醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。
私の顔には、大きな痣がある。生まれた時からついていたこの痣は、私の人生にとって、大きな障害だった。
ストライム侯爵家の令嬢である私にとって、顔に痣があるというのはとても不利なことだった。醜い傷ありと言われて、他の貴族から忌み嫌われて、私は辛い日々を送っている。
「さて、今日、お前を呼び出したのは他でもない」
「……」
そんな私は、王国の第三王子であるグラムド殿下と婚約していた。
彼との婚約は、私が生まれる前から決まっていたものである。親同士が約束して、そのまま婚約しているのだ。
だが、この婚約は私にとって、幸福なものではなかった。グラムド殿下は、私のことを嫌っている。醜い傷ありである私と婚約させられていることを嫌い、それで私を責めてくるのだ。
「お前との婚約を破棄するためだ」
「婚約を破棄……?」
「醜いお前との婚約など、俺はこれ以上耐えられない。故に、婚約破棄させてもらう」
ある日、私はグラムド殿下から婚約破棄を言い渡された。
彼の口から出た言葉に、私は少しだけ安心していた。これで、彼から解放される。そう思ってしまったのだ。
しかし、私はすぐに思い出した。婚約破棄というものは、そんなに簡単なことではない。もっと、焦るべきなのだ。
「待ってください。婚約破棄なんて、困ります」
「困るかどうかなど、関係はない」
「国王様や私のお父様に許可は……」
「いいか、これはもう決まったことなんだ。お前が何を言おうと、俺は婚約破棄する。この意思は変わらない」
「そんな……」
グラムド殿下の意思は固かった。恐らく、私が何を言っても考え直してくれないだろう。
結局、私にはどうすることもできない。今は、このまま婚約破棄を受け入れるしかないのだ。
◇◇◇
私は、王城の中を歩いていた。
婚約破棄されて、私はとても落ち込んでいる。もちろん、グラムド殿下に好意があったという訳ではない。彼と婚約破棄できたことは、むしろ幸福なことだと思える。
しかし、それは私の個人的な感情に過ぎない。ストライム侯爵家にとって、この婚約破棄はとてもまずいものなのだ。
王族から、婚約破棄された。それをお父様に伝えると、私は何を言われるのだろうか。それが、恐ろしくて仕方ない。
はっきり言って、私の家での扱いは良くない。この痣は、家族からも嫌われる要因なのだ。
そんな嫌われている私が婚約破棄されたとなると、ひどいことを言われることは確実である。それによって、私の気分は上がらないのだ。
「……大丈夫ですか?」
「え?」
そんな私に、話しかけてくる人がいた。
その人物のことを、私は知っている。彼は、第四王子であるケルド殿下だ。
言葉から考えると、彼は私を心配してくれているようだ。端から見ても、私は落ち込んでいるように見えたのだろうか。それは、少し恥ずかしい。
「あなたは確か、エルーナ・ストライムさんでしたよね?」
「あ、はい……」
「兄……グラムドの婚約者という認識は、間違っていませんか?」
「あ、えっと……」
その質問に、私は少しだけ言葉を詰まらせた。
私は、グラムド殿下の婚約者だった。だが、それはもう先程までの話だ。今の私は、もう彼の婚約者とは言えない。
ただ、それを言っていいのかがわからなかった。まだ正式に発表されたことではないので、言うのを躊躇ってしまったのだ。
「何かあったようですね?」
「その……」
「……少しだけ、話を聞かせてもらえますか? よろしければ、こちらでどうでしょう?」
ケルド殿下は、少し表情を険しくし、近くの客室の戸を開きながらそう言ってきた。どうやら、私の躊躇いによって、何かあったことを察したらしい。
私は、ゆっくりと頷いた。彼になら、話してもいいと思ったのだ。私を見て、特に表情を変えない彼は――この痣に嫌悪感を抱かない彼のことは、信じられる。
「さて、あなたとグラムドに何があったのか、聞いてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい……実は、彼から婚約破棄を言い渡されて――」
「婚約破棄ですって?」
向き合って座って、私達は話を始めた。
婚約破棄という言葉を聞いて、ケルド殿下はとても驚いている。やはり、婚約破棄というのは一大事であるようだ。
「……申し訳ありません。少し動揺してしまいました」
「いえ、大丈夫です」
「兄は、一体どうして婚約破棄などということを?」
「その……彼は、私のこの顔が気に入らなかったらしくて……」
「……その痣のことですか」
私の言葉に、ケルド殿下は少し悲しそうな顔をした。
その表情だけで、私にはわかる。彼は、私がこの痣によって蔑まれていることを悲しく思ってくれているのだろう。
こういう人は、非常に珍しい。この国において、顔の痣は差別の対象だ。だから、ケルド殿下のような人と会えると、嬉しくなる。自分の存在が認められる、そんな気がするから。
「兄も……そういう偏見を持っている人だったのですね」
「ええ……知らなかったのですか?」
「情けないことに、そうなのです。どうやら、僕は兄のことをよく理解していなかったようですね」
ケルド殿下は、自嘲気味な笑みを浮かべた。兄のことをよく知らなかった自分を、情けなく思っているのだろうか。
もしかしたら、王族の兄弟は結びつきが薄いのかもしれない。一応、次の国王を争う中であるから、そこまで仲良くできないのだろうか。
「兄は……あなたにどのようなことを? ああ、言いたくないなら、言わなくても構いませんが……」
「……彼は、私のことを醜い傷ありと言ってきました。ずっと、ひどいことを言われて……」
「そうですか……申し訳ありません」
「ケルド殿下が、悪い訳ではありませんよ」
「それでも、謝らせてください」
私の話を聞いて、ケルド殿下は明らかに落ち込んでいた。
身内がひどいことを言ったことは、彼の中では相当重いことであるようだ。
しかし私は、ケルド殿下に謝って欲しいとは思っていない。身内が何をしようが、それは個人的なことである。彼が謝る必要などないのだ。
むしろ、謝られたらどうしたらいいかわからなくなる。彼は悪くないのだから、私の心はちっとも晴れない。逆に、曇ってしまうくらいである。
