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冷笑という感染症について

作者: 朝日 橋立

近頃、何事をしていても頭にこのような言葉が浮かびます。

「うおっ、これ面白いと思ってるの? こんなんで情動するなんて」


これを今はきっと冷笑というのでしょう。

どうにもこのために、近頃は色々なことを行う恐怖が付き纏います。


例えば読書なんかもそうです。

「○○を読むなんて恰好つけてる。それを読んでる自分がすごいと思ってそう」

こんなことが脳裏に過って、その瞬間から文章が頭に入ってこなくなります。


また、この冷笑が浮かばずとも、確かに浮かぶ冷笑に類する感情があります。

「これもまた冷笑されるのだろうな」という、何事をも冷笑を中心に考えてしまう。そんな気持ちの悪さです。


この冷笑的思考というべきものは、一体いつ生まれたのかと考えます。

すると、ごく最近であると言えます。

これは一重にインターネットによるものでしょう。


Twitterを見てみます。

ここではどうにも冷笑をよく見てしまう。

その為に、私はこれを思い浮かべてしまうようになったと考えます。


思うに、この冷笑というものは一つの妄執でしょう。

それも忌々しい病に近いものです。


こんなものを思考の片隅に置いている。

これもまたどうしても恥ずかしいことです。

価値のないこんなことに、時間を割くのも気持ちの悪さが拭えません。


単に冷笑することは何ら知性の証明にも、そして意味を生む行為にもなり得ないでしょう。

そもそも知性の証明の価値はありませんし、意味を生むというのも行為のあとについてくるものだと思います。

ですからこそ、この行為は何処までいっても無意味なのだと考えます。


あるいはこれに価値を見出せない自分を、ひどく冷笑するべきでしょうか……。

私にはどうも分からなくって大変なものです。

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