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フィルターバブル・セブンティーン―偏差値52の僕ら―  作者: 明石竜


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第3話 偽造されたステータス

 我妻の暴走は、インターネットという匿名性の泥沼の中で、最悪の形で加速していった。

 高架下の一件から数週間、我妻は以前よりも『ステチェク』にのめり込んでいった。

 教室では以前ほど大声で動画を流さなくなった代わりに、スマートフォンを覗き込んでいる時間だけが増えていた。

 駆には、それが反省しているようには見えなかった。むしろ現実からネットの中へ、さらに深く潜っているように見えた。


 十一月下旬の金曜日。深夜十一時。

 駆は、自室のベッドの上でスマートフォンを開き、動画配信アプリの画面を見つめていた。

 画面の中では、あの『ステータス・チェック』のロクが、おどろおどろしいBGMをバックに、いつにも増して下品な満面の笑みを浮かべている。

 今夜の配信は、数日前からSNSで大々的に告知されていた生放送の特別企画だった。

『さあ始まりました、ステチェク緊急生配信! 題して【お前の偏差値はいくつ? 視聴者模試成績表ガチ格付け祭り】! 全国から送られてきた模試のスクショを、俺がリアルタイムで神かゴミか仕分けしていきまーす! ちなみに偏差値50以下のゴミを送ってきた奴は、その場で即ブロック&アカウント晒しだからな! 覚悟してかかってこい!』

 コメント欄が「きたあああ」「神企画」「ゴミ処理班よろしく」といった、狂熱的なテキストで埋め尽くされていく。

 駆は嫌な予感に胸を騒がせながら、画面の下部に表示される「格付けエントリー者」のハンドルネームを目で追った。

 その時、一枚の成績表のスクリーンショットが画面に大きく映し出された。

『おっ、エントリーナンバー14番、ハンドルネーム【明鳳の王】さん。ほほう、県内トップの明鳳高校の2年生ですか。どれどれ、駿台全国模試の結果は……うおっ、マジか!?』

 ロクがわざとらしく目を見開いた。

 画面に映し出されたのは、見覚えのある明鳳高校の模試データだった。そこには驚異的な数字が並んでいる。

【総合偏差値:七十二】

【東大文科一類:A判定】

【校内順位:3位 / 302人】

『すっげえええ! 偏差値72! 東大A判定! 文句なしの「神」ステータス確定です! 【明鳳の王】さん、あんたみたいな本物のエリートがこのチャンネルを見てくれてるの、マジで誇らしいわ! これが本物の人間の脳みそ! コメント欄、崇め奉れ!』

 画面は「リアルガチ天才」「かっけえ」「神降臨」という称賛の嵐に包まれた。

 だが、駆の全身は、まるで氷水を浴びせられたかのように冷え切っていた。

(……何だこれ。おかしい)

 駆は自分の学習机の引き出しを開け、先日の模試の成績表を取り出した。そして、スマホの画面に映る【明鳳の王】の成績表と見比べた。

 点数の配置、受験科目の順番、そして、受験番号の下四桁。

 それは、間違いなく駆自身の成績表だった。

 だが、数字だけが巧妙に書き換えられている。駆の「偏差値五十二、筑波E判定、校内百八十位」という無様な現実が、画像編集ソフトによって「偏差値七十二、東大A判定、校内三位」という、完璧な天才の数字へと捏造されていた。

 そして、【明鳳の王】という名前。

 我妻だ。我妻が、学校で駆の成績表をこっそり盗み撮りし、受験番号だけを残して数字を偽造し、番組に投稿したのだ。

「何やってんだよ、あいつ……!」

 駆は震える指で、我妻にLIMEの個人メッセージを送ったが、一向に既読がつかない。

 画面の向こうでは、ロクが【明鳳の王】を絶賛し続けている。コメント欄の何万人もの人間が、偽物の数字を本物だと信じ込み、熱狂的な崇拝を捧げている。

 その偽りの万能感の中心で、我妻は今、どんな顔をしてスマホを見つめているのだろう。

 他者を見下す動画の思想に毒され、自分の「四十七」という現実から逃げるために、ついに一線を越えて「嘘の数字」で自尊心を満たす怪物になってしまった。

 