「本当に気にしないでください。こういうことには、慣れていますから」
「慣れているなんて、そんな……」
「本当に慣れていますよ。もう辛いとか、悲しいとか、そういうことは思いません。何度も言われていると、案外聞き流せるようになるんですよ?」
私は、ケルド殿下に嘘をついた。
本当は、罵倒されると悲しいし辛い。何度経験しても、慣れることなんてない。
だけど、目の前の優しい人の罪悪感を払うには、こうやって笑顔を見せることしかないだろう。私は大丈夫、そう思わせることが、今できる最善の手であるはずだ。
「……すみませんでした」
「ケルド殿下? だから、謝るのは――」
「そうではありません。これは、兄の行いに対する謝罪ではないのです。僕の行いに対する謝罪です」
「え?」
尚も謝ってくるケルド殿下だったが、それは先程の謝罪とは異なるものらしい。
彼の表情は、本当に先程までとは違う。彼は、何かを決意したかのような真剣な顔をしているのだ。
「僕は今まで、何もしてきませんでした。あなたを差別するような人々に嫌悪感を覚えつつも、その認識を変えるために動くだとか、そういう行いをしてこなかったのです」
「それは……」
「そんな僕の行いを、謝罪します。そして、誓います。あなたのような人々に対する差別をなくしてみせると」
「ケルド殿下……」
ケルド殿下の言葉に、私は驚いていた。
彼が謝ったことは、当たり前のことだ。私を差別している人が嫌でも、何かしようなどとは思わない。精々、その場で注意するくらいだろう。
私は、それですらありがたいと思っている。それなのに、彼はもっと大きなことを成し遂げようとしているのだ。
心の奥から、熱いものが湧き出てくる。彼の思いが伝わってきて、今まで体験したことがないような気持ちが私の心を奮わせてくる。
「お願いしてもいいんですか……?」
「……はい」
「簡単なことでは……ありませんよ?」
「それでも、僕はやります。もう、あなたのように苦しんでいる人から、目をそらしません」
私は、ケルド殿下の言葉に笑顔になった。先程の作り笑いとは違う本当の笑顔だ。
きっと、彼なら成し遂げてくる。この国を変えてくれる。私は、そんな期待を抱くのだった。
◇◇◇
私はケルド殿下との話を終えて、ストライム侯爵家の屋敷に戻って来ていた。
まず私は、お父様に婚約破棄されたことを伝えた。そのことを聞いて、彼の顔はかなり歪んでいる。
「なんということだ……役立たずが!」
「……」
「出来損ないめ……お前が真っ当に生まれていれば、こんなことにはならなかったものを……」
お父様は、私のことを早速罵倒してきた。
こうなることは、わかっていた。婚約破棄されるとこうなるから、嫌だったのだ。
だが、もう仕方ない。彼の罵倒は、なんとか聞き流しておこう。
「お父様の言う通りだわ」
「本当、なんて役に立たない屑なのかしら」
「え?」
そう思っていた私の耳に、女性の声が聞こえてきた。
その直後、部屋の戸が開き、中に見知った二人が入って来る。
彼女達は、私の姉だ。イルシャナお姉様とウェリリアお姉様。二人とも、私のことを嫌っている姉である。
「話は全て聞いていたわよ。王子に婚約破棄されるなんて、流石は醜い傷ありね」
「本当に、役に立たないわね。なんのために生まれてきたのかしら」
「……」
勝手に入ってきた二人を、お父様は咎めない。私のことを責める二人を、止めるつもりはないのだろう。
これは、面倒なことになった。今から、私は三人に罵倒される。これは、結構辛いものなのだ。
幸い、今の私には希望があるため、以前よりは強気でいられる。だが、辛く悲しいのは多分、あまり変わらないだろう。
「無能な妹を持って、私達も嫌になるわ」
「本当にそうね。どこに行っても、醜い傷ありの妹がいると言われて、私達も気苦労が絶えないのよ」
「ふん、出来損ないがいることで、我がストライム家の被害は甚大だ」
三人の罵倒を、私はなんとかして聞き流そうとした。耳から入ってくる声に対して、何も考えないことを意識する。
しかし、それでも心が痛い。どうして、私はここまで言われなければならないのだろうか。
「みっともない……」
「え?」
そんなことを考えながら、私は三人の言葉を聞いていた。
だが、そこで新たな声が聞こえてきた。その声により、私の思考は変わる。私のことを助けてくれる人達が来てくれたのだ。
「あ、あなたは……」
「寄ってたかって、一人の少女を責める。これが、天下のストライム侯爵家のやることですの?」
「……ああ、やっぱり、こうなっていたか」
「あら? 遅かったですわね?」
部屋の中に、二人の人物が入ってきた。
一人は、私の兄であるアレイド。そして、もう一人はその婚約者であるセリーヌ・オルフェニーだ。
二人は、数少ない私の味方である。どうやら、騒ぎを聞きつけて、来てくれたようだ。それは、私にとってとても嬉しいことだった。
「セリーヌ様、これはストライム家の問題……」
「父上、それなら彼女も関係あるはずですよ? 彼女は俺の婚約者、充分な関係者ではありませんか」
「アレイド、お前は誰に口を聞いている?」
「俺は、事実を言っているだけに過ぎません」
お父様にとって、まずいのはセリーヌ様がいたことである。
彼女は、オルフェニー侯爵家の令嬢だ。そんな彼女に、娘を責められている姿を見られるのはまずいのだろう。
「セリーヌ様、急に現れて、私達の批判だなんて、何様のつもりですか?」
「あら? 私の言葉に何か反論がありまして?」
「今回の件は、彼女が婚約破棄されたのが悪いのです。それを責めることに正当性がないとでもいうのでしょうか?」
「正当性なんてありませんわ。彼女は婚約破棄されただけに過ぎませんもの。勝手に婚約破棄されて責められる道理がどこにあるというのでしょう?」
イルシャナお姉様は、セリーヌ様に食い下がった。
二人のお姉様は、彼女に対して敵意を持っている。私を守る彼女のことは、やはり気にいらないのかもしれない。
しかし、そんなイルシャナお姉様の言葉にセリーヌ様は怯まなかった。堂々と反論して、一切退かない彼女は、とても心強い。
「あなたは、何もわかっていませんね。この妹のせいで、私達がどれだけ迷惑を被ったか……色々なことを言われて、とても苦労したのですよ」
