6.権力
街に駆けこんだ私達は、巡回をしていた領主の騎士に助けを求めた。
人攫いのあらましと、我が家の使用人が森のふもとで倒れていることを伝えると、私は張り詰めていた緊張の糸がとけ、ついに意識を失った。
「…………ぅ」
「あっ。お目覚めになったのですね、お嬢様」
知らないメイドが居た。
息苦しさに身じろぐと、見知らぬメイドは私の顔を心配そうに覗き込む。
「ここは……?」
「グントラム公爵家の別荘でございます」
母より年上か、年嵩のメイドが痛ましそうな顔で私が起き上がるのを手伝う。客室のベッドに寝かされていたようだ。
辺りを見回していると次第に頭が冴えてきて、今日起こったことが頭の中で次々に再生された。
「私の侍女は!?」
「ツィレイ家の使用人は騎士団が救出し、その後意識が戻ったと聞いております」
「……良かった」
ほう、と息を吐く。そんな私に公爵家のメイドは目尻に皺を作った。
「マクシミリアン様が倒れたお嬢様を屋敷へ連れて来たのです。伝達があり、お嬢様のご両親も公爵家へ今しがたお越しになりましたよ」
安心させるように、メイドはゆっくり私に話しかける。お礼を言って、かぶっていたシーツから抜け出す。
「お父様たちの元へ行きたいわ」
「旦那様へお嬢様がお目覚めになったことを伝えてきますので、こちらでお待ち下さいませ」
メイドが出て行く。扉を開けた際、入口に立つ人影が見えた。その人の顔に、私はソファに座りたいからクッションを置いて欲しいと伝えた。
「女性のメイドを呼びますので、少々お待ち下さい」
「アナタでいいわ」
入室した使用人は、マクシミリアンに付いて回る従者だった。クッションを置いてくれるかたわら、彼の背に話しかける。
「マクシミリアンの素行について知っていて?」
「……本日は一人で居たいと仰いました。そのため、護衛を付けずにお出かけに」
一人での外出は、子供といえど男子であれば比較的簡単に許可される。
小さな大人である男児は成人男性と同じ存在と見なされるからだ。だが、私が聞きたいのはその事ではなかった。
「マクシミリアンが、虫以外のものにも手にかけられる人間であることを、アナタは知っていて?」
出来るだけ平静を装って尋ねる。
私は彼の振る舞いや、マクシミリアンの言動、人攫いが溺れた時のことを思い出した。
『湖は急に深くなるところがある』
マクシミリアン自身の言葉だ。そして、自身は水に入ったことが無いとも彼は言った。
あの時、人攫いは急に溺れだした。直前まで胸元程度の水深であったにも関わらず。
いわゆる安息角、砂がすべり出さない限界の角度に人間が乗ると地面が崩壊し、マスムーブメント、つまり地すべり的なものが起きる。
急に足がつかなくなり、動揺もあって人攫いは溺れたのだろう。
私はあの瞬間に起こった仕組みを理解することができる。前世で海水浴に行った際、突然底が消えたような経験からも勘がきく。
でも、知識の入手に手間がかかるこの世界で、水浴びもしたことの無い子供が予知できるものだろうか。
溺れた人間に櫂を叩きつける、躊躇のない振る舞い。
決まった運動を繰り返す機械のように、何度も、何度も人体を穿った。
あの瞬間を思い出すと、暗い森に感じる本能的なざわめきが体を伝播する。
「昨年も、湖で人が溺死する事件がございました。内々に処理されましたが、坊ちゃまはその時も湖にいらしたのです」
言葉の硬さに、「そう」と頷いた。なにかの繋がりを想像するのは容易だった。
例えば、去年も悪漢と貴族の少年による似たような事件があったのではないかだとか。『溺死』した死体に硬い物で殴打された痕があったのではないかだとか。
主人の素行を他人に打ち明けた目の前の従者は、下げていた頭を持ち上げ、懇願のように低く囁いた。
「マクシミリアン様は、これまで親しいご友人をお持ちではありませんでした。ですが今はお嬢様を敬愛していらっしゃいます。どうぞ、これからも懇意にして頂けますと、わたくしも幸甚に存じます」
「……ありがとう、行っていいわ」
従者が出て行ってから、ソファに座り、俯いた顔を自分の手のひらで覆った。
しばらくしてノックが聞こえ、顔を上げた。
「ルイーザ! ああ、ルイーザ! 怪我はない!?」
駆けこんで来たのは母だった。ソファに座る私を抱きかかえ、私の顔や腕に触れて傷がないか何度も確かめた。
「どこも痛くありません、お母様」
背に腕を回し囁く。「本当ね?」と母は泣き腫らしながら私をもう一度抱きしめた。
「ルイーザ嬢」
母と同時に部屋に入ってきた人物が私に話しかけた。父の隣に立つ男性だった。
「怖い目にあってつらかったろう」
「お心遣い、感謝いたします」
私は座ったままお辞儀をした。
声をかけてきた男性は、口調や身なりから察するに、おそらくグントラム公爵だった。
「それでだ、今回の事件なんだがね。今日のことはやはり入念に調べ、慎重に扱うべきだとツィレイ伯爵とも話したのだよ。裁決はこの地の領主に任せようとね」
「……グントラム公爵」
父は公爵の言葉に難色を見せた。
公爵は人の良さそうな顔で父の肩を叩く。
「いや、いや。伯爵、考えてもみなさい。青き血が狙われた事件だ。その裏にどんな繋がりがあるか分かったものでは無い。未曾有の大事件の一端かもしれないのだ。ことは慎重に! ルイーザ嬢も、人に話したくなることがあるかもしれないが、みだりに言いふらしてはならないよ」
公爵は政治の演説のように熱を入れて語る。端から端まで物事の成り行きを掌握したがった。
父を見る。顔に感情の起伏はない。ただ、瞳は血走っていた。
母は私を守るように覆いかぶさっている。
つまり、まあ、なんだ。
息子の不祥事は領主に圧力をかけて揉み消すから、お前も黙っていろよということだった。
いかに犯罪者相手でも身内の殺人は外聞が悪いと見える。分かりやすい圧制だ。
実に高位貴族らしい話だ。
反抗したら王国の権力の象徴たる公爵家にねじ伏せられるだろう。
今にも殺されそうになった私の存在は、事件を帳消しにすることで公爵の身分によって軽んじられたのだ。
「そうでしたか」
私は当たり障りのない返事をする。
理不尽な不平等から心の距離を取り、遠巻きにして眺める。私は白けて笑いそうになった。
「閣下。マクシミリアン公子にお礼を伝えたいのですが、お会い出来るでしょうか」
「心労がたたったようだ。今は会える状態ではない」
取り付く島もない。私は公爵の顔を見上げながら微笑んだ。
「では、どうぞ十分にご養生下さるようお伝えくださいませ」
「息子もキミのような賢いレディの言葉を聞いたら喜ぶだろう」
私は父に抱えられ、公爵家の別荘を後にした。
帰りの馬車の中で、父が難しい顔で呟いた。
「怖かったら素直に泣きなさい。怒ってもいいし、好きにしたらいい。今は私達しかいないのだから」
顔を上げる。言われて私は自分の鎧のような表情に気付いた。
泣くか、笑うか選びあぐね。結局、顔の強張りを緩めるだけにする。
「今日のこと、どう受け止めていいのか、まだ分からないんです」
「そうか」
父はそれきり何も言わなかった。母は黙って私に寄り添った。
馬車が揺れる。何度も揺れた。
ふしぎなおとぎ話と残酷な現実の、ちょうど真ん中に座って、馬車の中でグラグラしていた。