            ☆


 翌週の月曜日。教室の空気は、これまで以上に歪んでいた。

 我妻は、クラスの男子グループの中心で、見たこともないほど尊大な態度でふんぞり返っていた。

「いやさ、やっぱりネットの奴らってバカばっかだわ。ちょっと俺の本当のスペックを見せてやったら、一瞬で手のひら返し。ロクも完全にビビってたしな」

 我妻が自慢げに話しているのは、もちろん金曜日の生配信のことだ。クラスの何人かは、その【明鳳の王】が我妻であることに気づいていた。

「我妻、お前マジで凄かったな。東大A判定とか都市伝説だと思ってたわ」

 取り巻きの一人が感心したように言った。

「まあな。普段の学校のテストは適当に流してるだけだから。本気の模試ならこれくらい余裕だよ」

 平然と嘘を重ねる我妻の姿に、駆は激しい吐き気を覚えた。

 その嘘の土台に使われているのは、自分の、あのボロボロの成績表なのだ。

「嘘つき」

 教室の最前列から、冷徹な声が響いた。

 雫だった。彼女は冷ややかな目で我妻のスマートフォンを見つめていた。

「何だと、藤崎」

 我妻の顔が、一瞬で怒りと焦燥に強張る。

「あんたが金曜日の配信に送ったあの画像、校内順位3位って書いてあったわね。先月の駿台模試で、明鳳の2年で東大A判定が出たのは、1位の私と、2位の理系の特進クラスの生徒だけ。3位の生徒の偏差値は68で、文一はC判定のはずよ。データが完全に矛盾してる」

 雫の圧倒的な正論に、我妻の取り巻きたちがざわつき始めた。

「え、マジ……?」

「我妻、それ本当なの?」

「うるせえ!」

 我妻が激昂し、机を強く叩いた。彼の目は血走り、額には青筋が浮かんでいる。

「お前が何を知ってるんだよ! 模試のデータなんて、個人によってバラつきがあるに決まってんだろ! 俺を誰だと思ってる、明鳳の生徒だぞ! Fランのゴミどもとは違うんだ!」

「哀れね」

 雫はため息すらつかず、ただ冷たく言い放った。

「数字に怯えて、ついに自分についた数字まで偽造し始めたのね。そんな偽物のステータスで着飾って、何が楽しいの?」

「黙れ、黙れ、黙れ!」

 我妻は狂ったように叫び、近くにあった駆の胸ぐらを突然掴み上げた。

「おい、長谷部! お前は知ってるよな!? あの成績表が本物だって! お前だって、あの配信を見てスカッとしただろ!? 俺たちが上の存在だって、証明されたんだよ!」

 我妻の顔は、完全に崩壊していた。

 その目は、溺れかけた人間のように、必死に駆の「同意」を求めていた。ここで駆が「本物だ」と言ってくれれば、彼の世界はギリギリで繋ぎ止められる。

 駆のポケットの中で、スマートフォンが微かに重みを持っている。

 我妻の言う通り、動画を見て安心していた自分は、あいつと同罪だ。ここで我妻を庇えば、自分も「上の側」の虚構の中に居座り続けられるのかもしれない。

 だが、駆は、我妻の握る手をそっと、けれど明確な力で振り払った。

「……もうやめろよ、我妻」

 駆の声は、小さく震えていた。

「あの成績表、俺の受験番号だよ。お前が書き換えたんだろ。……そんなことしても、俺たちの偏差値は一ミリも上がらないよ」

 教室内が、水を打ったように静まり返った。

 我妻の動きが、完全に止まった。彼の顔から、あらゆる感情が抜け落ち、信じられないものを見る目で駆を凝視した。

「お前……裏切るのかよ、長谷部……」

 その日の放課後、我妻は誰とも言葉を交わさず、荷物をまとめて教室を飛び出していった。

 残された駆の元には、誰も近づいてこなかった。

 偽造を見破った正義の味方としても、クラスの仲間としても扱われない。ただ、狂った友人を告発した、不気味な傍観者としての視線だけが、駆の背中に突き刺さっていた。

 駆は、夕闇に染まる教室で、一人スマートフォンの画面を開いた。

 画面には、依然として軽快に他者を嘲笑い続ける『ステータス・チェック』の動画が流れていた。だがその声は、もう駆の耳には、何の慰めにもならなかった。

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