「あなたが今やっていることで、彼女は苦労していますのよ。まあ、私に言わせれば、あなた方は軟弱ですわ。人に責められたから他人を責める。みっともないとしかいいようがありませんわね」
ウェリリアお姉様の言葉にも、セリーヌ様は堂々と言い返した。
何を言っても、彼女には効かない。彼女は、強い令嬢なのである。
「父上、ここは一つこの場を収めませんか?」
「何?」
「彼女をこれ以上責めるのはやめにしていただきたい。セリーヌの言う通り、彼女は婚約破棄された身です。今は悲しみも深い。そんな彼女には、休息が必要だ」
「……良かろう」
お兄様の提案を、お父様は受け入れた。
どうやら、これ以上私を責めることに利益がないと思ったようだ。
このままでは、お姉様達がセリーヌ様に余計なことを言うかもしれない。そういう思考が働いたのだろう。
「さて、それでは行きましょうか?」
「あ、はい……」
私は、セリーヌ様の後についていく。
お父様とお姉様達から解放された、その事実に私は安堵する。
それは紛れもなく、二人のお陰だ。まずは、そのことに感謝しなければならないだろう。
「お兄様、セリーヌ様、ありがとうございます、助けていただいて」
「いや、気にしなくていいさ」
「ええ、別にこのくらいのことはどうってことありませんわ」
私のお礼に対して、二人はそう言ってくれた。
お兄様もセリーヌ様も、とても優しい。いつも助けてくれるし、その存在は本当にありがたい。
「ただ、あなたももう少し頑張った方がいいと思いますわ」
「え? 頑張る?」
「あのようなことを言われて、何も言わないなんていけませんわ。言い返すくらいの度胸を持つべきですわね」
「あ、えっと……」
セリーヌ様の言葉に、私は少し怯んでしまった。
彼女の言っていることは、よくわかる。ああいう時に、強く言い返せる度胸があれば、本当はいいのだろう。
だが、私にはそんなものはない。罵倒されると、縮こまって何も言えなくなってしまう。セリーヌ様のように、強くなれれば良いのだが。
「セリーヌ、エルーナにあまり無理を……」
「あなたが甘いのもいけませんわね。他の家族にもっと強く言えるようにならなければなりませんわよ。妹を守りたいと思っているなら、そうするべきでしょう?」
「それは……耳が痛いな」
セリーヌ様は、強い人である。私よりも、ともすればお兄様よりも、ずっと度胸がある人だ。
そんな人になりたい。それは、今までも思ってきたことだ。だが、今は今までとは少し違う。ケルド殿下の言葉を聞いて、私は以前よりも強く思っているのだ。
今までは、ただ憧れるだけだった。だけど、今は実現させたいと思っている。だから、セリーヌ様に質問してみることにしよう。
「セリーヌ様……どうすれば、セリーヌ様のように強くなれるのでしょうか?」
「私のように? あら? 憧れてくれていますの?」
「はい……」
「嬉しいですわね……おっと、話がそれてしまいましたわね。強くなるためには、ですか? まあ、そこまで難しいことではありませんわ」
セリーヌ様は、少し嬉しそうにしていた。私が憧れているという事実に、喜んでくれているようだ。
憧れているだけで、彼女が喜んでくれるなら嬉しい。だが、話の本題はそこではないので、今は私も喜んでいる場合ではないだろう。もっと真剣に話を聞くべきだ。
「こんな奴に負けてたまるかと思えばいいのですわ」
「え? どういうことですか?」
「例えば、自分を罵倒してくる人なんて気に入らないでしょう。そんな人がいい気になっているなんて、耐えられないはずですわ。だから、思うのです。こんな奴のいいようにしたくはないと」
「えっと……そうすれば、言い返せるのでしょうか?」
「ええ、言い返せますわ」
セリーヌ様の言葉を、私はあまり理解できなかった。
言っていることが、わからない訳ではない。ただ、それだけで行動をできるとは思えなかった。それはセリーヌ様だからできることだと、そう思ってしまう。
だが、それでは駄目だ。強くなるために、まずは彼女の言葉に従うべきだろう。私は、新たに決意を固めるのだった。
◇◇◇
私は、ストライム侯爵家の屋敷で過ごしていた。
現在、私は特にやることがない。そのため、ぼんやりとした日々を送っている。
意外なことに、お父様もお姉様もそんな私に特に何も言ってこなかった。恐らく、お兄様やセリーヌ様の言葉が効いていたのだろう。
そんな風に過ごしていた私の元に、ある時ケルド殿下が訪ねて来た。
それはなんとも突然の訪問であり、私は大いに驚くことになった。
ただ同時に、期待もしていた。ケルド殿下が私の元を訪ねてきたということは、彼の決意に対する何らかの成果が得られたということだと思ったからだ。
「……」
ただケルド殿下と対面して、彼の表情を見て、私は少しだけ不安になった。
ケルド殿下はどう見ても、嬉しそうな顔をしていない。むしろ、その表情は険しかった。少なくとも、いい知らせがあるという訳ではなさそうだ。
「えっと、何があったんですか?」
「あなたのような人々に対する差別をなくすように、僕は調べものをしていました。その中で、とある事実を知ったので、それをあなたに伝えに来たのです」
「とある事実?」
ケルド殿下の言葉に、私はさらに不安になった。
まさか、こういう痣がある人達がどのように差別されていたかなどがわかったのだろうか。それが予想以上に凄惨で、彼はこんな顔をしている。そういうことなのかもしれない。
「かつて、このカルヴィニアス王国ができる前、人々は迫りくる闇と戦っていたそうです」
「え?」
「その迫りくる闇に、唯一対抗できる者がいました。聖なる力を持つ者です。人々は、その人物を聖者、または聖女と呼び、崇め讃えたようです」
「あ、はい……」
ケルド殿下は、急に昔話を始めた。
どうしてそんな話をするのだろう。そう思ったが、ケルド殿下が無駄な話をするとは思えない。よくわからないが、何か今後のことに関連することなのだろう。
「その聖者には、決まってある共通点があったのです」
「共通点?」
「顔に大きな痣があったのです。その痣は、聖痕と呼ばれて、神の使者の証であると考えられたそうです」
「それって……」
