったから。

(違う)

(わたしだって、ミトを助けようとは、しなかった……)

 あの少年は死んでしまったけれど、多くの涙と母親の愛に抱かれていた。ミトは誰にも泣いて、もらえなかった。ユティアも、泣けなかった。

「みんな同じ目にあえばいい……そしたらわかる」

「……」

 復讐の瞳。

 貧民街で生活していたころのレクトは、そんな表情をしたことがなかったから、ユティアは自然と一歩レクトから離れた。

 本能でそれが怖いものだとわかったから。

 けれどそれは、諦念の表情よりはずっと美しいかもしれない。

 生きている光。

 生きようとする、光だ。

(でも……)

 それがいいことだとは、どうしても思えなかった。

「……それじゃあ、レクトはあの奴隷商人たちとおなじだよ」

 あのすさんだ瞳で子供たちを見下し、値踏みしていた、彼らと変わらない……醜い瞳だ。

 レクトは口を引き結んで、肯定も否定もしなかった。彼にとってはそれでもジュラはきっと、英雄なのだろうから。

「おまえだってホントはそう思うんだろっ。いろんなもの盗んだし、死んでく仲間を見殺しにした。それなのにいまさら……」

「や、やめてっ」

 思わず耳をふさいだ。

(ききたくないききたくないききたくない)

 そして何より、知られたくない。

「おまえずるいよ。そうやっていいひとのふりをして」

「違うよっ。わたし、は……」

(いいひとなんかじゃ……ない)

 そんなふりもできない。

 苦しい。

 空腹を耐えてきたあのころとは違う、こころの痛み。

 逃げてきたものが、こんなふうにして還ってくるなんて思わなかった。

 言葉に出して言われると、実感する。本当は、こんな風に守ってもらえるような人間ではないのだと。

(イタイ……)

 罪悪感よりも痛い。

「ユティアっ!」

 がっくりと膝を折ってその場に座り込んでしまったユティアに、少し離れていたカディールとシオンが駆け寄ってきた。ユティアは顔を上げることができなかった。

「おまえもう帰れっ」

「うっ」

 カディールに唐突に怒鳴られ、レクトは何も言えずに走り去ったようだった。

 ユティアを起こそうと、シオンが手を差し伸べる。

「あ、いや……っ」

「―――っ!」

 伸ばされたシオンの手が、ユティアに届く前にはじかれた。

 びりびりと、大気を裂くいやな音がする。

「……こんな魔道力を一気に放出したら―――」

 シオンがその手に杖を持って、何かを唱えようとしたとき、カディールがユティアにゆっくりと近づいた。

「カディールっ。だめだ、いまは……」

「ユティアっ!」

 名前を呼ばれた。

 思わず顔を上げた。

(……あ)

 彼の瞳は、罪の意識を増幅させる。

 稲妻のようにほとばしる魔道力の中で、カディールはユティアの腕に触れた。

 強い、優しい、青のいろが見える。

「や……やめてっ。触らないでっ」

 この穢れが伝染する。

「……っ」

 自分では何をしたのかわからなかった。ただ、カディールとの間に光線が走った。予想外のことに、一瞬だけ彼は腕の力を緩めた。

 ユティアはカディールの手を振り払う。

 夢中でただ、駆け出した。

「―――ユティアっ!」

 追いかけてきてほしくない。

 けれど、見捨てられるのはもっと怖い。

 相反する二つの感情に晒されながら、けれどユティアは振り返ることだけはできなかった。

 長い裾をつかんで走り、市場の外に出た。

「―――え」

 目の前を横切ろうとした馬車の幌から、腕が伸びたのを見た。

「ユティアっ!」

 まだ聞こえるカディールの声。けれど、ユティアの身体は軽々と浮いて、馬車の中に乗せられていた。


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