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「もう、いいですか?」
「はーいっ。カンペキでーす」
少女の高い声とほぼ同時に、カディールとシオンが部屋の中に入ってきた。
ユティアは気恥ずかしくて、その少女の背中に隠れてしまいたかった。けれど、カディールと違ってユティアと同じ背格好だから、完全に隠れることができるはずもなかった。
「よくお似合いです。サイズも合っていますか?」
「ええ、それはもう!」
彼女はアシアと名乗った。大人びているように見えたが、ユティアと同い年だと聞いてかなり驚いた。自分が子供すぎるのだろうか。
「あ、あの……えぇっと」
「なに恥ずかしがってんだよ。けっこう似合ってんじゃんか」
相変わらずアシアの後ろにいるユティアの手を、カディールが引いた。それだけで長い裾を踏んで転んでしまいそうになる。
(ほ、ほんとに似合ってるの、かな)
お世辞だろうとどこかで疑いつつも、真に受けてしまいたい気持ちもある。自分では見えないから、想像することしかできないのだが。
「まぁ、私の見立てですから当然です。女性の身に着けるものを選ぶのは得意なんですよ」
冗談のように言って笑ってみせるシオンだが、カディールが肩をすくめてどこか肯定しているのを見ると、こういったことが以前もあったのだろうと思わせる。
アシアに手伝ってもらって着た新しい服は、今まで来ていた白ではなく、さまざまな色で染めた糸で織られている。薄い布を何枚か羽織り、それらを腰の紐で留めているのだが、その色の重なりが趣味のいい独特な色合いを生み出していた。足首までの長い裾、ゆったりとした袖、貝や陶器の首飾り……どれをとってもユティアが身に着けたことのないものばかりだ。
無造作に伸ばされたままだった髪の毛も、アシアと神殿の大衆浴場に入れられ、毛先を整え、オイルなどで艶を出し、右肩で軽く結って、陶器の花のかんざしをつけた。
くすんだ色の髪の毛は、美しい艶のある黒髪に変わっていた。
「なかなか帰ってこねーと思ったら、こんなに買い込んでたのか」
「だってこんな生成りの服では失礼だよ。女性は着飾って悪いときなど一瞬たりともないからね」
「勝手に言ってろ」
こういった話題に関して、カディールはシオンに特に敵わないようだった。
「ほんとにかわいいよぉ。この服もきっと喜んでるしっ」
アシアはこういった服を作って売る店の娘だという。シオンが頼んで手伝いに来てもらったらしいのだが、ユティアから見るとアシアのほうが間違いなく可愛らしい雰囲気で、そんな少女に褒めてもらうのはお世辞だとしても気恥ずかしかった。
「つまらない服ばかり着ているから飾ってあげたいだなんて、ユティアもいいお兄さんがいてうらやましいよ~。あたしが作った服、そうやって着てもらえるとすっごくうれしいんだっ」
「でも、わたしよりシオンのほうが似合いそう……」
ぽつりと思ったことを正直に言ったら、カディールが大爆笑し、アシアは絶句した。一人、当の本人であるシオンだけは涼しい顔を崩さなかった。けれど、本人を含めて誰一人として反論はしなかった。
彼らの反応を見ていると、この想像もあながち外れていないような気がして、少し落ち込んでしまう。ユティアも人並み程度には着飾ってみたいという欲求はあるのだが、女性扱いされることに慣れてない。そもそもそんな欲求を言える立場にすらなかった。
「こいつ実はけっこう女の格好するんだぞ。よくわかったな、ユティア」
「えぇ?」
「ユティアのほうがお綺麗ですよ」
「……」
余裕のあるその微笑には、やはり敵わない気がした。彼のほうが理想の姫君にみえてくる。
彼は容姿だけでなく、物腰や雰囲気まで洗練されている。それは貧民街での物乞いや奴隷としての生活しか知らないユティアには真似できないことだった。
「あ、じゃああたし、お店あるからもう戻りますねっ。あとはお兄さんたちに褒めてもらってね」
「ありがとうございました。アシア」
店まで送ると言ってくれたシオンを、アシアは顔を赤くしながらも丁寧に断って部屋を出て行った。すると、外からきゃあきゃあと叫ぶ別の少女たちの声が聞こえてきたのだが、シオンは聞こえないふりをした。
「気にすんな。こいつが女に騒がれるのはいつものことだ」
カディールが、呆然と帷のほうを見やるユティアに、フォローにもならない言葉を投げかける。前にかかる銀髪をさらりと手で流したシオンも、苦笑を返すだけで否定はしなかった。
彼と行動をともにしてからずっと、知り合う女性たちはシオンに恍惚の眼差しを向け、ユティアに憎悪の眼差しを向けていた、その理由がやっとユティアにもわかった。
「どうぞ、ユティア」
やっぱり恥ずかしくてうつむいてしまったユティアに、シオンは丸くて薄い銀板を渡した。見たこともないものだった。
「これは鏡です。ご自分の姿を確認できますよ」
「かがみ?」
水に映る自分しか見たことのないユティアは、その鏡をおそるおそる覗き込む。
滑らかで柔らかい黒色の髪に縁取られた、少し日に焼けた少女の顔がそこに映っている。おかしいと思って目を見開くと、鏡の中にある黒の双眸もゆっくりと開かれた。
「え、えぇっ?」
もう一度よく見ると、鏡の中の少女も驚いた表情をした。首をかしげたら、同じようなしぐさをした。
街中で見る、普通の少女となんら変わりない……むしろそれ以上にかわいらしく着飾った自分が、そこに映っている。
(これは、誰? わたし、なの?)
何度も覗き込んで確認しても、信じられなかった。
「さすがの私でも女性の美しさには敵わないんですよ、ユティア」
「さりげなく自慢してるよな」
たしかにそのとおりに聞こえて思わず頷いてしまった。
「ユティアまでそう思われるのですか?」
「あ……ご、ごめんなさい」
だが、心外という表情ですら、シオンは綺麗だった。自慢したくなるのもわかってしまうほどに。
「あんたが謝る必要なんかねーっての。全部ほんとなんだから」
「少なくとも貴方に負けない自信はあるけれどね」
「女装で勝ってもうれしくねぇっ!」
二人のやりとりは、聞いているだけで楽しい。
(いつまでも、このままだったら……いいな)
昔のことなどすべて忘れて。
辛いことも悲しいことも。
思い出さなくなればいいのに。
(でも、どうしても比べてしまう)
突然の変化。あのころの惨めな自分と、今の自分。
やっぱりまだ、惨めなのだろうか。
「お、おいっ。どうしたんだよ、ユティア」
「……え」
慌てた表情で、カディールがユティアの顔を覗き込んでいた。
「なんで泣いてるんだよ」
「―――な、泣いてなんか」
両手を頬にあてたら、たしかに溢れてくる涙を感じた。
空腹でもないのに。
「やっぱりこの服が気に入らねーのか?」
「ち、ちが……っ」
「じゃあなんだよっ」
責められるような口調で問われたが、ユティアにもわからなかった。自分でも気づかなかった涙だ。
ただ首を横に振った。
カディールの大きな手が、乱暴だったけれど涙をぬぐってくれた。
(どうして、こんなに優しくしてくれるんだろう)
他人を気遣う余裕などなかった。ユティアも周りの子供たちも。
そんな世界があったのに……。
ここは、慈愛に満ち溢れている。