ケルド殿下の言葉に、私は自らの顔に手を当てた。
聖痕と呼ばれる大きな痣。まさか私の顔にあるこの痣も、その聖痕だとでもいうのだろうか。
「ケルド様……」
「ええ、僕はあなたの顔にあるそれを、聖痕だと考えています」
「これが……聖痕?」
ケルド殿下の話は、そう簡単に受け入れられるものではなかった。
この痣が、聖なる者の証だったなど信じられない。醜い傷ありと呼ばれる要因であったそれが、選ばれし者を示すなんて、そんなことが本当にあるのだろうか。
「本当なんですか? 何かの間違いということは?」
「資料として残っている痣と、あなたの痣は一致しています。それが聖痕と呼ばれていたものであることは、まず間違いないでしょう」
「でも、私には聖なる力なんてありませんよ?」
「その力が、まだ発現していないだけでしょう。資料によると、力はいつ目覚めるかわからないそうです。生まれてすぐ使いこなせる人もいれば、しばらく目覚めない人もいたようです」
ケルド殿下の言葉に、私はだんだんと自分の痣が聖痕であることを受け入れられてきた。
資料にある痣と一致、聖なる力はいつ目覚めるかわからない。それらのことを考慮すれば、私が聖なる者であるということも真実なのかもしれない。
私が、信じたいと思ったこともあるだろう。この忌々しい証が、聖なる者の証だった。そうだとしたら、光栄なことである。だから、私はケルド殿下の説を信じたいのだ。
「正直言って、こんなことになるとは思っていませんでした。痣などについて正しく認識するためにも、調査しようと思っていただけだったのですが、驚くべき事実が判明してしまって……」
「そうですね……確かに、驚くべきことだと思います」
話を聞いて、私はケルド殿下の表情を理解した。
彼は、単に調べ物をしただけだった。それなのに、こういった事実を見つけて、かなり困惑しているのだろう。
「……あなたに、王城に来てもらいたい」
「王城に?」
「ええ、父上から話があるそうです。ああ、父上には事前に伝えてさせてもらいました。重要なことだと思ったので……」
「国王様からの呼び出しですか……わかりました、もちろん応じます」
国王様から呼び出されるなど、早々あることではない。やはりこの聖痕は、何か重要なものなのだろうか。
もちろん、その呼び出しには応じるつもりだ。断る理由はないし、そもそもこれは、何よりも優先しなければならないことである。
◇◇◇
自身の顔に刻まれている痣が、聖なる者の証だったという話は、まだ完全に受け入れらていない。
忌々しく、人々から意味嫌われる原因でもあるこの痣が、本当にそんなもなのだろうか。何かの間違いではないかという気持ちもある。
「あら……」
「うっ……」
「あっ……」
そんなことを考えながら廊下を歩いている私は、とある人達と顔を合わせた。
イルシャナお姉様とウェリリアお姉様、私を虐めてくるお姉様達だ。この二人と会うと、ろくなことがない。大抵の場合、何かしらの罵倒をされる。
「……」
「……」
しかし、二人は私に何も言ってこない。何故か私の顔を見つめて、微妙な顔をしている。
その意図が、よくわからなかった。私をどのように罵倒するべきか、考えてくるということなのだろうか。
「……あ、あなたのことを今まで少し勘違いしていたようね」
「え、ええ、少々、私達は変なことを言ってしまったかもしれないわ」
「えっ……?」
二人の言葉に、私は困惑していた。
彼女達は、一体何を言っているのだろうか。急にこんなことを言ってくる意味が、まったくわからない。
どういう風の吹き回しなのだろうか。彼女達がこのように態度を変えるなど、絶対におかしいことである。
「……まさか」
そこで、私はあることを思いついた。
もしかして、彼女達は私とケルド殿下の話を聞いていたのではないだろうか。あの話を盗み聞きしていたとしたら、この態度も頷ける。私が選ばれし者だったから、態度を改めなければならない。そう思ったのではないだろうか。
「聞いていたのですか? 私とケルド殿下の話を?」
「……」
「……」
「だから、態度を改めなければならない。そう思ったということなのでしょうか?」
「……」
「……」
私の質問に、二人は答えなかった。答えなかったということは、これが図星だったと判断してもいいということだろう。
なんという人達なのだろうか。盗み聞きしていたことも、そもそもどうかとは思うが、その話を聞いて、私に対する態度を一変させるなど信じられない。
まさか、それで許されると思っているのだろうか。今まで、あれだけひどいことをしてきたのに。
そもそも、二人は曖昧な態度で、謝罪の言葉一つ口にしていない。それも、私が嫌な気分になっている理由の一端である。
私は、拳を握りしめていた。二人に対する怒りが、私にそうさせたのだろう。
私は、この怒りの感情をどうすればいいのだろうか。
「と、とにかく、私達はあなたへの態度を改めることにするわ」
「え、ええ、そういうことよ」
「そういうこと……?」
二人の態度に、私はかなり頭にきていた。
今までの私なら、それだけだったかもしれない。だが、こういう時にどうすればいいのかは、セリーヌ様から言われて理解している。
こんな人たちに、負けてたまるか。そういう気持ちを持つのだ。私を虐めて、これで許される彼女達に負けてはいけない。
「ふざけないでください。それで、あなた達の今までの行いがなくなると思っているんですか?」
「なっ……」
「あなた……」
私の言葉に、二人は驚いていた。恐らく、私が反論してくると思っていなかったのだろう。
今までの私は、こういう時に何も言えなかった。その認識は、彼女達にもあったのだろう。
「……」
「……こっちが、下に出ているからといって、いい気になっているのかしら?」
「ウェリリア? あなた……」
驚きながらも、イルシャナお姉様は何も言わなかった。
だが、ウェリリアお姉様は反論してきた。どうやら、私の態度に我慢できなくなったようである。
「聖痕があるから、私達よりも上になったつもり? あなたなんて、例え聖痕があっても屑には変わりないのよ!」
「お姉様達は、いつもそうやって私のことを罵倒してきました。そうやって、人を馬鹿にするあなた達は、最低です!」
