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 昼間は暗い表情を見せていた街も、深夜を過ぎると一変する。

 異なる顔。

 人気のなかった一角は、急に賑やかになっていた。路上には酒を売るカウンターが並び、薄着の女たちがカディールに好奇の視線と甘い言葉を送る。

 常にシオンのそばにいるせいであまり注目されることはないが、カディールも女性受けのよい風貌をしていた。シオンのような至高の芸術的美貌とは違う、精悍で野性的な面立ちは、人目を惹きつけるには十分な魅力にあふれている。

 だが、甘く艶美な声の誘いにも、カディールはまったく揺らがなかった。完全に無視を決め込んで、目的地へのみ向かう。

 この遊里に、王都から遠回りをして来たばかりの旅人がいるらしいという噂を手に入れたのはシオンだ。

(だったらあいつが来ればよかったんだ)

 彼のほうがこういう場所には慣れているだろう。偏見だが、女性たちへの常日頃の扱いを見ているとそう思ってしまう。

(この情報だって神殿の女から聞いたに決まってる)

 あの笑顔ひとつで、シオンが手に入らない情報はほとんどないのではないかと思えるほどだ。

 だが、その旅人というのにカディール自身興味があるのも事実だった。このあたりをうろうろしていて、たまにカイゼにも現れるらしいが、特に何をするでもなくまたどこかへ消えてしまうらしい。

 教えられた簡素な看板には、土器の杯が彫られている。通りに突き出たカウンターに、一人の男が寄りかかって杯を傾けていた。

「薄暗い夜だねえ」

 三十歳手前に見えるその男は、カディールを見つけても特に警戒するでもなく、のんびりとそう声をかけてきた。

 満月ではないが月も見えて、雲も少なく星が輝いている。物理的に暗い夜ではなかった。

 カウンターに小銅貨を一枚置いた。カウンターの中の女が、杯を用意する。

「どうせなら僕が持ってきた酒を試してみる? カストゥール王国からの交易のワインだよ。珍しいだろ?」

「やだぁ、あれは銅貨一枚ぽっきりで出したくないわぁ」

 自慢げに言う男に、甘い声で媚びる女。それはカディールがどうしてもなじむことのできない世界だ。

 金はないと断わろうとしたとき、男は銀貨を差し出した。珍しいワインとはいっても一杯に払う金額ではない。カディールが目を瞠ると、男は気にするなというように片目をつぶってみせた。

「あら。今日は気前がいいのね」

 女はあっさりと機嫌を直し、カディールの小銅貨と男の小銀貨を懐にしまって、秘蔵のワインを杯に注いだ。

 そのあとすぐに女は二つのワイン壷を抱えて、その場から姿を消した。

(人払いのための銀貨、か)

 男はカディールが現れることをあらかじめ知っていたようだ。だが、それに言及せず、とりあえず珍しいというその酒を一口飲んでみる。

「強いよ、それ」

 たしかに、高いだけのことはあるのか、通常出回っているものよりもかなり強いワインだった。だが、この程度で酔えるような身体ではない。

 そのまま一気に飲み干してしまうと、カディールは杯を置いて男のほうに向き直った。

 彼は、すでに空になっていた自分の杯を手でもてあそびながら、邪気のなさそうな笑みを返す。

「さすがだねえ。左利きの英雄さんは」

「なんだそれは」

「あれ? 知らないの? 男の子を助けようとしたのでしょ。すでにずいぶん有名になっているよ」

 その表情からは、事実なのか冗談なのか判別できなかった。

「信じていない顔をしているね。でも、あのジュラに逆らおうとする住人は誰もいなかったから、この街で君は珍しい存在なんだよ」

 男は杯を空中でぴんっとはじいた。それは回転してカディールの使った杯の上に綺麗に重なった。割れることもなく、音も静かに。

「ジュラがカイゼの街を仕切るようになって、たしかに治安は悪化したかもしれない。けれど、領主クイードだったころも何もしていなかったのだから、たいして変わらないんだよ本当はね」

「何でも知ってる口ぶりだな」

 何も聞かずとも、彼はぺらぺらとカディールに話していく。簡単ではあるが、どれを真実とすればよいのか……。

「ええ、僕もあの館で働いていたから」

 あっさりと、そう告げられた。驚く余裕もなく、彼は話を続ける。

「たくさんの奴隷たちが毎日殴られていた……。それを、ジュラは彼らを奴隷ではなくて、普通に雇うようにしたんだよ。だから、住人たちにあれほど嫌われているジュラに、多くの仲間がいるんだ」

 ユティアの昔の知り合いだと言っていたレクトを思い出す。

 奴隷として働いていたけれど、逃げたと言っていた。もし、逃げたのではなくジュラに組しているのだとしたら……。

「―――お前も、奴隷だったのか?」

「……さぁ? どうだろうね」

 視線を逸らして、彼は空を見上げた。

 月が雲に隠れていた。



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