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「ここはいろいろなものを売っていますから、なにか欲しいものがあったら遠慮なく言ってくださいね。贅沢はあまりできませんけれど」
町を歩いて見てみたいというユティアの望みに、カディールとシオンはいやな顔をせずに付き合ってくれた。
「そ、そんな……この服だけでもう、十分、だし」
すでにかなり贅沢をさせてもらっている気がする。新鮮な野菜や果物、それだけでユティアは幸せだ。
「俺には無駄遣いすんなとか言ってたくせによ」
「女性に贈り物をするのは、古今東西、重要なことだからね」
「でも……お金、あるの?」
いつまでも泉のように沸いてくるはずもないことはユティアでもわかる。さすがに心配になって、おもわずユティアは尋ねていた。
少し驚いた表情で二人はユティアを振り返った。
失礼な質問をしてしまったのだと、そのときやっと気づいた。
「あ、ごめんなさいっ」
「いいんですよ」
「ていうか、あんたが気にすることじゃねーし」
ユティアの頭をなぜるカディール。子ども扱いされているが、実際子供だったから何も言えなかった。
奴隷になる前は、母とやっていたように藁を編んでそれを売る生活もしていた。母のいたころはそれだけでなんとか食べていけたが、ユティアひとりではほとんど稼ぐことはできなかった。
貧民街にいるようになり、仲間たちといっしょになって、貴族たちから金銭を盗んで、食べ物に換えたこともあった。罪悪感を背負って食べるのは楽しくなかったけれど、それでも空腹よりもましだった。
「大丈夫ですよ、ユティア。カディールはこのとおり礼儀のかけらも知らないんですけど、傭兵なんかをしてお金をかせいでいるんです」
「よう、へい?」
「つまり、要人たちの警護です。礼儀を知らなくとも、腕はありますから」
「いちいち、礼儀知らないとか言うなっ」
彼の反論は、シオンに笑顔で軽く頷かれて終わってしまった。
「じゃあ、ここには長くいるつもりなの?」
「実は、まだわからないんです。王都に行きたいのでその情報集めと、できればカディールには少し資金をかせいでおいてもらいたいですし」
中規模の街で傭兵をして手柄を立てれば紹介状などをもらえて、大都市で仕事を探しやすいのだという。
カイゼの街の大通りはそれなりに多くの人々が往来しているが、人々はどこか疲れた表情をしていた。ユティアがきょろきょろとあたりを見回していると、野菜を売る市場の小道から中年の男が飛び出してきた。
「おい、ジュラが来るぞっ」
男が叫ぶ。
そのとたん、あたりは騒然となった。
荷台から運んでいた野菜が落ちるのも気にせず走り出す商人たち、道端で座り込んでいた野菜売りもあわてて片付けて奥に隠れてしまった。通りの真ん中で鞠を蹴っていた少年も、母親らしき女性に抱えられて物陰に消えた。
そのただならぬ様子に、ユティアもシオンに促されて同じように通りの中央を開けた。急に静まり返る通りの両脇で、人々は地面に頭をつけてひれ伏していた。見る限り、立っているのはユティアたち三人だけだ。
「……なんなんだこれは」
カディールが呟いたのと、うしろから馬車の近づく音を聞いたのはほぼ同時だった。
振り返ると、町中だというのに速度を落とさない幌つきの馬車が、こちらに向かってきていた。
それを確認した彼らの視界に、ころころと通りの中央に向かって転がっていく鞠が映る。それを追いかける幼い少年。母親はひれ伏していて自分の子供には気づいていないようだった。
「……おいっ! 危ねえぞっ」
カディールが声をかけても少年は鞠を追いかけていた。馬車はまっすぐに、まるで狙っているかのように、速度も落とさず少年に向かっていく。
「馬車っ! 止まれ、なに見てんだよっ」
「……カディールっ」
シオンの制止の手も届かず、カディールは通りに飛び出していった。
だが、馬車の速度にかなうはずもない。
(―――いやだ)
ユティアは思わず一歩下がった。見たくない。
「止まれっ!」
カディールの罵声。
人々が少し、顔をあげた。
「いやあぁぁぁっ!」
これは母親の叫びだろうか。
けれど、カディールの目の前で、子供は宙を飛んだ。
長身のカディールの目線よりも高く。
どさりと背中から落ちる少年。
だが馬車は、何事もなかったかのようにその場を走り去っていった。
(……この子はまだ、しあわせだ)
カディールがすぐに少年に駆け寄った。
母親が少年を抱いて、泣き崩れた。
見ていた人々が少年のまわりに輪を作った。
(けれど、そうじゃないときもある)
ユティアと仲のよかった少女も昔、馬車に轢かれた。あのころはレクトもいて、目撃者もたくさんいた。御者も馬車を止めて、一度は降りてきたけれど、貧民街の子供だとわかったとたん、謝罪もなくその場を去っていった。誰もがとたんに無関心になった。
「ユティア……大丈夫ですか」
曇った表情になったユティアにすぐに気づいたシオンが声をかける。硬い表情のまま、いちおうは頷いた。
もう昔のことだ。
「……あのこは、大丈夫なの?」
「わかりません」
ユティアが傍らのシオンを見上げると、彼は普段と変わらぬ静かな瞳でカディールを見つめていた。ユティアもそちらに目をやると、カディールが少年を抱きかかえて向かってくるところだった。
「まだ息がある! 神殿に連れてってやる」
「わかった」
カディールのその行動はあらかじめ予期していたのか、シオンは当然のようにうなずいた。カディールは少年を抱えて先に走り、ユティアたちは母親や数人の知り合いとともに少し遅れてあとを追った。