「最低? 私達が最低ですって? それなら、今まであなたを否定してきた全ての者が最低だったというの? あなたみたいな傷ありは、最低の屑だったのよ! それを批判した私達が悪だとでもいうの? 私達は、当然のことをしたまでよ!」
「私を批判していた人達は、皆最低の人達でした。いい人なんて、一人もいませんでした。当然のことだったなんて、自分達の行いを正当化しないでください!」
私は、ウェリリアお姉様に反論した。
深い考えなどなかった。ただ、負けたくない。その一心で、私は言葉を放ったのだ。
今までよりも、私の心は晴れやかだった。何も言い返さないよりも、対抗する方がすっきりすることを、私は今初めて理解した。
「ウェリリア、もうやめなさい」
「え? お姉様?」
「え?」
そこで、今まで何も言わなかったイルシャナお姉様が口を開いた。
その発言が、ウェリリアお姉様と止める発言だったため、私も言われた彼女自身もかなり驚いていた。
基本的に、イルシャナお姉様はウェリリアお姉様と同じ陣営である。そんな彼女なら、ウェリリアお姉様に話を合わせると思っていた。だから、彼女の言葉が意外だったのである。
「まさか、あなたが聖痕などと呼ばれるものを有する選ばれし者だったなんてね。本当に、あなたは恵まれているわ」
「恵まれている?」
「気づいていないのね……そういう所が、嫌いなのよ」
イルシャナお姉様は、私に対して冷静にそう言ってきた。
今までの彼女から考えると、これは珍しいことである。もっと不快な感情を押し出してくるのが、いつもの彼女なのだが、今日は違うらしい。
しかし、私が恵まれているとはどういうことだろうか。確かに、聖痕が刻まれていることは恵まれているのかもしれないが、それまで私は恵まれてなどいなかったはずである。
「その顔の痣で、あなたは苦労したと思っているのよね? でも、本当にそうなの? あなたはお兄様やお母様に守られていたじゃない」
「それは……」
「お兄様もお母様も、あなたばかり……それなのに、あなたは自分を不幸だと思って、不幸だと思い込んで……そういう態度が、気に入らなかったのよ」
イルシャナお姉様の言葉は、少しだけ心に響いてきた。
確かに、私はお兄様やお母様から守られていた。敵が多い私を、二人が特別気遣ってくれていたことは間違いない。
そのことで、お姉様達は嫉妬していた。その感情が、理解できない訳ではない。
「……それでも、例えそういう理由があったとしても、私に攻撃していい理由にはならないはずです」
「なっ……」
「勝手に嫉妬して、勝手に憎しんで、それを正当であるかのように言わないでください。あなた達がやったことは、どんな理由があっても最低のことです」
しかし、私はそれでも言い返した。
どんな理由があっても、私は自分への行いを許せない。彼女が言っているのは、勝手な理由だ。それで、やったことが正当化される訳ではない。
「……まあ、いいわ。どうせ、あなたには理解できないもの……行くわよ。ウェリリア」
「は、はい……」
それだけ言って、二人は去っていった。
結局、彼女達と私達は平行線なのだろう。そう簡単に、分かり合うことはできない。長年の行いが、私達の間に決定的な溝を作っているのだ。
そう思いながら私は、その場に立ち尽くしていた。
二人が去ってから、すごく疲れが出てきた。強気の発言をすると、私は疲れてしまうようだ。
「ふふ、よくやりましたわね」
「え?」
そんな私の元に、見知った二人が現れた。
お兄様とセリーヌ様が、曲がり角からやって来たのだ。
「お兄様? セリーヌ様? もしかして……」
「ええ、一部始終見せてもらいましたわ」
「出て行こうかと思ったんだが、セリーヌに止められてね」
「当り前ですわ。あそこで出て行くと彼女の成長に繋がりませんもの」
どうやら、二人は物陰からずっと成り行きを見守ってくれていたらしい。
少しは成長した所を見せられただろうか。それなら嬉しいのだが。
「見事でしたわ。あなたも、強くなれたということでしょうね」
「そうなんでしょうか?」
「ええ、間違いありませんわ」
セリーヌ様の言葉に、私は喜んでいた。
憧れの彼女から褒められるのは、とても嬉しいものだ。思わず笑顔を浮かべてしまう。
「でも、俺は少し複雑な気持ちだな……二人が、あんなことを思っていたなんて」
「あら? そうですの?」
「なんだか、申し訳ないというか……責任の一端は、俺にもあるんだなって」
そこで、お兄様が悲しそうな顔で呟いた。
お姉様達の言葉が、突き刺さったようだ。お兄様は、責任感が強い人だから。
「あなたが何かを思う必要はありませんわ。あんなのは、彼女達の問題ですもの」
「え? いや、でも……」
「私はそうは思いませんが、彼女達はこの子のことを悲劇のヒロインぶっているとでも言いたげでしたわ。でも、それは彼女達にもそのまま跳ね返りますわ」
そんなお兄様に、セリーヌ様が言葉を放った。
お姉様達のことで彼が悩むべきではないと、彼女は思っているようだ。
「そうなのか?」
「彼女達は、兄や母に愛されなかったと酔っているといえますわ。そうやって、自分のしたことを正当化している。そうとも考えられるでしょう?」
「それは……そうかもしれないが」
「要するに、彼女達の精神は元々腐っていましたのよ。もっと、色々とやり方はあったはずですもの。この子に当たるという手段を取った時点で、彼女達は駄目ですのよ。それに対して、あなたに責任があるなど考える必要はありませんわ」
セリーヌ様は、お姉様達に問題があったと思っているようだ。
基本的に、彼女は強い。だからこそ、個々に責任を求めるのだろう。
私は、お姉様達に対して、少し同情できる部分はあると思っている。それは、私が特別に守られていたという自覚があるからかもしれない。
もちろん、許せないとは思っている。しかし、同情できない訳でもないというのが私の考えだ。
「それでも、俺は彼女達に対して責任を感じるよ」
「そうですか。あなたは、なんでも背負いたがりますわね?」
「性分なんでね」
お兄様も、私と同じような考えであるようだ。いや、彼は私よりもずっと彼女達に同情しているかもしれない。
結局、お姉様達に対する感情は、個々によって違うのだろう。これに関しては、個人で結論を出すしかないのかもしれない。
