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3.避暑地


 月に一度のゲニウス(大精霊)の日。私はフカフカの友人を膝に乗せて読書をしていた。


 挿絵が中心の本をぺらりとめくる。想像上の動物や妖精が出てくる話だ。月齢(ゲニウスの日)のようにこの世界は妖精の存在がまことしやかに語られている。


「ルイーザ。私のルルちゃん。どこにいるの?」


 母が私を呼ぶ声がする。

 私が返事をするより先に膝の上の猫がナァと鳴き、音に気付いた母が近寄って来た。


「またご本の虫ね?」

「だって、これ、難しくって」

「馬車の中で読んだらいいわ。さあ、出発の時間よ」


 手を引かれ、分厚い本片手に正門へ連れられる。足元に愛猫が擦り寄って来たので一緒の馬車へ乗せた。



 今日は領地から避暑地へ行く日。


 生まれ直して数年、天を仰ぐほど困るようなことは減ったが、正直馬車は未だに苦手だ。

 揺れるし椅子も硬い。長距離だとお尻の皮が剥けそうだ。

 しかし移動する手段がこれしかない。


 馬車そのものを改良するとか、街道の整備とか、夢を見たことはある。

 ただ、解決に繋げる資金と人材、整備対応なんかの持続性の確保を考えると、どう考えても王様に転生するか高位官僚に就任する必要があるため、夢は夢のまま埃を被せておくことにした。


 さておき、遠方への移動だが、避暑地の方はわりと好きだ。

 時期になると狭い土地に人がこみごみと集まって、陽気な話し声があちこちから聞こえる。日本で言えば観光シーズンの軽井沢や富良野みたいで、その雰囲気に胸が踊った。


 私はルイーザ・ツィレイとして生きていくと腹をくくったあの日から、心乱れることなく、静かに暮らしたいと願っていた。そうしたらきっと、この世界のことが少しは好きになれる気がした。


 避暑地は湖のある森を背後に古城が構え、市街のそばには温泉が湧く。

 母は遠方の自然豊かな自領より、スパを目的に好んで当該地へ赴いた。

 

「ルイーザ、今年はお母様と一緒にお茶会に出てみない?」

「お茶会?」

「そう、グントラム公爵夫人が誘って下さったの。近い年頃のご令息も居るから是非って」


 温泉資源ゆえに当該地は人気があり、近くには貴族の別荘も沢山あった。母は避暑シーズンも毎年お茶会に招待されていた。


 母が社交へ赴く時、デビュタントもまだの私は家で大人しく待っているのが決まりだった。

 しかし歳を重ねマナーも覚えてきたので、社交界が終わった避暑地で非公式のパーティに参加してみませんか、という誘いだ。



 子供扱いは窮屈だ。

 両親に向けた外見相応の幼い喋り方は、続けていると私の内面まで幼くすることがあるし、早く自由な時間が欲しかった。

 私は話を聞いて即座に頷く。


「行ってみたいです」

「決まりね。でも、お茶会にはその本を置いて行くこと」

「……はぁい」


 手元の本に視線を向けられ、本物の子供のように唇を尖らせる。

 本のかわりに足元の愛猫を抱え、膝の上に乗せた。抗議を込めてナァンと鳴かれたが、知らぬ顔で背を撫でた。


 たしかに最近の私は寝食を除いて馬車に持ち込んだ本を読んでばかりだった。


 本に傾向する気質は、ないと思う。

 でも、今持っているこの『ポリーの夢』という本、信じられないくらい読みづらいのだ。


 抽象的で、文飾過多で、複数の古典作品の引用。なにが言いたいのか分からない。

 まあ、でも、そのキラキラなレトリック部分を全部すっとばせばストーリーは分かる。


 だが、この本のミソは多分、その抽象的な部分にある。

 意図を正確に掴めないのが悔しくて、ここ数日、同じ本を何度も何度も繰り返し読んでいた。母は程々にしなさいねと言いたいのだろう。


「お母様。昔は妖精がいたって本当ですか?」


 本の内容を思い出して尋ねる。母は頬に手を添えた。


「私のおばあ様の代までは、妖精と暮らしていた人が居たって言うけど、どうかしら」


 尻すぼみな口調に首を傾げる。母は曖昧に笑って眉尻を下げた。


「妖精は願いを叶えてくれるけど、気分屋でおそろしい生き物だったと言うから……見えなくなって良かったのかもしれないわ」


 母は苦笑して私の頭を撫でた。

 発言の後、ガタン、と馬車が揺れる。補装の荒い道のせいで、私は膝に乗せた猫ごと何度も宙に浮く。猫が不快そうに鳴いた。私も馬車が嫌いだ、とこっそり耳打ちした。


§



 避暑地に着いて数日後、母と私はグントラム公爵夫人が開くお茶会へ招かれた。

 出迎えた夫人の前で、行儀作法の授業通りの挨拶をする。母も夫人も目尻を緩めた。


 ……どうも、合格したようだ。


 自分に定規を当てて価値を計られる感覚は、貴族と定められてから、いつも白けた。

 成長したら人の手を離れた風船のようにどこかに飛んでいきたい、なんてため息を飲み込んで遠くを見る。


「どうぞ楽しんでいって下さいね」


 公爵夫人の言葉と共に踏み込んだパーティは、ひどく華やかだった。

 あちこちで貴族名鑑に名を連ねる家門が談笑し、贅沢な調度品を豪奢な衣装で囲んでいる。


 人も多いので、参加者は小さなグループを作って散らばっていた。私は背格好の近い令嬢たちのグループを見付けて挨拶をした。

 仲間に入り、美しい刺繍の入ったクロスの上の茶菓子に口をつける。金色の紅茶を揺らし、匂いを嗅いだ。


「みなさん、お茶はお口にあいましたか?」


 周りの子供たちとお喋りをしていると、ふいに声をかけられた。視線を上げると公爵夫人が穏やかに微笑んでいる。


 子供の集団は突然の大人の登場に固まった。

 なにせ全員がデビュタント前。母親や侍女の導きがないシーンは初めてかもしれない。


 辺りを見て、一拍置いた。誰も声を出さないので夫人に向けて笑いかける。


「はい、公爵夫人。とても爽やかで、春摘みの紅茶がもっと好きになったと皆で話していたんです」


 ようやく私が夫人に言葉を返すと、彼女は嬉しそうに頬を上げた。


「よかったわ。ルイーザさん、我が家は初めてでしょう? お庭を案内するわ」


 少し遠くの母に視線を送る。彼女はおっとり笑った。

 その表情を真似て微笑む。


「嬉しいです。お庭のお花が素敵で気になっていたんです」

「今の時期はダリアがキレイよ。どうぞいらして」


 夫人は集団の中から一人、私を連れ出して、庭の奥へ誘った。


 現代での社会人時代、ビジネスシーンで腹芸をしなかったと言えば、そりゃ、まあ、ウソになる。だが人並みの振る舞いだ。