◇◇◇
私は、王城の玉座の間に来ていた。
目の前には、この国の国王様がいる。彼が、私を呼び出した張本人だ。
国王様は、基本的には温和な人である。優しい王として国民からは認識されており、私も概ね同じ認識だ。
少なくとも国王様は、私に対して差別的な視線を向けてきたことはない。民からの評価も合わせて、本当に良い人だと私は思っている。
「さて、エルーナよ。よくぞ来てくれた」
「は、はい……」
「お主をここに呼んだのは他でもない。お主のその顔に刻まれている痣が、聖痕であるということを聞いたからだ」
国王様は、興味深そうに私の痣を見つめていた。
これが本当に聖痕であるかどうか、それを確かめているということだろうか。国王様には、それがわかるのかもしれない。
「正直言って、それが聖痕であるかどうかということは、わしにはよくわからん」
「え?」
国王様は、苦笑いを浮かべて首を横に振った。
それに私は少し驚いたが、よく考えてみれば当然だ。それなら今まで会った時に、指摘しているだろうから。
もちろん、ケルド殿下が見つけた文献などに目を通してはいるのだろうが、だからといって判別ができるという訳でもないはずだ。
「文書などから考えると、お主が聖なる力を有する者であるという可能性は高い。だが、それだけで判断できるかと言われたら、少し微妙な所だ」
「そ、そうですよね……」
「そこで、お主にはその力を証明してもらいたい。聖なる力を行使してみせて欲しいのだ」
「行使ですか……?」
国王様の言葉に、私は少し焦った。
そんなことを言われても、私は聖なる力を使うことができないからだ。
その力が自分に宿っているかどうかなんて、正直わからない。そんな力をどうやって使えばいいかなど、わかるはずはないのである。
「無論、今すぐにとは言わない。少し時間を与えよう。一か月後、またここに来てもらいたい」
「一か月……わかりました。努力してみます」
「うむ、期待しているぞ?」
国王様の言葉に、私は少し安心していた。
だが、直後に、そこまで事態が変わっていないことに気づいた。たった一か月で、聖なる力を修得することなどできるものだろうか。正直、不安である。
◇◇◇
聖なる力というものは、万物を癒す力を持っているらしい。
ケルド殿下から文書を借りて、私は自身の力の練習をしていた。とりあえず、庭の木をナイフで傷つけて、その傷を治せるか試している。
だが、まったくわからない。聖なる力とは、どうやって使うのだろうか。足がかりが掴めず、ただ時間が過ぎるだけである。
「聖なる力……そんなものが、私の身に宿っているの?」
私は自分の掌を見つめながら、そう呟いていた。
本当に私の体に特別な力など宿っているのだろうか。いや仮に宿っているとしても、認識できないものならば、それはないものと同じだ。
結局私は、聖なる力というものを受け止め切れていなかった。それを認識するためには、どうすれば良いものなのだろうか。
「苦戦しているようですわね」
「あっ……」
そんな私に、話しかけてくる人達がいた。いつも通り、お兄様とセリーヌ様である。
「エルーナ、調子はどうだ。なんて、聞くまでもないことだな……聖なる力、か。そんなもの、どうやって使うんだろうな?」
「それを、彼女は今悩んでいますのよ?」
「いや、そうだよな。俺が別にエルーナに聞いた訳じゃないんだ。ただ純粋に、わからないことが多すぎるんじゃないかと思ってね」
お兄様は、苦笑いを浮かべていた。私が今やっていることは、お兄様から見ても無謀なことということだろうか。
やはり、こんな雲をつかむような作業をしていても、無駄なのかもしれない。いっそのこと、諦めてしまった方がいいのではなかろうか。
別に、私に聖なる力があるかどうかなんて、それ程重要なことではない。
今の生活に、不満がない訳ではない。だが、このような意味がわからない作業をしてまで、変えたいとは思えなかった。
これは、ケルド殿下のことがあったからそう思うのかもしれない。
彼は、私の痣が聖痕だとわかった後も、差別をなくすための活動をしている。そういう人がいるから、私は自分が特別な存在になることに対して、そこまでやる気が出ないのだ。
「お兄様、セリーヌ様、多分、このまま練習しても、私は聖なる力を認識できないと思います」
「あら?」
「そうなのか?」
「実を言うと、あまりやる気が出ていないんです。なんというか、今の状況も、そんなに悪いものではないと思っているので……」
「なるほど、まあ、エルーナがそう思っているなら――」
「本当にそれでいいんですの?」
「え?」
「セリーヌ?」
私の発言に対して、セリーヌ様は少し表情を変えた。
その表情は、少し怖い。セリーヌ様は、怒っているように見える。
「あなたは、わかっていませんわ。あなたの身に、聖なる力が宿っているというなら、特別な存在であるというなら、どれだけ大きなことが成し遂げられると思っていますの?」
「大きなこと?」
「あなたは今、ケルド殿下が働きかけているから、どうでもいいと思っているのかもしれません。ですが、あなたが地位を得れば、それを手助けできますわ。あなたは、自分のような境遇にある者達を助けたいとは思いませんの?」
「それは……」
セリーヌ様の言葉に、私はめまいがした。
胸が痛い。自分の消極的で、他人任せな考えが、どうしようもなく嫌になった。
セリーヌ様の言う通りだ。私が地位を得れば、成し遂げられることがあるかもしれない。同じような境遇の人達を助けるためにも、私は地位を得るべきなのだ。
「セリーヌ様、申し訳ありませんでした。私、何という考え方を……お陰で、目が覚めました」
「わかればいいのですわ。あなたは、前に進みなさい。その力を証明して、この国を変えるのですわ」
「はい……」
セリーヌ様の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
本当に、彼女はどこまでも私の憧れだ。彼女のような貴族になりたいと、何度思ったことだろうか。
「あなたに必要だったのは、絶対に成功させるという覚悟ですわ。でも、まだ足りませんわね。大義を抱いているあなたでも、治すのがその木の傷というのでは、完全に真剣にはなれないはずですわ」