 それが貴族のお嬢様ではずいぶん評価される。私には芝居の才能があるのかもしれいなと内心の皮肉を隠した。


「マクシミリアン」


 美しい庭に午後の陽光が差す。

 風に揺れる花に囲まれた場所で、一人佇む少年を公爵夫人が呼んだ。


「はい、母上」


 黒髪が風に流れ、白い肌に翠眼が浮かぶ。妙に目を引く少年が振り返り、私に気付いて目を細めた。


「ここに居たのね。いらっしゃい、紹介するわ。こちら、ツィレイ伯爵のお嬢さん」

「はじめまして、マクシミリアン・グントラムです」

「お初にお目にかかります。ルイーザ・ツィレイと申します」


 私たちの挨拶を見て、夫人はすずしげに告げた。


「そうだわ、マクシミリアン。ルイーザさんにお庭を案内してあげて。ダリアもランタナも見頃だもの」


 その言葉に、私と少年はパチ、と何度かまたたきした。

 彼が驚きながらも頷くと、夫人はこの場にメイドを呼んで一人お茶会へ戻ってしまう。


「ルイーザ嬢、花は好き?」


 マクシミリアンは苦笑して私に尋ねた。


「ええ、お花は好きです」

「参ったな。ボクは母と違って花のことをよく知らないんだ」


 彼の言葉に詰まった意図に首肯する。


 夫人の振る舞いは、まるで斡旋だ。縁組に適した子女が居るから相性を確かめてみたら良いというもの。小さな子供同士であれば二人きりでも大きな問題は起こりにくい。

 しかし、子供にしてみれば、初対面の相手と取り残されて、結婚なんてちっとも考えていない内からどうしろという感じだ。


 背後のメイドを盗み見る。教育の行き届いた使用人らしく静かに佇んでいる。

 ……ここで解散したらバレるだろうなあ。


「ボクらもお茶する?」


 マクシミリアンは顎をしゃくって背後のガゼボを差した。私が首を縦に振るとメイドがガゼボのテーブルにお茶の用意をした。


「あまり堅苦しいのは苦手だし、キミも気楽に話して」

「じゃあ、ご厚意に甘えて」


 彼は笑って「存分に。ついでに紅茶も甘くして」とメイドに蜂蜜を垂らさせた。

 黄金色の春摘み紅茶はすぐに色を深くした。


「紅茶に蜂蜜を入れると、妖精がイタズラするって怖がる人達が居るんだって」


 マクシミリアンはそう言って褐色した紅茶を飲んだ。


「美味しいのにね」

「ええ、あまくて美味しい」


 私も紅茶を飲む。蜂蜜からはアカシアの香りがかすかにした。彼は少し意外な顔をした。


「キミは妖精が怖くない?」


 私は首を傾げた。母の言葉もそんな雰囲気だったが、この世界では妖精はファンシーなイメージではなく残酷な印象が強いのかもしれない。少し考えて、メイドにもう一杯の紅茶を頼んだ。


「それから、レモンも貰えますか?」

「そんなに急に二杯も飲める?」


 カップに残った蜂蜜入りの紅茶を見ながら、マクシミリアンは不思議そうに私を眺めた。


 メイドが持ってきたレモンを受け取る。春摘み紅茶は夏や秋に摘む紅茶と違って色が薄い。切って貰ったレモンを少し多めに搾った。


「見てて」


 ティーカップを揺らす。中を覗き込んだ彼は、あっと声を上げた。


「色がうすくなった」

「妖精のイタズラかも」


 脅かすような音色でとぼける。


 蜂蜜に含まれる鉄分は紅茶のタンニンに反応し褐色する。レモンの酸性は紅茶に含まれるポリフェノールの一種に反応し退色する。私はためらわずに薄くなった紅茶に口をつけた。

 それを飲むと。


「……うっ」


 反射的に肩をちぢめる。ぐ、と眉間に皺が寄った。


 酸っぱい。

 当たり前だが。

 味を損ねるレベルで酸っぱかった。


 紅茶にレモンは浮かべるか、くぐらす程度が適量だ。絞れば当然、マズイ。酸味が効きすぎている。マクシミリアンは私の態度にきょとん、とした。

 私は眉を困らせ、小声で「すっぱい」とささやく。

 彼は聞こえた言葉を咀嚼し、次第に顔をほころばせた。


「ふ、っふふ。ハハハ! ルイーザ、キミっ、あはは! 妖精のイタズラかもね!」

「そうね、とんだ妖精のイタズラね……」


 砂糖を貰う私の傍らで、彼はしばらく軽快に笑った。

 替えの紅茶を提案するメイドの提言を辞し、己の浮かれた行動の戒めに一杯の紅茶を飲み干す頃。

 お互いの母が迎えに来る。「ルイーザ、楽しかった?」と私は微笑まれた。


「ボクたち、二回も妖精のイタズラが見れたんです」


 マクシミリアンの返答に、公爵夫人と私の母は奇妙な表情で顔を見合わせた。私はひどく渋い顔をした。

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