「え?」
そこで、セリーヌ様は木の傍に置いていたナイフを手に取った。
その言葉から、彼女がどのような行動をとるかは予測できる。予測できたが、まさかそんなことはしないだろうという思考が、声を出すことを躊躇わせた。その一瞬の考えが、いけなかったのだ。
「ふっ!」
「なっ!」
「セリーヌ様!」
セリーヌ様は、自らの肩にナイフを突き刺した。
その服が、その肌が、その肉が貫かれて、彼女の肩から嫌なものが見えてくる。
「セリーヌ! 何をっ!」
「今から、このナイフを引き抜きますわ。当然、大量の血が流れてくるでしょう。最悪の場合、私は死にますわ」
「誰か! 医者を呼んでくれ! 誰か!」
「死ななくても、傷は残りますわね。もしかしたら、後遺症もあるかもしれません。でも、あなたが治してくれたら、話は別ですわ」
「私が……」
セリーヌ様は、少し苦しそうにしながら、私に話しかけてきた。
私に聖なる力が宿っているのかどうか、それは定かではないことだ。
それなのに、彼女は私を信じている。しかも、それはその力があることだけではない。私がその力を使えるということも信じてくれているのだ。
「行きますわよ? 三……」
そんな彼女に、私は報いなければならない。
そう思った瞬間、体が自然と構えを取った。知識ではない。これは、本能だ。この力の使い方を、私の体は知っている。
「二……」
両手を前に出して、その手の平を傷口に向ける。
私の心に、最早迷いはない。絶対に治す。その考えしか、今の私の中にはなかった。
「一……!」
セリーヌ様は、ゆっくりとそのナイフを引き抜いた。
当然のことながら、その体から血が流れていく。だが、私はそれを許さない。その血は流させない。私の力で、その傷口は封じ込めるのだ。
「はああああああああっ!」
「これは……」
叫びをあげながら、私はその力を行使した。
セリーヌ様の傷口が塞がっていくのがわかる。これが、聖なる力であるということも同時に理解した。
私は、掴んだのだ。私の体に宿っていた聖なる力を。
「……セリーヌ様、どうですか?」
「……完全に治っていますわ。ナイフを突き刺したなんて、嘘みたいですわね」
私は、セリーヌ様の傷口を治した。
その確信はあったものの、彼女の言葉に私はひどく安心していた。万が一、少しでも傷が残っていたら、とても申し訳なかったからである。
「……」
私は、試しに先程傷つけた木に向かっても力を使ってみる。
すると、ゆっくりとその傷が癒えていく。何事もなかったかのように、木は元の姿に戻った。
それを見届けてから、私は再度セリーヌ様に目を向ける。彼女は自分の肩を触っていた。恐らく、その調子を確かめているのだろう。
その傍らには、お兄様がいた。セリーヌ様の顔と肩を交互に見ながら、彼女のことを心配しているようだった。
「セリーヌ、なんて無茶を……」
「治ったのだから、別にいいでしょう?」
「いい訳あるか。もし、何かあったら、どうするんだ……」
「彼女ならできると思っていましたわ。だから、別に何も心配していませんでしたわ」
「……ありがとうございます、セリーヌ様」
「いえ、感謝されるようなことではありませんわ。というか、あなたに対しては無茶な要求でしたわね。申し訳ありませんでしたわ」
セリーヌ様は、いつもと変わらない笑顔を私に見せてくれた。
やはり、彼女はすごい。あんなことは、私を信じていたとしても普通の人にはできない。勇気に溢れた彼女だからこそ、成し遂げられたことなのだ。
こんな風に、私もならなければならない。堂々として凛とした貴族に、私はなるのだ。
「さて、何はともあれ、これであなたの力は証明できましたわね」
「はい」
「言うまでもないとは思っていますわ。でも、念のため言わせてもらいます。その力を使って、大義を成し遂げなさい」
「はい、わかっています」
この聖なる力は、私の武器である。この力を使って、私は地位を得るのだ。
地位が得られれば、様々なことに働きかけられる。この国を変えることも、不可能ではないだろう。
ケルド殿下は、私のような人間のために動いてくれている。地位が得られれば、そんな彼の手助けをすることもできるだろう。
「なんだか、すごいな……まさか、本当にエルーナが聖なる力を持っているなんて……」
「あら? 信じていませんでしたの?」
「え? いや、そういう訳ではないけど……」
お兄様は、色々と衝撃を受けているようだ。
この一瞬で、色々なことがあった。そのため、かなり混乱しているだろう。
そんなお兄様に対して、セリーヌ様は笑顔を向ける。このように笑い合える関係も、私にとっては憧れだ。
◇◇◇
私は、王城に来ていた。聖なる力を使えるようになったという報告をしたら、是非見せて欲しいと呼ばれたのだ。
少し時間があったので、私は王城の廊下を歩いていた。目的地は、ベランダである。少し、風に当たりたくなったのだ。
「あっ……」
「おや……」
その道中、私は見知った人に出会った。
第四王子のケルド殿下が、私の目の前に現れたのだ。
「エルーナ嬢、お久し振りですね」
「お久し振りです、ケルド殿下」
「聖なる力を使えるようになったそうですね。おめでとうございます。これで、あなたはきっと地位を与えられるでしょう。そうすれば、あなたへの差別は消えていくはずです」
ケルド殿下は、笑顔で私にそう言ってくれた。
その言葉は、ありがたいものだ。彼は、本当に私のことを思ってくれている。いや、私だけではないだろう。差別される全ての人に、彼の思いは向けられているのだ。
そんな立派な彼とともに戦いたい。私は、今そう思っている。その思いを、はっきりと告げておくべきだろう。
「ありがとうございます……ケルド殿下、もし私に地位が与えられたら、あなたの取り組みを手伝わせてください」
「僕の取り組みを?」
「ええ、私は、私のような境遇にあった者を救いたいと思っています。だから、あなたと力を合わせたいのです。目的は同じなのですから、その方がいいはずでしょう?」
「それは……ありがたいことですが、本当にいいんですか?」
「ええ、もちろんです」
ケルド殿下の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
すると、彼は笑顔を見せてくれる。喜んでもらえたなら、私も嬉しく思う。
「エルーナ、こんな所にいたのか?」
「え?」
「なっ……」
そんな私の耳に、とある人物の声が聞こえてきた。
その声は、できれば聞きたくなかった声だ。第三王子のグラムド殿下。この王城において、最も会いたくなかった人が、私の前に現れたのである。
何故かわからないが、彼は笑っていた。こんな笑みは、今まで見たことがない。なんだか、少し気味が悪い。一体、グラムド殿下は何を考えているのだろうか。
「私に……何か用ですか?」
「俺はどうやら、お前への評価を誤っていたようだ。お前は、素晴らしい人間だった。それを認めよう」
「……なんですって?」
グラムド殿下の言葉に、私は困惑した。
彼は、何を言っているのだろうか。正直、まったくわからない。彼の言葉は、私の中にまったく入ってこなかった。
「つまり、俺はお前との再婚約を望んでいる。婚約破棄、あれは誤りだった。これからは、お前のことを大切にすると約束しよう」
「グラムド殿下……」
非常に身勝手なその主張が、だんだんと頭の中に入ってきた。
要するに、彼は私が選ばれし者だとわかって、言い寄ってきているのだ。力を持っている私と婚約することは利益になる。そう思っているのだろう。
許せない。素直にそう思った。特別な存在だったから、手の平を返す。それは、私が一番嫌いなことである。
ここは、一度言わせてもらうべきだろう。勇気を出して、彼を糾弾するのだ。
「ふざけるな」
「え?」
「何?」
「勝手なことを言うな。彼女に、あなたなんかは相応しくない」
しかし、声を出したのは私ではなかった。
言葉を放っていたのは、ケルド殿下だ。温厚な彼は、鋭い視線を兄に向けている。その視線からは、確かな怒りが感じられた。
こんな彼は、今まで見たことがない。どうやら優しい彼でも、怒ると結構怖いようだ。
「ケ、ケルド……お前、誰に向かって……」
「彼女を貶めていたあなたが、今更彼女を再婚約できるなどと思うな」
「なっ……」
「あなたは、最低な人間だ。それを認識しろ」
「く、くそっ……」
ケルド殿下の言葉に、グラムド殿下は逃げ出した。
絶対に勝てないと本能が悟ったのだろう。口論だとか議論だとか、そういうものは必要なかった。威圧だけで、グラムド殿下は既に敗北してしまったようである。
それを見て私は、少しいい気味だと、そう思っていた。弟に打ち負かされるなど、プライドの高いグラムド殿下にとっては、かなりの屈辱だっただろうから。
「……申し訳ありません。僕の兄が、あなたに迷惑をかけてしまって」
「ケルド殿下が、謝ることではありません。あれは、彼の問題です」
「いえ、兄のような人間が身内にいることを恥ずかしく思います。彼を作り出し、好きなようにさせていたことを深く謝罪します……本当に、申し訳ありませんでした」
「そんなに謝らないでください。ケルド殿下は、グラムド殿下ではありません。家族のことだからといって、あなたが謝るのはおかしいですよ」
ケルド殿下の謝罪に、私は首を横に振る。
私は、彼からの謝罪など求めてはいない。優しい彼が、あんな人のために頭を下げるなんて、絶対に間違っている。
「……ケルド殿下、一つお願いしたいことがあるんですけど、聞いてもらえますか?」
「お願い? なんですか?」
そこで、私はあることを思いついた。
グラムド殿下のような人は、他にもいるかもしれない。私を婚約することで、甘い汁が吸える。そういう人間は、少なくないだろう。
そんな人達を避ける方法はいくつかある。だが、一番早くて、私が一番納得できる方法は、ただ一つだ。
「私と……婚約してもらえませんか?」
「え?」
「婚約者がいれば、グラムド殿下のような人も近寄ってきません。でも、それは表面的な理由でしかないんです。本当の所、私はあなたのことが……好きなんです」
私の言葉に、ケルド殿下は目を丸めていた。突然の告白だ。その反応も仕方ないだろう。
だが、これが私の今の素直な気持ちである。私のために、私のような人間のために動いてくれる彼に、私は惹かれているのだ。
「……そうでしたか。そう思っていただいたことを、僕は光栄に思います。あなたのような素晴らしい人に思われていたなんて、嬉しいです」
「えっと……」
「僕も、素直な気持ちを返します。あなたのような女性に、僕は傍にいてもらいたいと思っていました。はっきりとそう思ったのは先程からです。あなたは強い。力を得て、それを他者のために使いたいと思うあなたを、僕は素晴らしいと思いました。ただ、それよりも前に……」
ケルド殿下は、そこで言葉を区切った。
私は彼の言葉を待つ。今の言葉でも充分過ぎる程に嬉しいものだったが、それよりももっと嬉しい言葉をかけてもらえそうだったから。
「あなたはずっと、優しい人でした。苦難な環境にありながら、優しさを忘れず、他者を思いやることができるあなたが、僕は素敵だと思っていました……つまり、僕もあなたのことが好きだということですね」
「ケルド殿下……」
ケルド殿下は、私を見て笑ってくれた。
彼は、本当にどこまで優しい人である。好きな人まで、他者を思いやれるかどうかで決めているのだから、それは間違いないだろう。
私がそういう人間なのかどうかは、正直よくわからない。でも、彼がそう思っているのだから、それは受け入れるべきだろう。
「……さて、そろそろ時間ですね?」
「あ、そういえば、そうでしたね。国王様は待たせられませんから、早く行かないと行けません」
「僕も一緒に行きますよ。父上に、色々と言わなければならないことができましたからね」
「助かります。私一人だと、流石に緊張しそうですから……」
色々と話している内に、時間が来ていた。
私は、国王様に聖なる力を見せるためにここに来たのだ。その目的を果たさなければならない。
ただ、当初の目的以上に大切なこともできた。国王様とは、色々と話さなければならない。
「さて、これから、色々とあると思いますが、頑張っていきましょう」
「ええ……」
私は、ケルド殿下とともに歩いていく。
こうして私は、彼とともに王国を変えていく決意を固めるのだった。
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